【クラブ紹介】ディナモ・ザグレブ|才能を輩出し続けるクロアチアの名門

 「ここまでの躍進は想像もしていなかった。」準優勝に終わったロシアW杯の数日後、大会MVPを獲得したルカ・モドリッチは大会をこのように振り返った。ユーゴスラビアからの独立直後に行われたフランスW杯では、ボバンやシュケルといった名選手の活躍もあり3位へと躍進を遂げたクロアチア代表。しかし、それ以降の大会では全く結果を残せていなかった。2010年の南アフリカ大会に関しては出場権獲得すら逃していた。長年に渡ってW杯という大舞台でスポットライトを浴びることのなかったクロアチア代表だったが、1つのクラブチームがその歴史を変えたと言っても過言ではない。クロアチア首都に本拠地を置く「ディナモ・ザグレブ」だ。

 日本では全く話題になっていないが、ロシアW杯においてディナモ・ザグレブはとある”世界記録”を樹立していた。UEFAが定める”トレーニングクラブ”という定義がある。該当する選手が15歳から21歳の間で3年以上在籍したクラブのことを指す”トレーニングクラブ”だが、クロアチア代表の23人のメンバーの内、14人の選手がディナモ・ザグレブが”トレーニングクラブ”であったのだ。この14人という人数が史上最多であったと、サッカーをあらゆる統計で研究しているメディアである「CIES Observatory」は大きく取り上げている。

 W杯準優勝を成し遂げた代表メンバーのおよそ6割の選手を1つのクラブが輩出しているとは驚きだろう。それではディナモ・ザグレブの歴史やこれまで輩出した選手たちをみていこう。

目次

 

ディナモ・ザグレブの歴史とクラブ紹介

 
《クラブの歴史》
 第二次世界大戦後、ザグレブには2つのクラブが存在していたが、いずれもユーゴスラビア共産党の手動で解散。1945年にディナモ・ザグレブが創立された。以後、クロアチア人に支持される強豪クラブとして地位を確立した。クロアチア独立後は初代大統領のフラニョ・トゥジマンが優遇し、ライバルクラブのハイデュク・スプリトを大きく上回る経済力で一強の時代が続く。1992年にはドゥジマンの影響でクロアチア・ザグレブへ改名。しかし、サポーターはこれに大きく反発しドゥジマンの死後に再びディナモ・ザグレブに改名した。

《育成の名門》
 2011年にはUEFAから名だたるクラブと共にベスト・ユースアカデミーに選出された。他に選出された5つのクラブはバルセロナ、インテル、スポルティング、アヤックス、アーセナルである。
また、2018年10月現在、UEFAが規定する31のトップリーグにおいて、ディナモ・ザグレブが”トレーニングクラブ”である選手は4番目に多い66名である。また5大リーグにおいては28番目の14名である。主なクラブOBは下記を参照。

《BBB》
 熱狂的なサポーター集団バッド・ブルー・ボーイズ(BBB)が有名。これまで様々な騒動を起こしており、特に国外のアウェイ戦では毎回のように逮捕者が出ている。彼らの名が世界中に知れ渡ったのは1990年5月13日に行われたディナモ・ザグレブ vs レッドスター戦で起きたBBBとユーゴスラビア警察との衝突だろう。試合開始直前に行われていた練習中にBBBがピッチに乱入しようと警察と激しく衝突。ユーゴスラビア警察の大半の人間がセルビア人だっとこともあり、クロアチア人の反セルビア人感情が抑えきれず試合が中止となるまでの騒動となった。この騒動の際に当時ディナモ・ザグレブに所属していたズボニミール・ボバンが警察官の一人を飛び蹴り。ボバンには4ヶ月の出場停止処分が言い渡された。この騒動がきっかけとなりクロアチアのユーゴスラビアからの独立運動は激化するのである。

《ホームスタジアム》
 クロアチア代表もホームスタジアムとして使用している「スタディオン・マクシミール」をホームスタジアムとして使用。

 

