【選手名鑑】柴崎岳の現在地|「不言実行」スタイルで挑むスペインでの苦境からの脱却

 「不言実行」・・・表面に出さず陰で誰よりも厳しい努力を積み重ねてきた男、柴崎岳。そのスタイルを作るきっかけともなった恩師との出会い・言葉。青森山田から鹿島へ、そして“銀河系軍団”に2ゴールを奪ったあの瞬間、彼は世界中に知られることになる。2017年スペインへ旅立った柴崎だったが、慣れない環境に適応できず苦しむ日々が続く。
 その苦悩を乗り越えた彼の現在地とは。

目次



柴崎岳のプレースタイルと選手紹介

 「リンゴ・スター」という愛称は小笠原満男からつけられたもの。ルックスも良くスター性があり青森県出身であることから。

柴崎岳のプロフィール

選手名 柴崎岳|Gaku SHIBASAKI
出身 青森県上北郡野辺地町
生年月日 1992年5月28日
身長・体重 175cm・64kg
現所属チーム/背番号/利き足 ヘタフェ/#10/右足
過去所属 2008-2010 青森山田高校
2011-2016 鹿島アントラーズ(J1)
2017 CDテネリフェ(スペイン2部)
2017 ヘタフェCF(スペイン1部)



恩師 黒田剛との出会い

 「一人だけ次元が違った。」
 2004年、地元・青森の大会で当時小学6年生の柴崎少年を見た青森山田高校の黒田剛監督が語る。これが最初の出会いだった。その少年に魅了された黒田は、系列の青森山田中学校へ勧誘。中学2年で高校生の練習に参加させ、3年の時は日本ユースや東北のプリンスリーグに全試合出場させるという最高の環境を与えた。しかしこの才能に恵まれた少年に、足りないものがあった。黒田は少年に言う。
 「自分に足りないものを自分で見つけて、自分で克服する力がないと、日の丸をつけるのは無理だ」
 当時中学生と幼い少年は、この言葉を機に高校卒業するまでの6年間、チームの朝練習前、夜が明けきらない午前4時から自主的に練習に努め、練習後も自主練習に明け暮れた。
 たくましくなった柴崎は、高校1年で柏、高校2年には鹿島の練習へ参加。高校2年の選手権で準優勝、この大会後鹿島アントラーズと仮契約を結び、2011年に正式契約を結んだ。

世界に轟いた“柴崎岳”の名

 当時J史上最速契約で鹿島と仮契約を結んだ柴崎。1年目から持ち前のパスセンスや、運動量で鹿島の司令塔として活躍した。2015年には22、23歳にしてキャプテンマークを巻いてプレーすることも。
 そして迎えた2016年。J1でリーグ優勝を果たした鹿島がクラブワールドカップに開催国枠として参加した。周りのクラブは各大陸の王者達。鹿島は初戦のオークランドシティで勝利を収めると、その後順調に勝ち進み決勝まで歩みを進めた。相手は“銀河系軍団レアル・マドリード”。観客数68,742人。世界各国が注目した。そこで柴崎岳は2ゴール。鹿島は惜しくも延長線の末破れてしまったが、銀河系軍団相手に2ゴールをあげた『柴崎岳』という名は世界に轟いていた。
 この活躍で柴崎は、翌年2017年にスペインへ旅立つ。

スペインでの苦悩

 スペイン2部リーグのCDテネリフェへ移籍を果たし自身初の海外挑戦となった柴崎。そこに待ち受けていたのは新太な環境という不安だった。わずか2日間トレーニングしただけで胃腸炎と見られる嘔吐。以降の練習を欠席。クラブ側も「柴崎は不安障害の可能性が高いため、心理療法士の治療が必要と判断した」と発表するほどだった。「6キロの激痩」や「ホテルの部屋から一歩も出ない」という報道もあり、その環境に適応するには時間がかかった。
 約1ヶ月後の3月1日。困難を乗り越えた柴崎は全体練習に参加し、3月18日の第30節に初出場。テネリフェで16試合に出場した後、2017年7月スペイン1部(ラ・リーガ)のヘタフェCFへ完全移籍。背番号は10。エースとして期待された。そして第4節バルセロナ戦にて豪快な左足でのボレーシュートを決める。試合には破れたもののレアル・マドリード、バルセロナというビッククラブからゴールを決めた唯一の日本人選手となった。
 18/19シーズン、柴崎は所属クラブでベンチ外というまたしても困難に巡り合っている。

