【選手名鑑】宮市亮の現在地|ドイツを駆ける快速ウインガーのプレースタイル

久しぶりの公式戦のピッチを踏みしめた13分後、待望の瞬間は訪れた。2018-19シーズンブンデスリーガ2部第6節インゴルシュタット戦で宮市亮は2年4ヶ月ぶりにゴールを決めた。宮市自身にとっても念願のゴールだったが、宮市以上に待ち望んでいたのは、二度の大怪我を支え続けたザンクト・パウリのスタッフ陣とサポーターだったかもしれない。このゴールが決勝点となり、ザンクト・パウリはアウェーで勝利(0-1)を収め、宮市はチームに勝点3をもたらした。
 奇しくも、「亮」がゴールを決める6時間前、日本では弟である宮市剛が決勝ゴールを決めていた。ザスパクサツ群馬に対してアウェー戦で臨んだグルージャ盛岡に勝点3をもたらし、こちらも0-1で勝利を収めた。

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宮市亮の選手紹介

 ドイツ・ブンデスリーガ2部のザンクト・パウリに所属する宮市亮は2017年、トレーニングで行われた紅白戦で右膝前十字靭帯を断裂し、復帰戦となった2018年4月に出場13分で悪夢の負傷交代を余儀なくされた。右膝前十字靭帯断裂の診断も覚悟したクラブ側は、『今後も宮市の復帰を十分にサポートする』と発表し、、地元紙『ハンブルガー・モルゲンポスト』は「25歳の若さでキャリアの終わりに迫る」と厳しい論調も起こった。しかし検査の結果、靭帯の炎症だと判明。さらにこの検査で前回手術の確実な成功が確認された。安堵した宮市は膝の様子を見ながら日々トレーニングをこなしており、7月には練習試合に出場できるほどにまで回復。2018年9月22日のインゴルシュタット戦で復帰した。




高校サッカーから海外へ、日本中が期待したプラチナ世代の一員

 愛知県出身の宮市は、小学生の時からサッカーを始めた。中学生になると地元のクラブチームであるシルフィールドFCジュニアユースへ入団。誰も追いつくことができないほどの爆発的な快速がウリのウインガーの名声は地元にとどまらず、U-14、U-15と日本代表に選出されるなど、順調にキャリアを積み上げていった。高校は愛知県のサッカー強豪校、中京大中京に入学し、選手権優勝を目指して粉骨砕身した。高校2年時にはU?17W杯に日本代表としてFW宇佐美貴史(現・デュッセルドルフ/ドイツ)やMF高木善朗(現・アルビレックス新潟)らとともに出場。この1992年世代は他にもMF柴崎岳(現・ヘタフェ/スペイン)やFW武藤嘉紀(現・ニューカッスル/イングランド)などを有した「プラチナ世代』と呼ばれ、日本サッカー界を盛り上げるだろうと大きく期待された。
 同年冬年の選手権大会でも、1年時からレギュラー入りしていた宮市は100メートル10秒台という驚異的なスピードを生かした攻撃的なプレーで相手を圧倒、チームは県大会を突破し、全国大会の一回戦でも勝利を収めた。しかし続く二回戦は選手権史上の伝説的試合として語られることとなる。中京大中京は神村学園に2?10で大敗北したのだ。神村学園の10得点という数字は選手権における1試合の最高得点に並ぶ。この試合をベンチで見ていた宮市は全国の厳しさを痛感、全国優勝に向け新たな気持ちで高校最後の一年間を歩むこととなる。
 選手権が終了後、ドイツ・ブンデスリーガFCケルンの練習に参加し、海外リーグに興味を持ち始める。3年夏にはイングランド・プレミアリーグのアーセナルの練習に参加、監督アーセン・ベンゲルから高く評価されて18歳にしてアーセナルと契約を結んだ。契約期間は5年、日本中を驚かせた。
 最後の選手権大会は惜しくも全国大会一回戦敗退という結果に終わったが、キャプテンとしてチームを牽引し、前年に引き続き大会優秀選手にも選ばれている。高校卒業後はすぐさま海を渡りアーセナルへ、「プラチナ世代」の中でも最も注目されていた選手は、日本人最年少で欧州ビッグクラブへと加入する。19歳で日本代表にも初選出され、将来有望な若手として大いに期待された。



