【選手名鑑】石原直樹の現在地|豊富な運動量でチームを牽引するストライカー・ポジションとプレースタイル

 プロの世界に進むまで無名だった石原。2003年湘南に入団。思うように出場機会が得られなかったが、2006年菅野将晃氏が監督に就任すると頭角を現し、2009年自身初のJ1大宮への移籍が決まる。J1の舞台にも順応し、主力として活躍した。2012年に加入した広島では、J1初優勝に貢献、自身初のJ1 2桁得点、J1連覇に大きく貢献した。2015、16シーズンの浦和では怪我に悩まされ2シーズンを通してリーグ10試合の出場に終わった。そして2017年仙台にレンタル移籍、翌年完全移籍での加入が決定した。無名時代から、J1優勝に貢献するまで躍進を遂げてきた石原の現在地とは。

目次

石原直樹の動画




選手紹介

プロフィール

選手名 石原直樹|Naoki ISHIHARA
出身地 群馬県高崎市
生年月日 1984年8月14日
身長・体重 173cm・63kg
現所属チーム/背番号/利き足 ベガルタ仙台(J1)/#11/右足

プレースタイル・能力値・アビリティ

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セールスポイント・ウィークポイント・グロースポイント

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ヒストリー

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年度別来歴

2019年

2018年

2017年

 北海道コンサドーレ札幌との開幕戦では3年ぶりとなるゴールを決めた。4月16日、第7節の鹿島アントラーズ戦でJ1通算200試合を達成した。11月26日、第33節の横浜F・マリノス戦では3年ぶりとなるシーズン2桁得点を達成。シーズン終了後に完全移籍で加入。

2016年

 12月29日、ベガルタ仙台への期限付き移籍が発表。

2015年

 浦和レッズへ完全移籍。
 4月12日、Jリーグ1stステージ第5節川崎フロンターレ戦にて右膝前十字靭帯を損傷し、長期離脱を余儀なくされた。
 11月11日、天皇杯4回戦のFC町田ゼルビア戦にて途中出場し、7ヶ月ぶりに復帰。

2013年

 7月の古巣大宮戦で自身初のハットトリックを達成。また、J1最終節にて決勝ゴールを含む2得点を叩き込み、J1では自身初の2桁得点を達成し広島のJリーグ2連覇に貢献した。

2012年

 サンフレッチェ広島に完全移籍。広島では移籍した李忠成の穴を埋める活躍を期待された。同年度主力としてフルシーズン活躍し、広島のJ1初優勝に貢献した。

2011年

 鈴木監督時代は途中交代の切り札として重用されるようになり、2011年になると怪我もありほとんどの試合で先発ではなくスーパーサブとして起用された。

2010年

 成績不振により監督が張外龍氏から鈴木淳氏へと代わる中で、9得点でチーム得点王となる。

2009年

 大宮アルディージャに完全移籍。自身初のJ1だったがすぐに順応、第3節のヴィッセル神戸戦で大宮での初ゴールを決めると、その後はレギュラーとしてマトに次ぐチーム2位の7ゴールをあげた。

2008年

 J2で3位タイとなる18ゴールを記録した。このプレー振りでJ1からオファーが届くようになり、菅野監督が退任したことも転機となった。

2007年

 背番号を11に変更。事実上のチームのエースとなり、チームも2年連続で昇格争いに絡むようになる。その中で2007年はチーム最多タイの12ゴール。

2006年

 6月、湘南監督が菅野将晃に代わったことが転機となる。菅野監督はそれまでやってきたサッカーを一新させ前線からの守備をベースとしたアグレッシブなサッカーを目指し、石原をレギュラーに固定した。
 菅野監督時代の公式戦初勝利は石原の2ゴールによってもたらされている。

2003年

 湘南ベルマーレに入団。当時は全く無名だったがその恵まれた身体能力を聞きつけた湘南スカウトの隠し球的な存在だった。同期入団は石田祐樹、照井篤。同年から監督に就任したサミアは早くから石原を評価し、自身初采配であるJ2第1節の一人目の交代選手として石原を起用している。成績不振によりサミア監督は辞任し、山田松市コーチが監督に昇格、この時代にJリーグ初得点を決めている。以降は相次ぐ監督交代や自身の怪我に悩まされることも多く出場機会が限られていた。

プロ前

 高崎西FC時代からサッカーを始め、同クラブでは青木拓矢ともプレー。
 その後、高崎市立片岡中学校、高崎経済大学附属高等学校とサッカー界では無名の学校へ。高校選手権や国体選抜など全国大会には無縁だった。






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