【矢島慎也】器用なプレーとモデルケースとして抑えたい不器用な移籍

 日本代表戦から一夜明けた6月25日、ひっそりとニュースが飛び込んできた。『矢島慎也、ベガルタ仙台へレンタル移籍』の発表である。何故、と問うには状況がわかりやすく、現状のチームに必要な存在になりきれなかったということだ。移籍先の仙台では、サイドに加えてボランチもできる矢島にはゲームメイクが求められ、復活を期す場となるのだろう。器用なプレーで魅了する矢島も、一つ状況さえ異なれば、ロシアの地に降り立っていても不思議ではなかった。


 浦和レッズのジュニアユース、ユースと浦和の下部組織で育ち、卓越した技術を磨いてきた矢島は、2011シーズンの高校3年時にトップチームへ2種登録されると同年の天皇杯でデビューした。ルーキーイヤーこそ開幕月から出番を得てコンスタントに出場したが、定位置をつかめないまま3年の月日が流れた。2015年、出場機会獲得に向けてJ2ファジアーノ岡山へ武者修行へ出た。
 前半戦はこれまでのオフェンシブなポジションやサイドで出番を得たが、後半戦は監督である長澤徹の指摘と猛特訓の成果もあり、ボランチに活路を見出した。アタッカーの素質こそあるものの、本質は前線でのゲームメイク。守備タスクこそ増えたものの、一列下げたことによって彼のパスセンスやゲームメイク能力は向上した。岡山躍進への貢献、AFC U-23アジア選手権優勝への貢献、リオ五輪メンバーへの選出と能力に加えて得た自信を糧に古巣浦和への復帰を決意する。

 しかし、待ち受けていたのはベンチの日々だった。チャンス…がこない。10月にようやく初得点を決めるものの、気持ちは決まっていた。前年古巣復帰を決断した際に迷ったのは、ガンバ大阪からのオファーだった。そのガンバから2年連続の打診を受けると、気持ちは決まっていた。
 それでも矢島の状況は改善されなかった。開幕スタメンはルーキーのMF福田湧矢に奪われ、J1の出場がなかなか適わない。チーム成績が下降する中、矢島の主戦場はJ3のアンダーチームにあった。トップチームを助けることができず、J3で若手選手たちへのゲームメイクが主となっていった。J1では2試合の出場、J3では9試合と出場数が逆転していた。



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