【選手名鑑】中島翔哉の現在地|「時の人」ポルトガルでさらなる進化を遂げた小さな天才

目次



中島翔哉のプレースタイルと選手紹介

 

中島翔哉のプロフィール

選手名 中島翔哉|Shoya NAKAJIMA
出身 東京都八王子市
生年月日 1994年8月23日
身長・体重 164cm・64kg
現所属チーム/背番号/利き足 ポルティモネンセ/#10/右足
過去所属 2010-2012 東京ヴェルディユース
2012-2013 東京ヴェルディ(J2)
2014-2018 FC東京(J1)
2014 カターレ富山 (loan)
2014-2015 Jリーグ・アンダー22選抜
2017- ポルティモネンセSC(ポルトガル1部)(10)



中島翔哉の動画

 



年度別出場成績

2018年

 【リーグ戦】

2017年

 【リーグ戦】

2016年

 【リーグ戦】

2015年

 【リーグ戦】

2014年

 【リーグ戦】

2013年

 【リーグ戦】

代表歴

出場大会

U-17日本代表
2011年:スロバキアカップ、U-17ワールドカップ
U-19日本代表
2013年:アルクディア国際ユースサッカートーナメント
U-21日本代表
2014年:AFC U-22選手権2013、アジア競技大会
U-22日本代表
2015年:AFC U-23選手権2016 (予選)
U-23日本代表
2016年:AFC U-23選手権2016
2016年:キリンチャレンジカップ
2016年:リオデジャネイロオリンピック

日本代表

2017年:2018 FIFAワールドカップ・アジア3次予選予備登録
2018年:国際親善試合・キリンチャレンジカップ2018



年度別来歴

2019年

 

2018年

 9月23日、第5節のヴィトーリアSC戦で2得点を挙げて今季初勝利に貢献した。10月7日、第7節のスポルティング・リスボン戦では2得点をあげる活躍をみせて勝利に貢献。

2017年

 8月23日、プリメイラ・リーガ(ポルトガル一部)のポルティモネンセSCへ、2018年6月30日までの期限付き移籍が決定した。ポルティモネンセが公式サイトで発表。9月3日、カップ戦2回戦のシャベス戦で後半から出場して移籍後初出場を果たした。9月8日、第5節のSLベンフィカ戦でスタメン出場をしてリーグ戦デビュー。9月18日、第6節のCDフェイレンセ戦では移籍後初得点を含む2得点の活躍を見せた。10、11月には4試合で3得点を記録し、リーグが選出する同期間の最優秀FWに選ばれた。最終的にはリーグ戦29試合に出場し29試合でスタメン、21試合にフル出場し、10得点12アシストという成績で終えた。

2016年

 1月のAFC U-23選手権では、準々決勝U-23イラン戦での2得点や、決勝U-23韓国代表戦での浅野拓磨による決勝点のアシスト、素早い攻守の切替を体現する運動量でチームの初優勝に貢献し、大会最優秀選手に選ばれた。

 U-23代表での活動により新チーム発足に乗り遅れたことから、U-23チームでのプレーが続いた。自身より若い選手が多いチームにあって難しい役割を強いられる中で、右膝内側側副靱帯の受傷も重なり、J1・1stステージの出場は2試合に留まった。J1・2ndステージでは、中島の長所を尊重する篠田善之新監督の下、FWムリキの負傷に伴い左サイドハーフに配されると、カットインからの鋭いシュートという得意な形からゴールへの積極性を存分に発揮。第11節湘南戦では2試合連続得点となるミドルシュートを決め、同16節の仙台戦では決勝点となる2試合連続のアシストで3連勝に貢献した。

2014年

 依然東京Vでは満足に出場が見込めないことから、同クラブの新体制発表後にFC東京へ完全移籍し、同時に中島の才を買うカターレ富山へと期限付き移籍。富山では中島の加入に合わせて急遽布陣が変更され、FWやトップ下、左サイドハーフに配された。スピード溢れるドリブル突破で好機に絡み前線からの守備に奔走するも、味方のサポートが及ばずに孤立する場面も多く自身のシュートミスも重なって得点は伸びなかった。

 8月25日、FC東京へ復帰。シーズン半ばを過ぎ主戦力が固まっている中、途中出場からのチャンスメークで貢献。

2013年

 高橋の退任もあって先発出場が激減し、2得点に留まったが、そのいずれもが決勝点となった。J2第35節群馬戦で決めた得点は、同年のJ2最優秀ゴール賞に選出された。

2012年

 2月、2種登録選手に登録されトップチームに帯同。同年9月より監督に就いた高橋真一郎によって抜擢され、天皇杯2回戦のH大分戦で途中出場し、トップチーム初出場。同月14日のJ2第33節福岡戦でJリーグ初出場。同点となるゴールを挙げ、チームの連敗脱出に貢献した。翌10月に東京Vとのプロ契約締結が発表された。同月に行われたJ2第39節栃木戦ではハットトリックを記録。18歳59日での達成により松波正信のJリーグ最年少記録を塗り替えた。

プロ前

 6歳の時にサッカーを始めるも、同時期に両親が離婚し、母子家庭に育ち、2つのサッカースクールとフットサル教室に通っていた。
 2004年より東京ヴェルディの下部組織に加入。中学生時にはブラジルへのサッカー留学も3度経験した。2010年には東京都選抜の一員として国体で優勝。2011年にはクラブユース選手権で連覇を果たし、自身もベストヤングプレーヤーに選出された。また、2012年にはオランダのアヤックス・アムステルダムに短期留学している。



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