【選手名鑑】鈴木優磨の現在地|常勝軍団鹿島アントラーズの若きエース、そして初の日本代表選出

小学1年生から鹿島アントラーズのスクールに通い、ジュニアユース、ユースと鹿島一筋でトップチームへ昇格を果たした鈴木。J1初出場で初ゴールをあげる鮮烈なデビューを飾った。自身に満ち溢れた風貌、「闘う気持ち」を常に忘れない。金崎夢生と2トップを組んでいたが、金崎が鳥栖へ移籍してから22歳という若さにして鹿島アントラーズのエースとして君臨する。そんな彼の現在地とは。

目次



 

鈴木優磨のプレースタイルと選手紹介

 

【プレースタイル】
闘志溢れるプレーでゴールを量産する。得点だけでなくアシストも出来、2018年11月7日現在9アシストを記録。「戦う気持ち」を常に大事にし、そのプレースタイルの頂点にいると考え、日本代表FWの岡崎慎司を目標としている。

理想とするFWはレアル・マドリードのカリム・ベンゼマ。理由はFWとしてゴールも取れれば起点にもなれるオールラウンダーだから。

【選手紹介】
運転免許は取得する気持ちはあるものの、落ちる落ちるの連続、免許センターまで遠いという事から取得できていない。いつも安西幸輝の車に乗せてもらっている。

ユースの3年間で熊谷監督から「誠実・献身・尊重」、ジーコスピリットを叩き込まれる。ピッチ外では熊谷監督に1つ下だった垣田裕暉(ツエーゲン金沢)と相当怒られたという…

また鈴木優磨には3つ年上の兄:翔大(ソニー仙台)がいる。高校在籍時、オフが被ったので1対1をした際、徐々にヒートアップして、最終的にはファウルかファウルじゃないかで大きな殴り合いの喧嘩にまで発展したこともあった。ここで「負けず嫌い」が鍛えられたのか、「兄がいなければプロも難しかったと思う」と語る。

好きな音楽はヒップホップ。理由は人生が詰まったような歌詞が多いから。

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プロフィール

 

選手名 鈴木優磨|Yuma SUZUKI
出身地 千葉県銚子市
生年月日 1996年4月26日
身長・体重 182cm・75kg
現所属チーム/背番号/利き足 鹿島アントラーズ(J1)/#9/右足



 

鹿島アントラーズとの出会い

 

 『鹿島アントラーズのサッカースクールに入ってみたら?』

 千葉県で生まれた鈴木優磨は、両親・少年団のコーチに勧められ小学校1年生のころから参加し始める。
当時千葉県には鹿島アントラーズのサッカースクールはなく、両親も忙しかったため祖父母に千葉から鹿嶋までの送り迎えをしてもらっていた。また帰りの時間帯が重なるように、3つ学年が上である兄のところでプレーしていたということもあり、鈴木優磨と同じ学年でプレーした際にはすでに、自身でも気づくくらいに成長していた。
 そして小学4年生には選抜、ジュニアユースに所属するようになった。

 

“熊谷浩二監督”の存在と宮崎キャンプ

 

 「熊谷監督の存在は大きすぎる」

 LIXILの取材でこう語った鈴木。ジュニアユース(中学)、ユース(高校)と順調に鹿島アントラーズの下部組織を経たが、同時に思春期、反抗期などからサッカー以外の誘惑に手を出し、やんちゃな方へ道を逸らし始めた。プレー外、生活態度に対して大変厳しかったアントラーズのレジェンドコーチ達、そしてユースの監督でもある熊谷浩二監督は、この鈴木優磨をとことん叱った。人として、鹿島アントラーズを背負う者として、ピッチ外の行動を正そうとした。対立した鈴木は「もう、サッカーをやめる」と口にしたこともあったという。
 しかし、それでも辞めなかったのはサッカーが好きだったから。サッカーから離れれば、サッカーをしていないことにストレスが溜まってしまうくらい鈴木優磨という男には鹿島アントラーズ、サッカーが染み付いていた。

 このユースの3年間で熊谷監督から「誠実・献身・尊重」、ジーコスピリットを叩き込まれる。



 

へし折られた宮崎キャンプ

 

 『トップへ行って厳しさを味わって、へし折られてこい』(熊谷浩二監督)

