【注目チーム】浦和マルティノスも!急成長を遂げるサッカー「キュラソー代表」を徹底解剖!

 カリブ海に浮かぶオランダの構成国キュラソー島。近年、多くのスポーツ選手の来日で日本でもその名を聞く機会が増えてきた。現在、キュラソー島で最も人気を博しているスポーツは「野球」だ。WBCではオランダ代表として2大会連続で準決勝に進出。メジャーの第一線で活躍するアンドレルトン・シモンズ(エンゼルス)や元楽天のアンドリュー・ジョーンズやウラディミール・バレンティン(ヤクルト)もキュラソー島出身だ。
 野球のオランダ代表は主にキュラソー島出身者で構成される一方、サッカーのキュラソー代表は主にオランダ生まれの選手で構成されている。近年、本国オランダからの帰化が増えた結果、4年間でFIFAランキングが100位以上もランクアップ。それでは、浦和レッズFWマルティノスらがプレーするキュラソー代表を紐解いていこう。

首都ウィレムスタットの街並みは、「キュラソー島の港町ウィレムスタット市内の歴史地区」として世界文化遺産に登録されている。

目次

  • 【キュラソー島の文化】
  • 【キュラソー代表の歴史】
  • 【CONCACAFゴールドカップとは】
  • 【選手紹介~GK&DF編~】
  • 【選手紹介~MF&FW編~】
  • 【キュラソー代表が見据える未来】
  • キュラソー島の文化

     キュラソー島は1499年にスペイン人アロンソ・デ・オヘーダとイタリア人アメリゴ・ヴェスプッチによって発見された。元々、先住民が住んでいたがスペイン人に労働奴隷としてこき使われ全滅。1634年、オランダがキュラソー島に進出。スペイン人は島を離れ、オランダ西インド会社により貿易港プンタ港が建設され、島は非常に栄えた。1954年、キュラソー島はアルバ島など付近の島々と共に「オランダ領アンティル」に組み込まれた。2010年にオランダ領アンティルが解体。以後、単独オランダ王国の構成国となった。
     国土はおよそ444km²。北海道の札幌市とほぼ同じ広さだ。人口はおよそ16万人。日本の県庁所在地で最も人口の少ない山梨県甲府市の人口19万人より少ない。人種は多種多様で、オランダ人や奴隷時代に島へとやってきたアフリカ系黒人などによって構成される。キュラソー島はカリブ海に浮かぶ島だが、オランダなどヨーロッパの文化が持ち込まれているため、街並みはヨーロッパの雰囲気そのものだ。美しいカリブ海の自然と美しいヨーロッパの文化が融合されているため「オアシス」とも呼ばれる。キュラソー酒などお酒の産地としても有名。ぜひ1度キュラソー島へバカンスに出かけてみてはいかがだろうか。

    キュラソー代表の歴史

     1954年から2010年にかけてオランダ領アンティルに組み込まれていたため、キュラソー代表としての歴史は非常に浅く、オランダ領アンティル時代を含めてもW杯の出場経験はない。
     近年、本国オランダから帰化する選手が急増。2014年7月時点でFIFAランキングは183位だったが、2018年9月現在はFIFAランキングは81位と北中米カリブ海サッカー連盟(CONCACAF)に属するチームの中では9番目に高い。2017年6月にはカリビアンカップ決勝で強豪ジャマイカに勝利し大会初優勝。翌月に行われたCONCACAFゴールドカップに初出場を果たした。(当時FIFAランキング68位)。大会の詳細は次のページで。

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