【原川力】一拍の間でゴールへの線を紡ぎ出す「チームを勝たせる右足」

 その瞬間、不思議と線が見える。流れの中のプレーでも、直接フリーキックでも、一拍あいて放たれるシュートにはゴールへの線が見えるのだ。データ通り特殊な技能を持ち合わせているわけではない。ただ、右足から放たれる一本の線に期待せずにはいられない。いつだって所属チームを上へと押し上げてきたその右足は今後どこまで自身をあげていくのだろうか。

 原川力は、レノファ山口の全身であるレオーネ山口のジュニアユースチームでサッカーを始めると、すぐに頭角を現した。FW久保裕也(ヘント/ベルギー)とは同中学の同級生であり、部活で実力をつける久保とはチームが異なるものの校庭や学校の隣にある維新百年記念公園で朝練を行う間柄であった。
 中3時にはレオーネ山口を初の全国大会である高円宮杯第20回全日本ユース(U-15)サッカー選手権大会出場に導くと、中心選手としてベスト4進出を果たす。また同大会において準決勝で敗退するまでの間、全試合で得点していたのがこの原川だ。この活躍もあり、同年のおおいた国体サッカーにも久保とともに山口県代表として出場している。
 小学年代では田中陽子(現ノジマステラ神奈川相模原/なでしこリーグ)、中学時代は久保以外にも菊本侑希(現広島F・DO/フットサル)と共にプレーしている。

 レオーネ山口には当時まだU-18チームが存在しなかった。卒業後の進路として選択したのは、京都サンガF.C.U-18。久保裕也と共にチャレンジを選んだ。一足先に2種登録や日本代表まで駆け上がった同級生を追いかけるように高校3年時に2種登録、高校卒業と同時にトップチームへと昇格した。
 その後1年間の愛媛FCレンタル期間中に開催されたU-22アジアカップ2013に追加招集されると3試合出場し、初陣のイラン戦で手倉森ジャパンファーストゴールを決めるなど、代表チームでもクラブチームでも躍動。レベルアップを果たして2015年に京都へ復帰すると京都でもスタメンに定着。リーグ・カップ戦合わせて32試合に出場すると、その活躍は川崎フロンターレの強化部の目に止まった。
 川崎移籍直前には、リオ五輪出場権を懸けたAFC U-23選手権2016に望むU-23日本代表に招集された。大会準決勝イラク戦、1-1で迎えた後半アディショナルタイム。セカンドボールをピックアップした原川は利き足ではない左足を振り抜き、ゴールに突き刺した。この得点は6大会連続となる五輪出場を決める決勝点となった。
 本大会は、久保裕也と共に招集を受ける。しかし久保は当時所属していたチーム(ヤング・ボーイズ/スイス)の関係上出場は辞退。原川自身も川崎フロンターレで出場機会を得られていなかったことが起因となり、1試合の出場に留まった。

 帰国後も川崎での状況は打開せず。風間八宏監督の特殊戦術への理解に苦しみ、大島僚太とエドゥアルド・ネットというJリーグ屈指のボランチラインを凌駕することはできなかった。
 しかし、2017年レンタル移籍でサガン鳥栖へ移籍すると、ついに見つけた新天地がそこにあった。3バックの左という超特殊ポジションをものにすると、開幕戦の柏レイソル戦では左45度で得たFKを自ら蹴り込んだ。シーズンを通して7ゴール。右足から放たれる直接FKの使い手としては、国内屈指に君臨していた。

 ロシアW杯のメンバーに入ることはできなかった。中高の同級生久保裕也は選出を逃したものの、最終予選で活躍。リオ五輪当時共にボランチのポジションを争った遠藤航と大島僚太は代表入りを果たした。リオ五輪当時からボランチの枠を争った井手口陽介と三竿健斗も最終選考まで残り、中島翔哉と豊川雄太は海外へ活路を見出した。
 「(高橋)秀人さんからはもっと要求してもいいと言われていますが、そういうタイプではない」と新たに務める副キャプテンのポジションでは背中で引っ張りつつ、新たな一面を覗かせる。昨季を上回るゴールより、チームを勝たせる選手に。新たに加わったFWフェルナンド・トーレスの力もプラスしてサガン鳥栖も、原川力も一段上のステージへとのぼる。



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