2018-19シーズン、UEFAチャンピオンズリーグ決勝トーナメント1回戦バイエルン戦に対して特別な思いで試合に臨む選手がいる。幼少期をミュンヘンで過ごしていたリバプールに所属するクロアチア代表DFデヤン・ロブレンだ。3歳の頃にボスニア紛争から逃れるために渡独。当時、練習場に足を運んでいたクラブがバイエルンであった。その後プロサッカー選手となるロブレンだが、これまでのキャリアでバイエルンと対戦したことは1度もない。1st legは負傷のためメンバーを外れたが、バイエルンのホームで行われる2nd legには出場することが濃厚となっている。
それではロブレンのプレースタイルやエピソード、これまでのキャリアなどを振り返っていこう。
目次
- 【選手紹介】デヤン・ロブレンのプレースタイルと選手紹介
- 【選手紹介】デヤン・ロブレンのプロフィール
- 【ヒストリー】ボスニア紛争を経験した幼少期
- 【ヒストリー】母国クロアチアでプロデビュー
- 【ヒストリー】初の国外移籍
- 【ヒストリー】イングランド挑戦
- 【ヒストリー】妻との復縁
- 【ヒストリー】イングランド挑戦
- 【ディスコグラフィー】紹介動画
- 【ディスコグラフィー】年度別出場成績
- 【ディスコグラフィー】パラメータ・能力値※制作中
- 【年度別来歴】プロキャリア※制作中
- 【年度別来歴】アマチュア時代の評価※制作中
- 【年度別来歴】代表歴※制作中
- 【選手評価】スタッツ※制作中
- 【選手評価】市場価値※制作中
- 【選手評価】能力値変遷※制作中
デヤン・ロブレンのプレースタイルと選手紹介
●CBに必要な能力をハイレベルに兼ね備えているファイター。抜きん出たパワーやスピードの持ち主ではないが、持ち前の闘争心を活かした捨て身のディフェンスでチームの危機を救う。また、メンタルやコンディションが充実していれば「世界最高峰」のプレーを披露するが、そうではない場合は致命的なミスを侵すなど調子にムラのあるタイプの選手である。
●負傷癖がある。負傷離脱がなかったシーズンは皆無と言っても過言ではないだろう。
●2013年6月に知人と共に「Russel Brown」というファッションブランドを設立。ジェラードやヘンダーソンなどリバプールでプレー経験のある選手を始め、モドリッチやジェコ、リベリといった大物選手らも愛用している。
●PK戦の末に勝利したロシアW杯決勝トーナメント1回戦デンマーク戦の試合後、クロアチアサッカー協会はFIFAから7万スイスフラン(約780万円)の罰金を受けた。その原因はロブレンが飲んでいた「レッドブル」。FIFAはコカ・コーラとオフィシャルスポンサー契約を締結しており、大会期間中はピッチ周辺で他社製品の飲料を飲むことを認めていない。現地メディアは「歴史上最も高価な翼」と揶揄している。
●自身が難民出身のため難民問題に敏感である。2017年頃に中東での難民問題が話題となった際には、リバプールの公式チャンネルで自身の悲痛な紛争体験を語り難民問題に理解を求めている。
●2013年に結婚。2人の子供を授かっている。現在は関係が修復しているが、2016年に妻の不倫が発覚。詳細は下記を参照。
デヤン・ロブレンのプロフィール
選手名 | デヤン・ロブレン(Dejan Lovren) |
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ポジション | CB |
出身 | ゼニツァ/ユーゴスラビア(現ボスニア・ヘルツェゴビナ) |
年齢/生年月日 | 31歳/1989年7月5日 |
身長・体重 | 185cm・82kg |
現所属チーム/背番号/利き足 | ゼニト・サンクトペテルブルク(ロシア)/6/右足 |
代表/デビュー年 | クロアチア代表/2009年10月8日 |
過去所属 | サウサンプトン(イングランド)、リヨン(フランス)、ディナモ・ザグレブ(クロアチア)など |
クラブ・代表タイトル | クロアチア1部優勝2回、クロアチア杯1回(以上ディナモ・ザグレブ)、クープ・ドゥ・フランス1回(リヨン)など |
個人タイトル | なし |
ボスニア紛争を経験した幼少期
デヤン・ロブレンは、1989年7月5日にユーゴスラビアのゼニツァ(現ボスニア・ヘルツェゴビナ)でクロアチア人の両親の間に生まれた。1991年以降、他民族が共存していたユーゴスラビア連邦の崩壊に伴い民族間の対立が激化。いわゆる民族浄化(民族集団を強制的にその地域から殺害などにより除去させる行為)の状態に陥っていた。ロブレンは後のインタビューで「ずっとサイレンが鳴り続けていた。爆弾が降ってくるのではないかと怯えていた。」と語っている。ロブレンが3歳の時、家族は紛争から逃れるためにドイツのミュンヘンに住んでいた祖父を頼ってドイツに避難。その数日後にボスニアに残った叔父の一人はナイフで殺害されている。以後7年間ドイツで生活。両親は難民申請を繰り返しながら様々な職を転々。父親はギリギリの生活の中でもサッカー好きであった息子をバイエルンの練習場に連れて行くなど精一杯の愛情を注いだ。また、1998年10月3日に弟のダボル・ロブレンが誕生している。
