【選手名鑑】栗澤僚一の現在地|『もっとできる』と自身を鼓舞し続ける柏の最年長

 流経大からFC東京へ加入した栗澤。フォアザチームのプレースタイルを体現し味方からへの信頼は厚い。2010年柏に完全移籍し、14年にはチーム最年長となる。それでも『もっとできる』と自分を追い込み、歩みを止めない。J1リーグの中でも平均年齢が若い柏レイソルでの彼の現在地とは。

目次



栗澤僚一のプレースタイルと選手紹介

 

栗澤僚一のプロフィール

選手名 栗澤僚一|Ryoichi KURISAWA
出身 千葉県松戸市
生年月日 1982/9/5
身長・体重 170cm・64kg
現所属チーム/背番号/利き足 柏レイソル/#28/右足
過去所属 2004-08 FC東京





年度別出場成績

2018年

 【リーグ戦】

2017年

 【リーグ戦】

2016年

 【リーグ戦】

2015年

 【リーグ戦】

2014年

 【リーグ戦】

2013年

 【リーグ戦】

年度別来歴

2019年

 

2018年

 

2014年

 ジョルジ・ワグネルが退団した2014年からはチーム最年長となり先発を外れる機会が多くなったが、衰えない運動量で計算できる貴重な選手として重宝された。

2011年

 右ボランチとしてレアンドロ・ドミンゲスと酒井宏樹の右サイドアタック陣を支え続けJ1優勝に大きく貢献。同年にはFIFAクラブワールドカップ2011にも出場し、準々決勝モンテレイ戦でのPK戦ではキッカーも務めてベスト4入りに貢献した。

2010年

 柏へ完全移籍となった。警告処分を厭わない守備でチームを支え、リーグ最小失点でのJ2優勝及びJ1復帰に貢献。

2009年

 移籍期間を延長して拍でのプレーを続けたが、チームの失点増加を食い止めきれず、自身初のJ2降格を喫した。

2008年

 8月、鈴木達也との交換トレードの形で柏レイソルへレンタル移籍。谷澤達也の移籍によって空いた背番号28を着用し、主に攻撃的な位置に入り得点に絡むことを意識してプレーしていたFC東京在籍時とは一転、ボランチとしてレギュラーに定着した。

2006年

 負傷の影響で出場機会を減らしたが、フォアザチームを体現するプレーぶりへの信頼は厚く、同年をもって現役を引退する三浦文丈からは自身の背番号10を受け継いでほしいと後継者に指名されていた。(2007年にパウロ・ワンチョペが10番を付けたため実現せず)
 

2005年

 大学を卒業してチームに再合流。シンプルに味方を使ってリズムを作り、豊富な運動量とミスの少ない堅実なプレーで貢献。ルーキーながら同年のリーグ戦全試合に出場した。Jリーグ初得点はJ1第4節ジュビロ磐田戦。当時FC東京が苦手としていた磐田から5年ぶりの勝利を勝ち取る値千金の決勝弾だった。

プロ前

 兄の影響で6歳の時にサッカーを始める。小学校卒業に併せて柏レイソルのジュニアユース加入を図ったが選考を通らず、中学生時にはなかなか専門的指導を受けられずにいた。トレセンでのプレーが認められ、1998年に県内の強豪校である習志野高校へ進学したが、全国大会での好成績を残せず、千葉県選抜として臨んだ国体も地区予選で敗れたため全国的には無名の存在だった。

 習志野高校サッカー部本田裕一郎監督の紹介を受け、2001年に流通経済大学へ進学。同大学は強化に乗り出してから年が浅く、同年は茨城県大学リーグに所属していたが、栗澤は2学年上のFW阿部吉朗の練習に取り組む姿勢から刺激を受け、阿部との好連携によってプレーも磨かれていった。3年時には関東大学リーグ2部で優勝し、先輩の塩田仁史及び池田昌広と共にベストイレブンに選出。大学在学中の2004年から、特別指定選手としてFC東京に加入。MFケリーの負傷離脱などによって出場機会を掴むと、巧みなボールコントロールや基本技術の高さで信頼を掴み、7月には翌年からのFC東京との契約を結んだ。



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