【選手名鑑】中川寛斗の現在地|誰よりも走り輝きを放つ、155センチ柏の“小さな巨人”

 柏の下部組織出身の中川。一時は湘南へレンタル移籍するも柏へ復帰。幼い頃、身長を伸ばす医療的な処置を勧められるが、プロになって同じ悩みを抱える子たちへ勇気を与えたい、親から授かった体を大切にしたいという思いから拒否。そして見事に、2015年10月3日プロ初ゴールを決めJ史上最も身長の低い得点者となる。小柄ながらも持ち前の驚異的な体力・スピードで前線へのハイプレスの一矢を担い、相手の攻撃の芽を摘む。身長155cmの小さな巨人の現在地とは。

目次



中川寛斗のプレースタイルと選手紹介

 

中川寛斗のプロフィール

選手名 中川寛斗|Hiroto NAKAGAWA
出身 埼玉県さいたま市
生年月日 1994/11/3
身長・体重 155cm・57kg
現所属チーム/背番号/利き足 柏レイソル/#19/右足
過去所属 2013-14 湘南ベルマーレ(レンタル)



中川寛斗の動画

 



年度別出場成績

2018年

 【リーグ戦】

2017年

 【リーグ戦】

2016年

 【リーグ戦】

2015年

 【リーグ戦】

2014年

 【リーグ戦】

2013年

 【リーグ戦】

年度別来歴

2019年

 

2018年

 柏4年目。4月25日、第10節の浦和レッズ戦で決勝点を決めて勝利に貢献した。

2017年

 4月22日、第8節の横浜F・マリノス戦で今季初得点を決めて勝利に貢献した。5月21日、第12節のジュビロ磐田戦では、プロ入り後初めて頭で得点を決めた。Jリーグで身長が一番低い事もあり、ヘディングでの得点はニュースになり、本人も頭での得点は「記憶にない。小学生の時に1回あったかな」と話している。

2016年

 下部組織時代に指導を受けた下平隆宏が監督に就任すると出場機会を増やし、リーグ戦22試合に出場。4月24日の1st ステージ第8節鹿島アントラーズ戦では走行距離13.769km、スプリント回数39回を記録し、いずれもリーグ全体で1位となった。

2015年

 期限付き移籍期間満了により柏レイソルへ復帰。10月3日のJ1 2ndステージ第13節名古屋グランパス戦でプロ初得点を記録し、Jリーグ史上最も身長の低い得点者となった。

2013年

 4月27日、J1第8節ジュビロ磐田戦で公式戦初出場。同年8月にはU-19日本代表に選出され、スペイン・バレンシアで開催されたアルクディア国際ユースサッカートーナメント(英語版)に参加した。

プロ前

 2歳年上の兄の影響から、幼稚園生の時にジップサッカークラブでサッカーを始めた。

 さいたま市立大東小学校入学後は大東サッカースポーツ少年団のほか、浦和美園のクーバー・フットサルスクールに通ってテクニックを磨き、小学4年時から柏レイソルの下部組織に加入。同期には中村航輔、秋野央樹、小林祐介、木村裕、金竜滉等がいる。当時から身体が小さく、小学6年時の身長は127cmで、平均よりも約20cm低かった。周囲からは身長を伸ばす医療的な処置も勧められていたが、両親から貰った身体を大切にしたいという思いがあり、将来プロ選手になることができれば同じ悩みを抱える子供たちに勇気を与えられると考え、最終的には自ら医療の力には頼らないことを決断した。

 加入当初は出場機会を得られない時期もあったが、小柄な体格をカバーするためにFCバルセロナのシャビ、アンドレス・イニエスタのプレーを研究して基本技術や判断力、ポジショニングの質を徹底的に磨き、吉田達磨の指導を受けた中学3年時には中心選手として活躍。高校時代には各年代別日本代表にも選出され、国際ユースサッカーin新潟等の国際大会に出場。

 高校3年時の2012年は司令塔としてチームを牽引し、日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会でクラブ史上初の優勝を達成。千葉県予選を勝ち抜いて出場した第92回天皇杯では、2回戦で同大会史上初となるトップチームと下部組織の「兄弟対決」を実現させた。同年12月30日、翌年よりトップチームに昇格し、同時に湘南ベルマーレへ期限付き移籍することが発表された。

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