「小さい頃から目標。 エスパルスから日本代表に出るというのが自分の目標でもあったので。岡崎さん以来ということで、サポーターの方々も期待してくれていると思うので、自分のやっていること、これまでやってきたことをピッチの上で出せればと思っています」
幼き頃からの目標であった日本代表メンバー入りを「スタートライン」と形容した北川航也。ユース年代では得点を量産する無双自体が長く続き、「怪物」と形容された。プロ入り4年目。ようやく『オレンジ』から『ブルー』へ飛び立つ男はどこか、先輩である「岡崎慎司」も想起させる。彼の現在地に至るまでを振り返ろう。
- 【選手紹介】北川航也のプレースタイルと選手紹介
- 【ヒストリー】「怪物」と評された北川航也が96ジャパンでU-17W杯に出られなかった理由
- 【ヒストリー】悔しさを味わったU-17W杯後に残した爪痕
- 【ヒストリー】4年連続の苦悩
- 【ヒストリー】前だけを見て、ゴールだけを見て染み込ませた本能
- 【ヒストリー】優良外国人FWに育てられる日本人エースストライカー
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北川航也のプレースタイルと選手紹介
「抜群なサッカーセンス」を持ち合わせており、足元の技術やスペースへ入り込む動きのタイミングの良さが突出している。ただ、個人打開タイプではないため、調子のバロメーターは場面単位での状況判断で窺える選手。特に、2018年はクリスランやドウグラスといった動き出しや引き出しの多さを特徴とする選手と2トップを組む機会が多くあることで、自らの新たな引き出し構築がなされている。
「怪物」と評された北川航也が96ジャパンでU-17W杯に出られなかった理由
1996年世代でも北川航也という逸材はユース年代トップクラスの化物だった。中学入学と同時に清水エスパルスジュニアユースへ加入すると、中2・中3と日本クラブユースサッカー選手権(U-15)では連覇。中3時には優勝だけでなく大会MVP・得点王も獲得している。
得点をとることに長けた選手であるが、抜群の身体感覚でどのポジションでもトップレベルでこなしてしまうセンスの良さは彼にとって少し仇となった時期もある。エスパルスジュニアユースや、U-14、U-15日本代表でも、FWだけでなく、サイドやボランチの位置で起用されることもあった。しかし、それでも結果を残してしまうのだから、指揮する側からすれば重宝できる選手だった。
ユースへあがると高校2年時には既にエースとなっていた。静岡県内では、2011年の震災の影響もあり活動拠点を静岡へと移していたJFAアカデミー福島のエース金子翔太と共に人気実力を二分する逸材として名を轟かせ、2013高校プレミアEASTでは金子が16点、北川が14点とランキング1位・3位に輝いた。しかし北川は、同年に行われたU-17W杯へ招集されることはなかった。中学年代から代表常連として名を馳せたが、U-17日本代表吉武博文監督が掲げた「フリーマン・ワイドトップ・ローテーションポリシー」の戦術スタイルにあって『エースストライカー』を排除したために起きた事象だった。中央のフリーマンのポジションでは身長の低い敏捷性に優れたFW杉本太郎とMF杉森考起が起用され、大型エースストライカーの北川がテストされたのはまさかのDFだった。試合内でもポジションを随時変更するスタイルだったが、「ストライカーを置かないシステム」の中では個性を出しきれず、本大会ではまさかの落選となった。
悔しさを味わったU-17W杯後に残した爪痕
2013U-17W杯で落選した北川だったが、チーム解散後に発足したU-18日本代表で臨んだ第26回バレンティン・グラナトキン国際フットボールトーナメントで本領を発揮する。チェコ、ギリシャ、アゼルバイジャンと倒して挑むトルコ戦で大会初得点を上げると、最終ロシア戦では2得点で日本を大会初の優勝に導いた。また大会最優秀FWを獲得。U-17W杯で世界中にセンセーショナルを与えた強烈なパスサッカーを与えたメンバーに、CB進藤亮佑ら専門のディフェンダーとFW北川航也ら専門のストライカー、そしてMF奥川雅也ら負傷のために選出されなかったメンバーたちが奏でたサッカーは猛威を奮った。
これで挑んだ高校3年だったが、序盤に負傷し、1年間尾を引いてしまう。これまでの活躍が実っていたこともあり、トップチーム昇格こそ決定したが、2年連続で歯がゆさを味わうこととなってしまった。
4年連続の苦悩
