- 2018-10-5
- J1, アルビレックス新潟, 柏レイソル
- ジムナスティック・タラゴナ, 鈴木大輔
頼もしい男が柏に戻ってきた。鈴木は、星稜高校からアルビレックス新潟に入団、5シーズンに渡ってプレーした。そして柏レイソルに2013年加入。3シーズンプレーした後スペインへ渡る。2部のクラブでプレーし、一時は中東のクラブから3億円のオファーがあるもスペインでプレーすることを決意。2018年8月クラブを退団し、翌月柏への復帰が発表された。スペインで成長を遂げた男の現在地とは。
鈴木大輔のプレースタイルと選手紹介
鈴木大輔のプロフィール
選手名 | 鈴木大輔|Daisuke SUZUKI |
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出身 | 石川県金沢市 |
生年月日 | 1990/1/29 |
身長・体重 | 181cm・78kg |
現所属チーム/背番号/利き足 | 柏レイソル/#4/右足 |
過去所属 | 2008‐12 アルビレックス新潟 2013‐15 柏レイソル 2016‐18 ジムナスティック・タラゴナ |
アルビレックス新潟での5シーズン
本田圭佑や豊田陽平らを輩出してきた名門星稜高校を卒業した後、2008年アルビレックス新潟に入団。しかし松尾、永田、千代田、内田らのスタメンの座を奪うことは厳しく、出場機会に恵まれずに終える。翌年は天皇杯で初出場を果たすもこの1試合。
そして2010年少しずつ出場機会を重ねていき、2011年には千葉和彦と共にアルビレックス新潟のセンターバックとしてレギュラーに定着した。
2012年はリーグ2位タイとなるシーズン通算34失点の堅守を支え、J1残留に貢献。さらにロンドン五輪日本代表に選出され吉田麻也と日本代表のDFの要となり4位。この活躍により柏レイソルへの移籍が決定。飛躍の年となった。
「新しい環境で新しい挑戦」柏レイソルからスペインへ
柏レイソルへ移籍した鈴木大輔は、移籍した2013年から主力の座を掴みプレー。ヤマザキナビスコカップで優勝、さらにACL(AFCチャンピオンズリーグ)でベスト4に大きく貢献した。14、15シーズンも柏レイソルのDFラインを統率する役割を担い主力として活躍した。
「新しい環境で新しい挑戦がしたいと思う気持ちが強くなった」
この言葉とともに柏レイソルを退団し、2016年スペイン2部のヒムナスティック・タラゴナと契約。新天地での戦いが始まった。
ヒムナスティック・タラゴナでの3シーズン
「1年目は勢いで、2年目は苦しんで、3年目でようやく全体を掌握でき始めた」
練習で毎日100パーセントを出さないと、ポジションどころか、メンバー入りさえ危うい。と語る鈴木大輔だったが、第30節から出場し、その後シーズン終了までフル出場を果たす。昇格プレーオフまで勝ち進むも、あと一歩のところで昇格とはならなかった。
2年目の2017年。34試合に出場し、不動の主力として活躍するも、チームは昨年の3位から14位と低迷してしまう。1部リーグ下位の5,6チームと2部のクラブの力はほとんど変わらないため、このようなことがあるようだ。
そして3年目も安定した出場回数を重ね20試合に出場した。
スペインでの3シーズン。中東のクラブからのオファー(手取りで3億円などヒムナスティックより20倍以上)、Jクラブからのオファーがあったという。しかしどれだけ成長できるか、新しい自分に出会えるか、それらを追求してきた鈴木にとって“お金”は受け入れる理由ではなかった。
一回りも二回りも逞しさを増した鈴木大輔は、『第2の故郷』であるヒムナスティック・タラゴナを2018年退団し、同年9月9日柏レイソルへの2015シーズンぶりの復帰が発表された。
鈴木大輔の動画
年度別出場成績
【リーグ戦】
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年度別来歴
8月19日、3シーズン在籍したジムナスティック・タラゴナから退団したことを自身のインスタグラムで発表した。
2月26日、セグンダ・ディビシオン第27節のレアル・サラゴサ戦では海外移籍後初得点を決めた。
柏レイソルを退団した後はスペイン・リーガ・エスパニョーラのラージョ・バジェカーノへの移籍に向けて交渉していたがまとまらず冬の移籍市場では新天地が決まっていなかったが、2016年2月16日、スペイン・セグンダ・ディビシオンのジムナスティック・タラゴナへの加入が発表された。契約期間は2015-16シーズン終了までで、2年の契約延長というオプションが付けられている。
リーグ戦では3位に入り昇格プレーオフに進出し、準決勝では6位のCAオサスナと対戦した。ホームで行われた第1戦は1-3と落とし、アウェーで行われた第2戦も2-3で敗れてプリメーラ・ディビシオンへの昇格はならなかった。
1月15日、柏レイソルを退団。
10月5日、怪我により辞退した昌子源に代わり、約1年ぶりに日本代表に追加招集された。
1月5日、柏レイソルへの完全移籍が発表。J1第17節清水エスパルス戦で移籍後初得点を記録したが、これはJ1リーグ戦の通算17000ゴール目となるメモリアルゴールであった。7月25日、東アジアカップ2013オーストラリア戦で国際Aマッチ初出場。
ロンドン五輪日本代表に選出され、オーバーエイジ枠で出場した吉田麻也と共にセンターバックを組み、過密日程の中全6試合に先発フル出場。メダルは逃したものの、44年ぶりのベスト4進出に貢献した。
クラブでは最終節まで残留争いに巻き込まれたが、リーグ2位タイとなるシーズン通算34失点の堅守を支えた。
J1第1節アビスパ福岡戦での途中出場をきっかけにチャンスを掴み、徐々にレギュラーに定着。J1第13節浦和レッズ戦でリーグ戦初得点を記録した。
J1第9節ヴィッセル神戸戦でリーグ戦初出場。ナビスコカップグループリーグ第4節京都サンガF.C.戦で公式戦初得点を記録した。同年、各クラブの控えメンバーを中心としたU-21日本代表に選出され、広州アジア競技大会に出場。全7試合に出場し、史上初の金メダル獲得に貢献した。同大会後も関塚隆監督に重用され、ロンドン五輪アジア予選を戦った。
アルビレックス新潟に入団し、翌年、第89回天皇杯2回戦奈良クラブ戦で公式戦初出場。
1歳年上の兄の影響で、小学1年生からサッカーを始めた。
小学2年生の頃に石川県金沢市へ移り住み、地元のクラブ『仲良しスポーツ少年団』に入団。当時のポジションはフォワードで、チームのエースストライカーを務めていた。
中学校進学後はテイヘンズFCの下部組織に所属し、監督の勧めでディフェンダーへ転向。2005年、U-15日本代表に選出された。
星稜高等学校進学後も各年代別日本代表に選出され、2007年、アルビレックス新潟の特別指定選手に登録された。同年、U-17日本代表の一員としてFIFA U-17ワールドカップに出場(グループリーグ敗退)。星稜高校では主将を務め、平成19年度全国高等学校総合体育大会で準優勝を果たしたが、第86回全国高等学校サッカー選手権大会では初戦敗退に終わった。