2つ上の兄の影響で始めたサッカー。小学生から中学1年生までFWでプレーしていた永戸だったが、限界を感じ中学1年の夏にサイドバックへコンバート。FWのままだったら中学で辞めていたかもしれないと語る。千葉の名門八千代高校卒業後、法政大学へ。半月板損傷という怪我を負うも持ち前のポジティブさを発揮し、復活。大学4年の4月に声をかけてくれた仙台に入団することを決める。
彼の現在地とは。
・永戸勝也の動画
・選手紹介
・プロフィール
・プレースタイル・能力値・アビリティ
・セールスポイント・ウィークポイント・グロースポイント
・ヒストリー
・年度別来歴
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永戸勝也の動画
選手紹介
座右の銘は、法政大の先輩に教えてもらった「人生死ぬこと以外かすり傷」
目標は「ベガルタ仙台から日本を代表する選手に、世界と戦える選手。目標は内田篤人。ドイツという世界の第一線で戦っていた選手なので、プレーだけでなくメンタル的な部分にも憧れている」
対戦したいのは、鹿島アントラーズの西大伍。大学でも対戦したことのある柏レイソルの伊東純也。
プロフィール
選手名 | 永戸勝也|Katsuya NAGATO |
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出身地 | 千葉県佐倉市 |
生年月日 | 1995年1月15日 |
身長・体重 | 172cm・71kg |
現所属チーム/背番号/利き足 | ベガルタ仙台(J1)/#2/左足 |
プレースタイル・能力値・アビリティ
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セールスポイント・ウィークポイント・グロースポイント
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ヒストリー
大学4年生になったばかりの4月頃に仙台からオファーを受ける。仙台には2年生の頃から練習参加の誘いなど縁があった。他のクラブからのオファーもあったが、以前からチームの雰囲気を知っていたこと、何よりも一番早くオファーをくれたことから仙台に入ることを決めたという。
年度別来歴
ベガルタ仙台に加入。2月25日、開幕戦の北海道コンサドーレ札幌戦でウイングバックとしてスタメンデビューを果たした。4月4日、第5節の川崎フロンターレ戦でプロA契約に達成したことを発表した。
2つ上の兄の影響で5歳くらいのときに始める。
中学時代に所属していたペーニャ(バルセロナに公認されたチーム)で、バルセロナ遠征に行った経験も。小学生から中学1年の夏までは背が低くて、足が速いタイプの選手だったためFWでプレー。限界を感じ、中学1年の夏にサイドバックへコンバート。
千葉の名門八千代高校に進学後、法政大学へ。もともとは違う大学に進学するつもりだったが高3の夏頃、練習に参加して2日後くらいには「ぜひ来てほしい」という連絡を受け、求められているチームでプレーしたいということで法政に進学。1年時から主力として活躍した。半月板損傷の怪我をするも復帰を果たし仙台に入団。
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