柴崎岳を指導した監督達の評価

・恩師黒田剛(中学~高校の約6年間) 
 「中学時代から誰よりも寡黙で、誰よりも自分に厳しい男だった」
・オズワルド・オリヴェイラ(鹿島加入の2011年を指揮)
 「まだ足りない部分はあるが、性格も強いし競争心も高い。今持っている意識を持続していけば、アントラーズというチームだけではなく、日本のサッカーに貢献できる選手に成長していくと思う」
・ジョルジーニョ(2012年)
 「まだ20歳だがベテランのような落ち着きがあるし、運動量も豊富。彼の指導者であることは光栄に思うし、おそらくヨーロッパで活躍する選手になると思う」
・トニーニョ・セレーゾ(2013~2015)
 「プロ意識の非常に高い選手ですし、クラブハウスに一番最初に来るメンバーの一人でもある。どんな練習でも嫌な顔をせず、与えた練習や要求に対してつねに向上心を持って取り組む。自分がレベルアップするための努力を惜しみません。」
・石井正忠(2015~2016)
 「喋らないけど、同じ練習メニューでも隣の選手より絶対に多くやる、負けん気の強さを感じた」

 柴崎岳は、寡黙だが内に秘めた闘志は誰よりも強い。そして誰よりも努力を惜しまない。今現在(2018年)クラブで苦しむ柴崎だが、『努力を惜しまない天才』は必ず一回りも二回りも大きくなって戻ってくることだろう。

柴崎岳の動画

 



年度別出場成績

18/19シーズン

 【スペイン1部】2試合(2018年10月12日現在)

17/18シーズン

 【スペイン1部】22試合1ゴール

16/17シーズン

 【クラブワールドカップ】4試合2ゴール

 【スペイン2部】12試合1ゴール2アシスト
 【昇格プレーオフ】4試合1ゴール1アシスト

2016年

 【リーグ戦】31試合3ゴール9アシスト
 【リーグカップ】4試合
 【天皇杯】4試合1ゴール4アシスト
 【Jリーグチャンピオンシップ】2試合
 【スルガ銀行チャンピオンシップ】1試合

2015年

 【リーグ戦】28試合5ゴール10アシスト
 【ACL】6試合2ゴール2アシスト
 【リーグカップ】1試合1アシスト

2014年

 【リーグ戦】34試合6ゴール7アシスト
 【リーグカップ】6試合1アシスト
 【天皇杯】1試合

2013年

 【リーグ戦】34試合2ゴール4アシスト
 【リーグカップ】8試合
 【天皇杯】2試合
 【スルガ銀行チャンピオンシップ】1試合2アシスト

2012年

 【リーグ戦】31試合1ゴール2アシスト
 【リーグカップ】9試合3ゴール2アシスト
 【天皇杯】4試合1アシスト
 【スルガ銀行チャンピオンシップ】1試合

2011年

 【リーグ戦】13試合
 【リーグカップ】3試合1ゴール
 【天皇杯】3試合
 【ACL】1試合

代表歴

 A代表初出場・初得点 – 2014年9月9日 キリンチャレンジカップ vs.ベネズエラ代表(横浜国際総合競技場)

出場大会

U-17日本代表
2009年 – FIFA U-17ワールドカップ(グループリーグ敗退)

日本代表

2015年 – AFCアジアカップ2015(ベスト8)
2015年 – 2018 FIFAワールドカップ・アジア2次予選
2015年 – 東アジアカップ2015(4位)
2017年 – 2018 FIFAワールドカップ・アジア3次予選
2018年 – 2018 FIFAワールドカップ(ベスト16)



年度別来歴

2019年

 

2018年

 6月、ロシアワールドカップのメンバーに選出された。グループステージ3試合、決勝トーナメント1試合に出場し、決勝トーナメント1回戦のベルギー戦では、原口元気の先制点をアシストした。ロシアW杯の日本代表の中心としてチームのベスト16に貢献。