ディナモ・ザグレブが育成した選手たち

デヤン・ロブレン(Dejan Lovren) *ロシアW杯メンバー
Pos :CB
生年月日:1989/7/5(29歳)
身長/体重:188cm/84kg
所属:リバプール(イングランド)
在籍期間:2004年~2008年(ユースとレンタル移籍の期間を含む)
ディナモ・ザグレブ通算:55試合3ゴール
退団時の移籍金:800万ユーロ
 
 コンディションとメンタル面が整えば世界最高峰の実力を発揮するクロアチアを代表するCB。ボスニア生まれ。3歳の頃にボスニア紛争の影響でドイツに移住した。その後7年間ドイツで生活し、10歳のときに両親の故郷であるクロアチアへ移住した。クロアチア移住後は言語の壁に当たるが、サッカーの力で逆境を力に変えて04年にディナモ・ザグレブの下部組織に入団した。トップチームで活躍した後、リヨンとサウサンプトンを経て14年夏にリバプールに加入した。
 
同選手の詳しい記事はこちら

【選手名鑑】デヤン・ロブレンの現在地|逆境を力に変え続けたクロアチア代表DF

シメ・ヴルサリコ(Sime Vrsaljko) *ロシアW杯メンバー
Pos :RSB
生年月日:1992/1/10(27歳)
身長/体重:181cm/76kg
所属:インテル(イタリア)
在籍期間:2006年~2013年夏(ユースとレンタル移籍の期間を含む)
ディナモ・ザグレブ通算:96試合1ゴール
退団時の移籍金:460万ユーロ

 運動量が豊富なRSB。粗削りな部分が残るが、ダイナミックなプレーで攻守に渡って貢献出来る選手である。モドリッチも在籍したNKザダルというクラブで育成され、14歳となった06年にディナモ・ザグレブの下部組織に引き抜かれた。トップチームで活躍した後、ジェノアとサッスオーロを経て16年夏にアトレティコ・マドリードに加入。18年夏にインテルへとレンタル移籍するが、19年2月に左膝の手術の影響で早くも今季終了が決定している。

ルカ・モドリッチ(Luka Modric) *ロシアW杯メンバー
Pos :CMF/OMF
生年月日:1985/9/9(33歳)
身長/体重:172cm/66kg
所属:レアル・マドリード(スペイン)
在籍期間:2001年~2008年夏(ユースとレンタル移籍の期間を含む)
ディナモ・ザグレブ通算:112試合31ゴール
退団時の移籍金:2300万ユーロ

 世界最高峰のMF。2018年はUEFAチャンピオンズリーグ優勝、ロシアW杯準優勝&MVP、クロアチア人史上初のバロンドール獲得とサッカー界の主役であった。6歳の頃にボスニア紛争が勃発し、家族でザダルのホテルへ避難した。ストリートでサッカーを始め、ハイデュク・スプリトのトライアウトを受けるも「不合格」。近所のNKザダルの下部組織で育成され、16歳となった21歳の時にディナモ・ザグレブの下部組織に入団。トップチームで活躍した後、08年夏にトッテナムへ完全移籍。12年夏に活躍の場をレアル・マドリードへ移し、史上初のUEFAチャンピオンズリーグ3連覇を含む16のタイトル獲得に貢献している。また、意外と思うかもしれないがモドリッチ自身は2016-17シーズンの1度しかラ・リーガのタイトルを獲得していない。

マルセロ・ブロゾビッチ(Marcelo Brozovic) *ロシアW杯メンバー
Pos :CMF
生年月日:1992/11/16(26歳)
身長/体重:181cm/68kg
所属:インテル(イタリア)
在籍期間:2012年夏~2015年冬
ディナモ・ザグレブ通算:112試合31ゴール
退団時の移籍金:800万ユーロ

