【選手名鑑】杉森考起の現在地|名古屋が待つ町田での覚醒

 「覚醒した」とはまだ言えない。成長を楽しみに待つファンは長い目で見ている。卓越した技術をもつ名古屋の至宝はゆっくりと成長を遂げている。それでも歯がゆさは残る。名古屋では、離れた町田の地で研鑽を積んでいることを。町田では、いつか名古屋へと戻ってしまうことを。両チームのファンは憂いながらも目を補足して覚醒の時を待っている。

目次



杉森考起のプレースタイルと選手紹介

 小学年代から名を馳せてきた選手だ。名古屋グランパスU-12所属時の全日本少年サッカー大会では9試合で17得点し、優勝の原動力ともなった。
 吉武ジャパンで挑んだ2013年U-17W杯UAE大会では、4-3-3フリーマンの超特殊戦法の体現者として起用された。2014年にはMF坂井大将(現・アルビレックス新潟)と共にブラジルワールドカップのトレーニングパートナーとして帯同。協会含め将来の日本代表選手としての期待をかけられた。
 クイックネスでスキルフルなオフェンススキルを見せ、スムーズにDFをかわす様は必見。フィジカルは強くないため当たり負けするものの、スペースを確保してDFの懐に入り込む動きは秀逸だ。

杉森考起のプロフィール

選手名 杉森考起|Koki Sugimori
出身 愛知県春日井市
年齢/生年月日 21歳/1997/4/5
身長・体重 171cm・58kg
現所属チーム/背番号/利き足 町田ゼルビア/#7/右足
過去所属 名古屋グランパス(町田へレンタル中)

名古屋U-12、U-15伝説の神童

 小学年代から名を馳せてきた選手だ。身体は大きくなかったが、体いっぱいに使ったドリブルで相手をかわす。名古屋グランパスU-12所属時の全日本少年サッカー大会では9試合で17得点し、優勝の原動力ともなった。
 中3時、U-17W杯を目指す代表チーム、通称吉武ジャパンの招集を受けると、『フリーマン』という特殊な戦法を敷くチームの中でFW杉本太郎(現・徳島ヴォルティス)に次ぐ2人目の適性者として定期的な召集を受けることとなる。AFC U-16選手権準決勝シリア戦ではデビューファーストタッチでゴールするなど、潜在能力の一端を見せつけた。2013U-17W杯UAE大会に継続招集されると、カップ戦に対する吉武博文監督の『ローテーション・ポリシー』も相まってグループリーグ3戦中2戦(出場時間49分)と決勝トーナメント・スウェーデン戦のスタメンとして前半45分を戦い切る活躍を見せた。
 杉本に比べればデュエル時の当たり負けも多かったが、1歳異なれば大きく変わるユース年代の大会で1学年下で戦い抜いたことは相当な経験となった。翌2014年、ブラジルW杯のトレーニングパートナー招集は、東京五輪を見据えたものだった。名古屋の至宝、名古屋の神童と呼ばれた杉森の成長は順調に思えた。



形成すべきキャリアとクラブの方向性

 2014年、杉森が高校2年生へと進級する頃にクラブ最年少でプロ契約を締結。前年にリーグ・アン(フランス)のモンペリエから練習参加のオファーが届いていたこともあり、海外からの青田買いを事前に阻止する狙いもあった。期せずしてプロ選手となった杉森だが、選手層の厚い名古屋ではセカンドトップやサイドハーフの3番手扱いだった。2014年と2015年はJ3のU-22選抜で出番を増やした。2016年は名古屋での戦いとなるも、序盤から絶不調だったチームはすぐさま機能不全に陥った。若手の出番はおろか戦術さえままならず場当たり的な状態。監督交代に踏み切るも序盤の出遅れを回復させることはできずに降格。主力を担った選手のほとんどが移籍し、クラブは大解体してしまう。

再起のJ2、育った『名古屋グランパス』への貢献

 選手の大部分が入れ替えとなったチームで、20歳の杉森は既にチームの古参メンバーとなった。移籍希望も表明したが、結果として残留した。経験者が集ってもクラブへの想いやクラブの歴史を共有してきたサポーターにとって杉森の存在は大きかった。
 新指揮官としてやってきた風間八宏も杉森の潜在能力に気づく。「才能やスキルの高さはわかっているし、チームで一番うまい選手だと思っている。だからこそ、もっとやってくれないと困る」と評し、2017シーズンの開幕スタメンにも抜擢した。しかし、風間監督の高い要求に対して応え続けることはできなかった。川崎時代と変わらず、選手パフォーマンスに満足しない場合は前半でも交代させ、翌節ではよほどのことがない限り起用がない。幾度も叱責を食らったものの、這い上がり続けた杉森はの中でたくましさを身につけつつあった。42試合中26試合に出場した実績が裏付けていた。それでも自身のパフォーマンスに納得がいかなかった。

もっと持ち味を出して結果につなげていかないと

 試合への渇望、通年を通した活躍を見越して、2018年は町田ゼルビアへのレンタル移籍を決断。しかし、町田でのスタメン競争にも敗れ、第9節でようやくスタメンを勝ち取る。「移籍してきたのに、なにやってんだろう」悔しさが不意に言葉となって表れた。連続先発となった第10節山口戦でようやく移籍後初ゴールを決めた。最前線から左サイドハーフにポジションを移すと出番も増えたが、納得の成果は上がらない。
「もっと持ち味を出して結果につなげていかないと」
 チームはJ1ライセンスを保持しておらず、仮に2位以内でフィニッシュしても昇格はない。ただ、9月中旬現在、町田ゼルビアは首位争いを演じている。同い年で鹿島アントラーズからレンタル中のMF平戸太貴が町田を、J2を牽引するほどの活躍を見せる中、世代の旗手、名古屋の至宝と謳われた男は今、町田の地で必死に懸命にもがき、自らの道を開拓している。

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年度別出場成績

プロ前





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