2017年

 1月31日に、自身初の海外挑戦となるスペイン2部リーグのCDテネリフェへの移籍がテネリフェの公式HPに正式に発表された。移籍後、慣れない環境への順応に苦しんだが、地元の日本食レストランなどで英気を養い、2月23日から施設での練習を再開。3月1日から全体練習に合流した。3月18日、第30節のレウス・デポルティウ戦で途中出場からスペインデビューを果たした。4月3日に行われた第32節のレアル・オビエド戦で移籍後初先発を果たした。誕生日である5月28日に行われた第40節のADアルコルコン戦で移籍後初得点となるバースデーゴールを挙げた。6月18日、昇格プレーオフ・準決勝のカディスCF戦では2ndレグで決勝ゴールを決めて決勝進出に貢献した。昇格プレーオフ決勝・ヘタフェCF戦では、1stレグ、2ndレグともにアシストを記録するが、チームは敗れてしまい1部昇格を逃した。

 7月17日、テネリフェがプレーオフで敗れた相手であるスペイン1部昇格を果たしたヘタフェCFへの完全移籍が発表。背番号は鹿島時代と同じ「10」。8月20日、開幕戦のアスレティック・ビルバオ戦でスタメンからスペイン1部デビューを果たし、9月16日第4節のFCバルセロナ戦で初ゴールを決めた。このゴールは、リーグ戦とCLで無失点を続けていたバルセロナのGKマルク=アンドレ・テア・シュテーゲンの無失点記録を破るゴールでもあった。ちなみに柴崎の前にテア・シュテーゲンから得点を挙げていたのは16-17シーズン最終節に決めたSDエイバルの乾貴士であった。柴崎は鹿島時代にクラブW杯でレアル・マドリードからも得点を決めており、ビッグクラブであるレアルとバルセロナの両クラブから得点を奪った初の日本人となった。しかし、この試合で負傷し途中交代。試合後に左足中足骨の骨折と発表され、手術し最大2ヶ月と離脱となってしまった。

2016年

 本山雅志のギラヴァンツ北九州への移籍により、日本人2人目となる背番号10を背負うことになった。2ndステージになると本職のボランチだけでなく、左右のサイドハーフとしてレギュラーに定着した。

 12月18日、クラブワールドカップの決勝ではレアル・マドリードと対戦し、レアル相手に2得点をあげるも逆転負けをしてAFC所属クラブ初のクラブワールドカップ準優勝に終わった。

2015年

 第94回全国高校サッカー選手権の大会応援リーダーに就任した。

2014年

 チームメイトの遠藤康とともに、常陽銀行の9代目イメージキャラクターに就任。9月16日には、8月のJ1月間MVPを受賞。12月9日のJリーグアウォーズで、Jリーグベストイレブンを初受賞した。

2012年

 11月3日、ナビスコカップ決勝の清水エスパルス戦で2得点を挙げる活躍を見せ、鹿島のナビスコカップ連覇に貢献し、最優秀選手賞を受賞。12月にはJリーグアウォーズにてベストヤングプレーヤー賞を受賞した。

2011年

 4月29日、J1第8節アビスパ福岡戦で後半40分からJリーグ初出場を果たした。10月9日、ナビスコカップ準決勝の名古屋グランパス戦で公式戦初得点を挙げ、決勝までの3試合全てで延長120分をスタメンフル出場した。

プロ前

 地元の野辺地SSSへ参加し、サッカーを始める。小学6年の時に県大会優勝に貢献するなど、この頃から県内では名が知られていた。青森山田高校サッカー部の黒田剛監督は「一人だけ次元が違った。小学生なのにあれだけ周りが見えていて、プレーに変化をつけることが出来る」と、出会った当時の印象を語っている。黒田の勧誘を受けた柴崎は中学から親元を離れて青森山田中学に入学。中学3年でレギュラーの座を獲得すると、全国中学校サッカー大会でチームを準優勝に導く原動力となった。

 青森山田高校に入学すると1年生にして、チームの司令塔として背番号10を背負う。2009年、2年生の時には1学年先輩である椎名伸志とボランチを組み、櫛引政敏らと共に第88回全国高等学校サッカー選手権大会で準優勝の成績を収めた。大会後、高校2年生の時点で鹿島アントラーズと仮契約し、2011年1月19日に正式契約を交わした。

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