果敢なドリブル突破から“ブルドーザー”の異名を持ち、中山雅史から高校時代に命名された“ギュンギュン”(一瞬のギアチェンジとスピードを形容した模様)などドリブル突破からのチャンス演出を得意とする山崎。しかし、山崎には2008年に3度の手術、甲状腺機能亢進症を発症し復帰するまでに1年2ヶ月をかけたという苦難の歴史がある。その苦難を乗り越えた山崎は徐々に出場機会を増やし、2018年柏に完全移籍。苦難を乗り越えた強き男の現在地とは。
山崎亮平のプレースタイルと選手紹介
山崎亮平のプロフィール
選手名 | 山崎亮平|Ryohei YAMAZAKI |
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出身 | 新潟県南魚沼市 |
生年月日 | 1989/3/14 |
身長・体重 | 173cm・76kg |
現所属チーム/背番号/利き足 | 柏レイソル/#11/右足 |
過去所属 | 2007-14 ジュビロ磐田 2015-17 アルビレックス新潟 |
山崎亮平の動画
年度別出場成績
【リーグ戦】
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年度別来歴
1月9日、新潟から柏レイソルへの完全移籍が発表。
1月、アルビレックス新潟への完全移籍。
背番号が25から9となり、磐田では2009年まで在籍した中山雅史以来の9番をつける選手で、2人目となった。
2月5日に行われたロンドン五輪アジア最終予選第4戦のシリアとの試合にスタメン出場をしたが、相手選手との競り合いでの着地の際に、バランスを崩し、左橈骨(とうこつ)を骨折し、負傷退場となった。その後、全治2ヶ月との診断結果が出た。
復帰後は主に途中出場ながら徐々に出場機会を得、ナビスコカップ準決勝川崎フロンターレ戦ではチームを決勝へと導くアウェイでの逆転ゴール、決勝サンフレッチェ広島戦では結果的に決勝点となる4点目を挙げ(スコアは2-2から延長戦の末5-3)、優勝に大きく貢献した。
またU-21日本代表にも選ばれ、ナビスコカップ直後の第16回広州アジア競技大会では第1戦での先制点など通算2得点を挙げ、代表の優勝にも大きく貢献した。
再度の骨折により、リハビリを行なった。
カタール国際ユーストーナメントでも得点王とMVPとなる活躍でU-19代表を優勝に導いた。北京五輪日本代表では、直前の合宿には呼ばれたものの落選した。その後左足を骨折し、AFC U-19選手権2008には選出されなかった。
ジュビロ磐田に入団。すぐにU-18日本代表に立ち上げから招集され、AFC U-19選手権2008 (予選)では5試合5得点と活躍した。
新潟県南魚沼郡大和町(現在南魚沼市)出身。千葉県で育ち、9歳からサッカーをはじめた。
中学時に在籍していたFC千葉なのはなジュニアユースでは、同学年の米倉恒貴らと高円宮杯全日本ユースサッカー選手権 (U-15)大会で全国ベスト4になった。
千葉県立八千代高等学校に米倉とともに進学し、3年生の時、2006年の第85回全国高等学校サッカー選手権大会で全国ベスト4に進出した。