ベネズエラ人選手の先駆者として欧州の強豪を渡り歩いてきた同国代表の主将「トマス・リンコン」。その容姿からも想像できるように「闘志」溢れるプレーでチームを鼓舞し、そのプレースタイルから付けられたニックネームは「エル・ジェネラル(将軍)」。ドイツ時代には”闘犬ガットゥーゾ”と比較されるなど、ピッチ上での存在感は一際大きい。
南米サッカー連盟に加盟する10ヶ国で唯一W杯への出場経験のないベネズエラ代表だが、近年は野球人口よりサッカー人口の方が増えるなど急激に力を付けている。特に若手選手の実力は世界屈指で、2017年に行われたU-20W杯では準優勝を果たしている。リンコンを初め、FWサロモン・ロンドン(ニューカッスル)、FWホセフ・マルティネス(アトランタ・ユナイテッド)ら実力者と有望な若手選手たちが融合を果たせば、カタールW杯やそれ以降のW杯出場も夢ではないだろう。そんな代表を主将として牽引するリンコンに現在地とは。
- 【選手紹介】リンコンのプレースタイルと選手紹介
- 【選手紹介】リンコンのプロフィール
- 【ヒストリー】母国ベネズエラ時代
- 【ヒストリー】ベネズエラ人史上初のブンデスリーガ移籍
- 【ヒストリー】イタリア上陸
- 【ヒストリー】王者ユベントスへ完全移籍
- 【ヒストリー】半年でライバルクラブであるトリノへ移籍
- 【ディスコグラフィー】紹介動画
- 【ディスコグラフィー】年度別出場成績
- 【ディスコグラフィー】パラメータ・能力値※制作中
- 【年度別来歴】プロキャリア※制作中
- 【年度別来歴】アマチュア時代の評価※制作中
- 【年度別来歴】代表歴※制作中
- 【選手評価】スタッツ※制作中
- 【選手評価】市場価値※制作中
- 【選手評価】能力値変遷※制作中
リンコンのプレースタイルと選手紹介
ニックネームは「エル・ジェネラル(将軍)」。その名の通りピッチ上でリーダーシップを発揮する選手。プロボクサー顔負けの体格の持ち主で、球際に非常に強く、自分より体の大きい選手相手にもフィジカルで負けることは殆どない、また、オフェンス時は自慢の推進力でボールを前に運び、ディフェンス時は抜群のポジショニングと読みを武器に高いボール奪取力を発揮する。右利きの選手だが左足の制度も高い。チームに1人は欲しい選手だ。
闘志溢れるプレースタイルからイエローカードを貰うことも少なくなく、17-18シーズンはセリエAだけで12枚のイエローカードを貰った。ただし、セリエAに移籍した14年以降、退場したことは1度もない。
私生活では2012年にカリナと結婚。2人の子宝にも恵まれ、休日は家族で遊びに連れて行くなどイクメンな一面も見せている。その様子はリンコンの公式Instagram(https://www.instagram.com/tomasrincon8/)で確認できる。
リンコンのプロフィール
選手名 | トマス・リンコン(Tomás Rincón) |
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ポジション | DMF/CMF |
出身 | ベネズエラ/サン・クリストバル |
年齢/生年月日 | 32歳/1988年1月13日 |
身長・体重 | 177cm・76kg |
現所属チーム/背番号/利き足 | トリノ(イタリア)/88/右足 |
代表/デビュー年 | ベネズエラ代表/2008年2月3日 |
過去所属 | ユベントス、ジェノア(イタリア)、ハンブルガーSV(ドイツ)など |
クラブ・代表タイトル | セリエA 1回、コパ・イタリア1回(ユベントス) |
個人タイトル | なし |
母国ベネズエラ時代
トマス・リンコンは、1988年1月13日にベネズエラ西部の都市「サン・クリストバル」に生まれた。UAマラカイボの下部組織出身で、07年1月にサモラFCに完全移籍。1年半プレーした後、ベネズエラの強豪デポルティーボ・タチラへとステップアップを果たす。半年間で18試合に出場するなどチームの主力選手としてプレーした。
ベネズエラ人史上初のブンデスリーガ移籍