 豊富な運動量と視野の広さを武器にビルドアップに貢献するレジスタ。中盤であれば全てのポジションでプレー可能で、2017-18シーズンはセリエAで1位の12.289kmという1試合平均の走行距離を記録した。フルバツキ・ドラゴボリャクの下部組織出身で、12年夏にハンブルガーSVへと移籍したミラン・バデリの後釜としてディナモ・ザグレブに加入した。加入直後から定位置の座を確保し、15年冬に買い取り義務付きレンタル移籍でインテルに活躍の場を移した。

 
マテオ・コバチッチ(Mateo Kovacic) *ロシアW杯メンバー
Pos :OMF/CMF
生年月日:1994/5/6(28歳)
身長/体重:178cm/75kg
所属:チェルシー(イングランド)*レアル・マドリードからのレンタル移籍
在籍期間:2008年~2013年冬(ユースとレンタル移籍の期間を含む)
ディナモ・ザグレブ通算:63試合7ゴール
退団時の移籍金:1500万ユーロ

 モドリッチの後釜として期待される天才MF。非常に高い技術の持ち主でドリブルやラストパスの精度は既にワールドクラスである。オーストリアへと移住したクロアチア人の両親の間に生まれ地元のLASKリンツの下部組織で育成された。2008年にディナモ・ザグレブの下部組織に移籍。2010年11月に行われたドラゴボリャツ戦で16歳の若さでプロデビューを飾り1ゴールを記録。これは当時のクロアチア1部史上最年少出場&最年少ゴール記録であった。ちなみにこの時ディナモ・ザグレブを率いていたのは元日本代表監督であるヴァヒド・ハリルホジッチ氏である。その後インテルを経て15年夏にレアル・マドリードへ完全移籍。しかし、モドリッチやクロースの壁は厚くスタメン獲得には至らず、18年夏にチェルシーへレンタル移籍。

アンドレイ・クラマリッチ(Andrej Kramaric) *ロシアW杯メンバー
Pos :CF
生年月日:1991/6/19(27歳)
身長/体重:177cm/73kg
所属:ホッフェンハイム(ドイツ)
在籍期間:1997年~2013年夏(ユースとレンタル移籍の期間を含む)
ディナモ・ザグレブ通算:52試合11ゴール
退団時の移籍金:129万ユーロ
 
 ロシアW杯後に代表引退したマンジュキッチの後を継ぐクロアチア代表の新エース候補。上記の選手の誰よりも早い97年に6歳でディナモ・ザグレブの下部組織に入団している。09年夏に18歳でトップチームへ昇格。しかし、ディナモ・ザグレブでは定位置の座を掴めず13年夏にリエカへ完全移籍。在籍した1年半で64試合55ゴールという驚異的なペースでゴールを量産し、15年冬にレスターが当時のクラブ史上最高額の移籍金で獲得した。しかし、翌シーズン就任したクラウディオ・ラニエリ監督の下で構想外となり16年冬にホッフェンハイム移籍。16年夏にケビン・フォラント退団後はチームのエースとして得点を量産している。

マリオ・マンジュキッチ(Mario Mandžukić) *ロシアW杯メンバー
Pos :CF/WG
生年月日:1986/5/21(32歳)
身長/体重:190cm/85kg
所属:ユベントス(イタリア)
在籍期間:2007年夏~2010年夏
ディナモ・ザグレブ通算:112試合53ゴール
退団時の移籍金:700万ユーロ

 前線であればどこのポジションでも活躍する万能型FW。幼い頃にボスニア紛争の影響で家族と共にドイツのシュツットガルトへ移住。近所のディツィンゲンというクラブの下部組織でサッカーを始めた。しかし、1995年にボスニア紛争が終結したことに伴い翌年にドイツから再び移住を迫られ、家族全員で母国クロアチアのマルソニアに移住。07年にディナモイ・ザグレブに加入した。公式戦112試合で53ゴールを記録し、2008-09シーズンはリーグ得点王とMVPを獲得した。10年夏にヴォルフスブルクへ完全移籍。その後、バイエルンとアトレティコ・マドリードを経て15年夏にユベントスに加入した。ロシアW杯後に代表引退を表明。

