【選手名鑑】阿部拓馬の現在地|一生懸命さ溢れる数字には表せぬプレースタイル

 2010年東京Vに入団した阿部は、1年目にして20試合に出場、2、3年目には二桁得点とゴールを量産した。この活躍からドイツで2シーズンプレー。帰国後、甲府、FC東京でプレー。さらにその後、蔚山現代(韓国)でもプレーし、ドイツ、韓国の国外2カ国でプレーした経験を持つ。そして2018年ベガルタ仙台に完全移籍。東京Vでの二桁得点以降得点を量産することこそ出来ていないが、数字には表れない、熱いプレー、仲間との連携からチャンスメイクして貢献する。

目次

阿部拓馬の動画




選手紹介

プロフィール

選手名 阿部拓馬|Takuma ABE
出身地 東京都小平市
生年月日 1987年12月5日
身長・体重 171cm・73kg
現所属チーム/背番号/利き足 ベガルタ仙台(J1)/#20/右足

プレースタイル・能力値・アビリティ

 攻撃ではキープ、仲間とのコンビネーションでチャンスメイクする。守備では前線からのハイプレスなどで貢献する。



セールスポイント・ウィークポイント・グロースポイント

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ヒストリー

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年度別来歴

2019年

 

2018年

 ベガルタ仙台に完全移籍で加入。
 第6節・浦和レッズ戦で左ハムストリングスの肉離れに見舞われ、長期離脱を余儀なくされた。復帰したのは第15節鹿島アントラーズ戦。前線からの鋭いプレス、サイドからのドリブルで鹿島を苦しめ、2‐1の勝利に貢献。

2017年

 2017年に入り徐々に復調。
 攻撃の推進力と守備の献身性を高く評価されてはいたが、練習の大半をケアに費やすなど怪我との戦いが続き、出場機会は限られた。ルヴァンカップ・プレーオフステージ第1戦広島戦では決勝点を決めて勝利に貢献。

 7月、Kリーグクラシック・蔚山現代FCへ完全移籍。登録名は타쿠마(タクマ)。2列目からのパスによるチャンスメイクを望まれたこともありMF登録となった。

2016年

 城福率いるFC東京へ完全移籍。早々と適応し同年の公式戦初戦ACLプレーオフ・チョンブリー戦で移籍後初得点。FWやSHに入り個人での打開と味方との好連携で序盤戦の攻撃を牽引していたが、グロインペイン症候群及び腓腹筋挫傷により後半戦を欠場。長期離脱を強いられた。同年オフ、G大阪からのオファーを固辞。

2015年

 力強いドリブルとキープ力による個人での打開力を発揮し、非凡な得点センスで攻撃の核となる活躍。同年末には甲府を含め、FC東京、広島、川崎、仙台、横浜FMが獲得に動き、争奪となった。

2014年

 7月、J1でのプレーを希望し、ヴァンフォーレ甲府へ完全移籍。城福浩監督の下、シャドーストライカーとしてJ1残留の起爆剤になるべく奮戦した。

2013年

 1月には同じくブンデス2部のVfRアーレンのトルコキャンプに帯同。首脳陣の目に留まるプレーを見せ、同月よりアーレンへ完全移籍。
 3月の第26節ザントハウゼン戦で移籍後初得点を決めた。移籍1年目は9試合に出場し2得点1アシストを記録した。

2012年

 J2リーグ戦40試合18得点の好成績を挙げ、2季連続で得点ランキング2位に入った。
 この活躍が買われ、2012年12月にドイツ・ブンデス2部の1.FCウニオン・ベルリンの練習に参加。

2011年

 左足甲を負傷した影響で出遅れたが、同年初先発となった6月のJ2第17節富山戦で2得点を挙げると同試合を含め10試合10得点の好ペースで得点を量産。巧みなポジショニングとゴールへの積極性で33試合16得点を記録し、得点ランキング2位となった。

2010年

 東京ヴェルディに入団。
 同年4月、J2第6節愛媛戦でJリーグ初出場、6月のJ2第17節富山戦で初得点を挙げた。同年は主に攻撃的MFとして途中投入される機会が多かった。

プロ前

 2人の兄の影響でサッカーを始め、久留米西高在学時には横河武蔵野FCユースでプレー。
 2005年には2種登録選手としてトップチームに帯同しJFLにも出場した。

2006年、法政大学へ進学。川勝良一の指導を受けて3年生時に得点力が開花。






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