2009年1月30日、当時22歳でドイツ・ブンデスリーガのハンブルガーSVへの1年間のレンタル移籍が発表された。これによりリンコンはブンデスリーガでプレーする初のベネズエラ人選手となった。2月26日に行われたUEFAカップ3回戦2nd legナイメーヘン戦で移籍後初出場。その後もDFBポカール準々決勝ヴェーエン・ヴィースバーデン戦やブンデスリーガ第26節ホッフェンハイム戦で途中出場を果たすなど公式戦4試合に出場した。
2シーズン目となった09-10シーズンも序盤はベンチを温める機会が多かったが、第15節ホッフェンハイム戦で先発フル出場を果たすと出場機会が大幅に増加。以後、ほとんどの試合で先発出場を果たしブンデスリーガは17試合、ヨーロッパリーグは9試合に出場した。09年12月には完全移籍での獲得を発表。2014年夏までの契約を結んだ。その後も毎シーズンのように30試合近い出場機会を得た。ちなみに現在ヴィッセル神戸で監督を務めるトルステン・フィンクとは2011年から2013年まで共闘。
イタリア上陸
2014年夏、イタリア・セリエAのジェノアへのフリー移籍が発表された。14-15シーズンの開幕戦ナポリ戦でセリエAデビュー。負傷離脱した試合を除いてほとんどの試合に出場した。15-16シーズンの第13節サッスオーロ戦で欧州移籍後初ゴールを記録。結果、ジェノアに在籍した2シーズン半で公式戦82試合3ゴール12アシストを記録した
王者ユベントスへ完全移籍
2017年1月3日、イタリア王者ユベントスへ完全移籍すると発表された。移籍金は800万ユーロ(約9.8億円)。これによりリンコンはユベントス史上初のベネズエラ人選手となった。移籍後はほとんどの試合に出場したが、先発出場はわずか5試合に留まった。それでもコパ・イタリア決勝ラツィオ戦では先発フル出場を果たし、勝利に貢献するなどタイトル獲得に貢献した。
半年でライバルクラブであるトリノへ移籍
2017年8月11日、同じトリノ市内に本拠地を置くライバルクラブであるトリノへ買い取りOP付きのレンタル移籍で移籍すると発表された。ユベントスは2017年夏にフランス代表MFブレーズ・マテュイディ、ウルグアイ代表MFロドリゴ・ベンタンクールを獲得しており、リンコンの序列は下がっていた。トリノ移籍後はすぐに出場機会を確保。闘志溢れるプレーでチームに貢献し、セリエAではイエローカードの累積による出場停止処分を除く36試合に出場した。18-19シーズンも主力選手として殆どの試合に出場している。ベネズエラを牽引する「エル・ジェネラル(将軍)」の戦いはこれからも続く。
リンコンの動画
《ジェノア時代のプレー映像》
年度別出場成績
セリエA 21試合1ゴール3アシスト
EL予選 5試合0ゴール0アシスト
コパ・イタリア 3試合1ゴール0アシスト
セリエA 34合3ゴール0アシスト
コパ・イタリア 3試合1ゴール0アシスト
セリエA 36試合1ゴール0アシスト
コパ・イタリア 2試合0ゴール0アシスト
セリエA 16試合0ゴール2アシスト
コパ・イタリア 1試合0ゴール1アシスト
セリエA 13試合0ゴール1アシスト
UCL 3試合0ゴール0アシスト
コパ・イタリア 3試合0ゴール0アシスト
セリエA 33試合3ゴール7アシスト
コパ・イタリア 1試合0ゴール0アシスト
セリエA 29試合0ゴール2アシスト
コパ・イタリア 2試合0ゴール0アシスト
ブンデスリーガ 22試合0ゴール0アシスト
プレーオフ 2試合0ゴール0アシスト
DFBポカール 2試合0ゴール0アシスト
ブンデスリーガ 20試合0ゴール0アシスト
ブンデスリーガ 27試合0ゴール1アシスト
DFBポカール 2試合0ゴール0アシスト
ブンデスリーガ 19試合0ゴール0アシスト
DFBポカール 2試合0ゴール0アシスト
ブンデスリーガ 17試合0ゴール0アシスト
UEL 9試合0ゴール0アシスト
UEL予選 2試合0ゴール0アシスト
ベネズエラリーグ 18試合0ゴール
ブンデスリーガ 1試合0ゴール0アシスト
UEFAカップ 2試合0ゴールアシスト
DFBポカール 1試合0ゴール0アシスト
ベネズエラリーグ 33試合1ゴール
ベネズエラカップ 2試合2ゴール
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