高校から世界へ、怪我に悩み続ける日々

 アーセナル、ベンゲル監督の強い期待から高校3年の12月にアーセナルとの長期契約を果たしたものの、イングランドの就労ビザ基準を満たしていなかった宮市は、オランダ・エールディヴィジのフェイエノールトへレンタル移籍で武者修行することとなった。フェイエノールトでは出場12試合3得点4アシストとプロのルーキーイヤーとしては世界でも屈指の成績を残すと、アーセナルの監督ベンゲルはがレンタル終了後の宮市をトップチームのメインチームで起用することを公式サイトで発表した。アーセナルの特別措置で英国就労ビザを得て2011-2012シーズンに復帰し、メインチームでの出場のために戦術をインプットしていた矢先、一度目の悲劇が起こる。
 2011年11月、控え選手の実戦機会の提供のために行われているリザーブリーグで負傷し離脱。結局前半戦の出場試合数は2試合のみだったことから、2012年1月にレンタルでボルトンへ移籍し、2月にはウィガン戦で日本人プレミアリーグ最年少出場を果たした。ボルトンではFA杯での得点、またリーグ戦での2アシストなどの活躍を見せたものの、チームは2部降格、宮市自身も肩の負傷などから調子をトップフォームに戻すことができずにシーズンを終えた。
 ボルトンとの契約期間が終了し、2012-2013シーズンはウィガンにレンタルで加入するも、11月に、リバプール戦で右足首を捻挫し戦線離脱。その後3月に112日ぶりに公式戦復帰するも相手選手のタックルで右足靭帯負傷、シーズン内復帰は絶望的となった。2013-2014シーズンにアーセナルへ復帰すると、2013年は国際親善試合やCLでの出場機会を与えられるも、活かすことはできなかった。リーグ戦も1試合のみの出場となり、2014年3月にはハムストリングスを負傷して戦線を離脱した。
 2014年9月、シーズン途中でオランダ・エールディヴィジのトゥエンテへレンタル移籍をしたのち、2015年6月にアーセナルの選手保有リストから外れたことで、2015-2016シーズンから現在所属中のドイツブンデスリーガ2部のザンクト・パウリにフリー移籍した。しかし移籍直後の練習試合で左膝前十字靭帯を断裂。過去最長の離脱を余儀なくされた。2016年4月、ようやく怪我から復帰してシーズン初出場を掴み取ると、5月のカイザースラウテルン戦にて2得点1アシストの活躍を見せる。小さな怪我を重ねたためそれ以降は活躍の機会を失っていたが2017年6月の練習中の紅白戦にて今度は右膝前十字靭帯を断裂、2018年4月に公式戦復帰するが13分で負傷交代してしまった。



ザンクト・パウリへの感謝

 宮市亮は、2017年6月に負った右膝前十字靭帯断裂からの復帰を目指している。高校卒業直後から海外サッカーの世界に飛び込み、レンタル移籍で加入したそれぞれのチームで怪我に悩まされた。チームやサポーターからの期待に応えられるだけの時間があまりにも少なかった。その中でも契約期間中の殆どをリハビリに充てたザンクト・パウリは、2018年6月にが迫っていた契約期限を1年延長することに決めた。これに対し宮市は「クラブにはとても感謝している、この信頼に応えられるようにできるだけ早くピッチに帰ってこれるように全力を尽くす」と述べた。また2018年5月に行われた試合前のアップではチームメイト全員が背中に『You’ll Never Walk Alone(俺たちが付いている)』の略語である『YNWA』のプリントが入ったシャツを着て宮市を励ました。
 7月には練習試合に途中出場、以前のようなキレのある走りを幾度となく披露し、9月に行われた下位チームとのテストマッチではセンタリングを頭で合わせて得点、他にもスピード活かしてキーパー前でスルーパスを受けるという惜しい場面も見せていた。
 怪我の間支えてくれたザンクト・パウリへの感謝を忘れることはない。ドイツのピッチで世界屈指の快速ウインガーの躍動する姿が見られるまで、あと少しだ。

宮市亮のプレースタイル

 50メートル5秒台という快速やストライドの大きなドリブルは、FWルイス・スアレス(バルセロナ/ウルグアイ代表)、FWクリスティアーノ・ロナウド(ユベントス/ポルトガル代表)など海外選手のようなダイナミックな突破力を想起させる。強い体幹を駆使した縦への動きは、日本人選手では特異であり、多少のタックルをものともしない推進力がある。加速力・突破力は歴代屈指。ウイングにスピードを持った選手が配置されているだけで相手にとっては脅威となるであろう。




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