しかし、翌年に市民権が獲得出来なかったため祖国クロアチアのカルロヴァツへと移住することとなる。この地でロブレンを待ち受けていたのは”言語の壁”だった。3歳からドイツで生活していたロブレンは流暢なクロアチア語を話せず、それが原因で周りからイジメられていたそうだ。ただ、”サッカー”をしている時の彼を笑う者はいなかった。この逆境を力に変えたロブレンは、サッカーの練習に励むようになる。そして2002年に自宅から近所のNKカルロヴァツの下部組織に入団。2年後には同国有数の名門クラブであるディナモ・ザグレブへと移籍した。
母国クロアチアでプロデビュー
2006年1月に16歳でトップチームへ昇格。同年7月に経験を積むために当時2部だったインテル・ザプレシッチへレンタル移籍。シーズンの殆どの試合に出場しチームの1部昇格に貢献。翌シーズンもインテル・ザプレシッチにレンタル移籍で残留し、1部の舞台でレギュラーとして経験を積んだ。2008年夏にディナモ・ザグレブに復帰。前年にDFヴェドラン・チョルルカがマンチェスター・シティへと移籍していたこともあり復帰後すぐに定位置を確保した。ちなみに2009年1月までは元サンフレッチェ広島のMFミキッチとチームメイトであった。同年8月にはクロアチア代表から初招集。10月に行われたカタール戦でA代表デビューを果たした。
初の国外移籍
2010年1月13日、フランスの強豪リヨンが移籍金800万ユーロで獲得したと発表した。 加入直後はベテランDFクリスと交互に起用されることが多かったが、翌2010-11シーズンは不動のCBだったジャン=アラン・ブームソンがオリンピアコスに移籍したこともありロブレンが先発に定着。リーグ戦28試合に出場するなど飛躍したシーズンとなった。余談ではあるが同シーズンに行われたUEFAチャンピオンズリーグGS第4節ベンフィカ戦で慣れないLSBとして出場。1ゴールを記録したが全体的なパフォーマンスは酷評され、これ以降サイドバックとして公式戦に出場していない。続く2011-12シーズン、2012-13シーズンは負傷に泣かされながらも主力選手としてチームに貢献した。
イングランド挑戦
2013年6月14日、イングランドのサウサンプトンが移籍金850万ユーロで獲得したと発表した。日本代表DF吉田麻也からスタメンの座を奪い、リーグ戦では負傷欠場した数試合を除きほとんどの試合に出場。第5節リバプール戦ではコーナーキックから決勝点となる移籍後初ゴールを記録し、加入早々にサポーターの期待に応える活躍をみせた。
2014年7月27日、リバプールが移籍金2000万ポンドで獲得したと発表した。同シーズン、リバプールはMFアダム・ララーナ、FWリッキー・ランバートを獲得しておりサウサンプトンから3人目の補強となった。2014-15シーズンはコロ・トゥーレやママドゥ・サコらと併用されながらもCB陣ではマルティン・シュクルテルに次ぐ公式戦38試合に出場。その後のシーズンも継続的に出場機会を得るが、度々致命的なミスを侵すなどムラのあるパフォーマンスで試合によってサポーターの評価は大きく二分される。中でも最も酷評された試合は2017-18シーズン第9節トッテナム戦であろう。4分、12分にあっさり相手選手に自身の裏を突かれ2失点に関与。前半31分に途中交代を言い渡された。このような試合がある一方、同シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ決勝トーナメント後の試合では安定したパフォーマンスを見せるなどクラブの11年ぶりの決勝進出に大きく貢献した。決勝のレアル・マドリード戦ではセットプレーからマネの一時同点となるゴールをアシスト。また守備時にはゴール前に抜け出したベイルをスライディングタックルで止めるなど高いパフォーマンスを披露したが、チームは惜しくも敗れた。
妻との復縁
EURO2016の直前、ロブレンは人生を掛けた選択を迫られていた。当時、ロブレンは2013年に結婚した妻アニタとの間に問題を抱えていた。アニタが高校時代に交際していたダリオ・トルビッチ氏と不倫していたのだ。代表チームを優先するべきか、妻との復縁を目指すべきか。そしてロブレンは2人の子供のことも考えて妻との復縁を決断。よりを戻すためにEURO2016に出場せず、オフに2週間のバカンスに連れて行く事を決意した。このことでロブレンは代表監督と口論。一時的に代表チームから追放されることとなった。結果的にバカンス計画は成功。妻は不倫相手と別れ、ロブレンの元に帰還した。しかしこの代償は大きく、EURO2016から約1年間クロアチア代表の試合に出場することはなかった。
あと少しで…
リバプールでUEFAチャンピオンズリーグ決勝進出に貢献したロブレンは、シーズン終了後に行われたロシアW杯でも大活躍。全試合に出場し、クロアチア史上初の決勝進出に大きく貢献した。決勝戦を前にロブレンは、「みんな俺が世界最高のDFのひとりであることを認め、今後はもうナンセンスなことを言うべきじゃないと思う」と発言。これに対してリバプールのクロップ監督は”正しい”と認めた上で、「それを一貫してやることがもっと重要だ。」と言及した。決勝戦にも先発出場。しかし、3戦連続で延長戦を戦い抜いていたクロアチア代表はフランス代表相手に2-4で惜しくも敗れた。史上初の優勝こそ逃したが、驚きと感動を与えたクロアチア代表は世界中から拍手喝采を受けた。
2018年はUEFAチャンピオンズリーグ準優勝、W杯準優勝と立て続けに”あと少し”の所でタイトル獲得を逃した。これまで様々な逆境を乗り越えてきたロブレンなら今季こそリバプールを念願のタイトル獲得に導けるはずだ。