 上記の選手以外にも多くの選手がディナモ・ザグレブで育成され世界へと羽ばたいている。
▼DF
ボシュティアン・ツェサル(キエーボ) 在籍期間:2000年~2005年
ヴェドラン・チョルルカ(ロコモティフ・モスクワ) 在籍期間:1994年~2007年 *ロシアW杯メンバー
ヨシプ・ピバリッチ(ディナモ・キエフ) 在籍期間:1999年~2017年 *ロシアW杯メンバー
ドマゴイ・ヴィーダ(ベシクタシュ) 在籍期間:2011年~2013年 *ロシアW杯メンバー
カルロ・ブルシッチ(サガン鳥栖) 在籍期間:2004年~2014年
ジョゾ・シムノビッチ(セルティック) 在籍期間:2006年~2015年
ティン・イェドバイ(レバークーゼン) 在籍期間:2005年~2013年 *ロシアW杯メンバー
イヴォ・ピント(ノーリッジ) 在籍期間:2013年~2016年
ボルナ・ソサ(シュツットガルト) 在籍期間:2006年~2018年
フィリップ・ベンコビッチ(セルティック) 在籍期間:2008年~2018年

▼MF
ミハエル・ミキッチ(無所属) 在籍期間:1997年~2004年、2007年~2009年 *現役引退
ニコ・クラニチャール(無所属) 在籍期間:1991年~2005年 
ミラン・バデリ(ラツィオ) 在籍期間:2005年~2012年 *ロシアW杯メンバー
サミール(スポルチ・レシフェ) 在籍期間:2006年11月~2014年
アレン・ハリロビッチ(スタンダール) 在籍期間:2004年~2014年
アンテ・チョリッチ(ローマ) 在籍期間:2014年~2018年
マルコ・ログ(セビージャ) 在籍期間:2015年~2016年

▼FW
エドゥアルド(無所属) 在籍期間:1998年~2007年
ドゥイレ・チョプ(レアル・バジャドリード) 在籍期間:2012年~2015年
マルコ・ピアツァ(フィオレンティーナ) 在籍期間:2004年~2009年、2014年~2016年 *ロシアW杯メンバー
エル・アルビ・ヒレル・スダニ(ノッティンガム・フォレスト) 在籍期間:2013年~2018年
ヨシプ・ブレカロ(ヴォルフスブルク) 在籍期間:2006年~2016年
ダヴォール・ロブレン(デュッセルドルフ) 在籍期間:2009年~2018年

 ロシアW杯には上記に記した13名に加えて、現在もディナモ・ザグレブに所属するGKドミニク・リバコビッチを含む14名の選手が出場。W杯メンバー以外にも14年夏にバルセロナへ引き抜かれたMFアレン・ハリロビッチ(スタンダール)やMFアンテ・チョリッチ(ローマ)、MFマルコ・ログ(セビージャ)、DFフィリップ・ベンコビッチ(セルティック)といった将来のクロアチア代表を背負うであろう逸材を輩出している。また2019年よりサガン鳥栖でプレーするカルロ・ブルシッチもディナモ・ザグレブの下部組織出身の選手である。

 また引退した選手では元ACミランのズボニミール・ボバン氏が下部組織出身。またフランスW杯得点王のダボル・シュケル氏は89年から91年にかけて在籍。現在、クロアチア代表のコーチを務めるイビチャ・オリッチ氏も1年間のみだが在籍していた。
 

現在育成されている”期待の逸材”たち

ドミニク・リバコビッチ(Dominik Livakovic)
Pos :GK
生年月日:1995/1/9(24歳)
身長/体重:188cm/82kg
代表:クロアチア代表
在籍期間:2015年夏~

 ダニエル・スバシッチの系統を引く将来のクロアチア代表正守護神候補。スバシッチと同様にNKザダルの下部組織で育成された過去を持つ。NKザグレブを経て15年夏に加入したディナモ・ザグレブでは、驚異的な反射神経を武器に公式戦のおおそ半分の試合でクリーンシート達成している。スバシッチが代表引退したクロアチア代表ではロブレ・カリニッチ(アストン・ビラ)、カルロ・レティツァ(クラブ・ブルージュ)らと熾烈な正GK争いが繰り広げている。早ければ19年夏にもステップアップが期待されている、