2015年、プロデビューは初年度から上々だった。早々とデビューすると5月ヤマザキナビスコカップ名古屋グランパス戦でプロ初得点。順風満帆なルーキーシーズンの最中、翌年のU-20W杯出場をかけたAFC U-19選手権のメンバーに選出される。そのメンバーには、GK中村航輔、MF井手口陽介、FW南野拓実ら後の日本代表を支えることになる高校プレミアで鎬を削りあった選手たちがいた。清水からはGK高木和徹、DF三浦弦太、MF金子翔太も選出された。
ただ、まだプロの世界で「実績」と呼べるだけの活躍を見せていたのは学年的には2つ上となる南野拓実が唯一であり、いつしかチームは南野頼みとなった。辛くも決勝トーナメントに進出こそしたが、準々決勝北朝鮮戦でPK戦の末に敗れた。最後の最後、外してしまったのは南野だが、ここまで幾多の刹那で頼り、チーム最高の4得点を叩き出したエースを責めるものはいなかったという。これでチームとしてU-20W杯の出場を逃し、この世代が世界の空気感を知る機会を失ってしまった。北川は後半から出場したものの、得点を奪うこと無く大会を終えた。
2016年1月、世代として世界の空気を知ることができる最後の大会リオ五輪をかけたAFC U-23アジア選手権が始まった。元々4学年が集う五輪単位の考え方において、弟世代とも呼ばれる下級年代からの登用は少ない。前年末に負傷を負いながらも怒涛の活躍でレンタル先のアビスパ福岡の昇格に貢献したGK中村航輔を除けば、MF井手口陽介、MF三竿健斗、MF南野拓実、FWオナイウ阿道の4名が招集されたのみで、北川の名前が呼ばれることはなかった。それもそのはず、北川の所属する清水エスパルスはチーム初のJ2降格の憂き目にあっていた。
前だけを見て、ゴールだけを見て染み込ませた本能
96世代の一番前を走っていた北川航也だが、MF三竿健斗が鹿島アントラーズへ移籍して出番を掴み、MF鎌田大地がサガン鳥栖で堂々の主力。MF井手口陽介は名門ガンバ大阪のボランチに定着、MF奥川雅也は早々とオーストリアへ飛び立った。
同じ世代がアジア予選はチームのキャンプ中、リオ五輪本大会期間はJ2のリーグ戦で戦い続けた。前だけがむしゃらに見続けて得点を取ることに奔走した北川はJ2で30試合に出場し9得点を上げ、プロとしてのスタイルを身につけつつあった。翌年J1に返り咲いたチームでも主力の一人で過ごした。この頃から北川のゴールはややダイナミックさを伴い始める。国内だけでなく海外紙も北川に注目を集めだした。イタリアの『トゥットメルカート・ウェブ』は「非常に俊敏なフォワードで、ゴールエリアから遠くにいてもこぼれ球に反応するため、そして、左右からのクロスに対応するためにゴール前に走り込んで来る。特に、その継続的な動きと、強靭なフィジカルをもったディフェンスを乗り越えてまで、ペナルティエリアに入り込む能力を持っている点は岡崎と瓜二つだ」と述べたほどだ。
優良外国人FWに育てられる日本人エースストライカー
瓜二つと評されたFW岡崎慎司はFWヨンセンとツートップを組むことで日本代表まで駆け上がった。FW田中達也がFWエメルソン、FW我那覇和樹がFWジュニーニョに育てられたように。北川航也の元にも今夏、お手本となる相棒FWが清水エスパルスに加入した。
2015年サンフレッチェ広島で猛威をふるい、中央やヨーロッパを渡り歩いたFWドウグラスが清水エスパルスに加入した。FC東京など、J1数クラブが触手を伸ばしたが、「一番最初にオファーをくれたから」との理由だけでドウグラスは清水加入を決断する。
17節から加入し、13試合で9得点する助っ人FWの相棒を組みながら、2016J2、2017J1で着々と進化しつつあった北川航也の動き方にも変化が生じた。
・スペースやこぼれ球を捉える動き
に加えて
・ディフェンダーの視界から外れる動き
・ディフェンダーの背後に出没する動き
さらには、
・中央で決めきるためにあえてサイドへポジションを取り、中央へステップワーク
など「決定力」を活かすためのバリエーションと必勝パターンが構築し始めた。
ガンバ大阪、FC東京、ジュビロ磐田の3チームから連続して得点したことで国内の評価は高まった。森保一代表監督視察試合でも連続して得点したことが決定打となり、既に発表されていた10月シリーズの日本代表への追加招集が決定した。非公式でのロシアの大会を除けば、U-17、U-20、五輪と全てのユース年代の世界大会を棒に振ったユース年代の怪物は、ついに世界相手にベールを脱ぐ。
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