サデギ・モハラミ(Sadegh Moharrami)
Pos :RSB
生年月日:1996/3/1(22歳)
身長/体重:174m/71kg
代表:イラン代表
在籍期間:2018年夏~

 スペースがあれば自分で前線に持ち上がり鋭いクロスを供給する超攻撃的SB。まだ守備面には粗さが残るも、攻撃面に関しては既にアジアトップレベルである。数年以内にも欧州のビッククラブからお声が掛かってもおかしくないだろう。

ダニ・オルモ(Dani Olmo)
Pos :OMF
生年月日:1998/5/7(20歳)
身長/体重:176cm/68kg
代表:スペインU-21代表
在籍期間:2014年夏~

 19年夏にもビッククラブへとステップアップを遂げる可能性が高い天才MF。エスパニョールとバルセロナの下部組織出身で、14年夏にディナモ・ザグレブの下部組織に移籍した。前線であれば様々なポジションでプレー可能でゴールへの意識も高い。古巣バルセロナを始め、レアル・マドリードやリバプール、ドルトムントらが獲得に興味を示している。

アメル・ゴヤク(Amer Gojak)
Pos :OMF/CMF/SMF
生年月日:1997/2/13(22歳)
身長/体重:178cm/74kg
代表:ボスニア・ヘルツェゴビナ代表
在籍期間:2015年冬~

 ミラレム・ピャニッチの後継者。精度の高い両足のキックが特徴で直接FKも大きな武器となる。本職はトップ下だがサイドやボランチ、状況によってはCFとしてもプレー可能だ。2018年に行われたUEFAネーションズリーグ、オーストリア戦でA代表デビューを飾った。ニューカッスルやサウサンプトンなどプレミアリーグのクラブが獲得に興味を示している。
 
アントニオ・マリン(Antonio Marin)
Pos :SMF/OMF
生年月日:2001/1/9(18歳)
身長/体重:188cm/82kg
代表:クロアチアU-19代表
在籍期間:2009年夏~

 クロアチア国内で最も将来を期待されている選手。鋭いカットインからのシュートを得意としており、ドリブルのテクニックやスピードは既にトップチームの選手相手にも引けを取らない。また直接FKも得意だ。同世代の選手の中では頭ひとつ抜けており、今季クロアチア2部を戦うディナモ・ザグレブⅡでは5試合で4ゴールを記録している。現在も時々トップチームの試合に出場しているが、ダニ・オルモらの移籍が濃厚となっている来季より本格的にトップチームで起用されるだろう。2017年にはマンチェスター・シティ、ユベントス、パリ・サンジェルマン、ACミランといった欧州屈指の強豪クラブが獲得に乗り出していた。

まとめ

 上記で紹介した選手以外にも下部組織には将来を期待されている選手が多く在籍している。また近年はアジア人選手の獲得も積極的で、現在トップチームには先ほど紹介したDFサデギ・モハラミが、セカンドチームには韓国人DFキム・ヒョンユとMFキム・キュヒョン、UAE人FWアリ・エリド・グマイルが在籍している。日本人では2017年にJFA会長である田嶋幸三の息子、田嶋凜太郎がセカンドチームに在籍していた。

 準優勝を成し遂げたW杯メンバーのおよそ6割の選手がディナモ・ザグレブ出身だったことを考えると、現在トップチームや下部組織で育成されている選手たちは”クロアチアの未来”と言っても過言ではないだろう。これからも才能を輩出し続けるであろうディナモ・ザグレブ、そして初タイトルを目指すクロアチア代表から目が離せない。

 *これを機にディナモ・ザグレブに注目して頂けたら幸いです。2018-19シーズンのUEFAヨーロッパリーグではベスト16に進出しているので、まだまだDAZNで試合が見れます!



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