 高校3年生になるという2014年3月トップチームへ2種登録をした鈴木は、MF田中稔也とともにトップチームの宮崎キャンプへ参加する機会を得た。「ピッチに入ったら年齢は関係ないので、自分の持ち味を出して行きたいと思います」とコメントし宮崎へ。
 しかし待っていたのは今まで遠くで見ていた、トップチーム、プロだった。何もかもが違った。ユースではイケイケだったと語っていた当時の鈴木優磨はどん底を味わう。大津高校から加入し、2つ年上、当時プロ2年目のDF植田直通にファーストプレーであっさりと吹き飛ばされる。俺だったら出来ると思っていたであろう鈴木のメンタルは、わずか2週間のキャンプで熊谷監督の言葉通りへし折られてしまった。
 プロの厳しさを味わった鈴木は、落ち込みはしたが危機感を感じ、さらなる練習に励む。そして2014年高校3年生のJユースカップで10年ぶりに優勝。

 2015年トップチームへ昇格が決定した。

 

鹿島アントラーズでの鈴木優磨

 

 トップチームへ昇格を果たした鈴木優磨。9月12日Jリーグ初出場となったガンバ大阪戦で初ゴールを決め見事なスタートを切る。プロ1年目は18試合に出場。2年目となる16シーズンでは45試合に出場し10得点4アシストの活躍を見せ、鹿島アントラーズの長く続くフォーメーション4-4-2の2トップの一角を担った。クラブワールドカップでは3試合に出場、1ゴール1アシスト、さらにレアル・マドリードのFWクリスティアーノ・ロナウドのゴールパフォーマンスを真似し、世界に「鈴木優磨」の名が知れ渡った。
 プロ3年目となった2017年、背番号が34番から大迫勇也も背負った「9」を背負う。金崎夢生と2トップを組み、この年16ゴール2アシストとゴールを量産した。

 2018年シーズン、コンビを組んでいた金崎夢生がサガン鳥栖へ移籍。

 新エースとして常勝軍団鹿島アントラーズを引っ張ることになった現在22歳の鈴木優磨。戦う闘志を前面に押し出し、ゴールを狙う姿にこの男なら何かしてくれるのではないかと思わせてくれる。
 鹿島一筋、さらに日本代表へ初選出された男のこれからの活躍に期待である。



 

鈴木優磨の動画

 

年度別出場成績

 

2018年

【リーグ戦】30試合11ゴール9アシスト
【ACL】13試合2ゴール5アシスト
【天皇杯】3試合4ゴール2アシスト
【リーグカップ】2試合

2017年

【リーグ戦】26試合6ゴール1アシスト
【ACL】8試合4ゴール
【天皇杯】4試合2ゴール
【クラブワールドカップ】3試合1ゴール1アシスト
【リーグカップ】2試合2ゴール
【FUJI XEROX SUPER CUP】1試合1ゴール

2016年

【リーグ戦】31試合8ゴール2アシスト
【リーグカップ】6試合1アシスト
【天皇杯】6試合2ゴール
【Jリーグチャンピオンシップ】1試合1アシスト
【スルガ銀行チャンピオンシップ】1試合

2015年

【リーグ戦】7試合2ゴール
【天皇杯】2試合
【リーグカップ】1試合

 

代表歴

 

U-23日本代表候補
2015年 AFC U-23選手権2016予備登録メンバー

【日本代表】
キリンチャレンジカップ2018メンバー選出

 

年度別来歴

 

2019年
2018年

 鹿島4年目。4月3日、ACLの上海申花戦では1得点1アシストの活躍でグループリーグ突破に貢献した。

 11月7日、キリンチャレンジカップ2018ベネズエラ戦&キルギス戦の日本代表メンバーに初選出される。
 
 ACLで全14試合に出場した鈴木は、この大会のMVPに選出。2ゴールをあげ優勝に貢献。

2017年

 背番号が「9」番に変更された。
 2月18日、FUJI XEROX SUPER CUPの浦和戦では後半途中から投入され、相手のバックパスを奪って決勝点をあげた。
 3月10日、J1第3節の横浜F・マリノス戦では途中出場から決勝ゴールをあげて、2017年シーズンにおいてホーム初白星をあげた。
 5月10日、ACL第6節のムアントン・ユナイテッドFC戦で2得点を決めて首位通過に貢献。
 7月22日、JリーグワールドチャレンジのセビージャFC戦では後半途中出場し2ゴールをあげる活躍にて勝利に貢献した。
 9月3日のベガルタ仙台とのルヴァンカップ準々決勝第2戦で2得点を奪い、鹿島の下部組織出身選手最多のシーズン通算14得点目を決めた。

2016年

 開幕戦のガンバ大阪戦では市立吹田サッカースタジアムにおける公式戦初得点を決める。12月3日、Jリーグチャンピオンシップ決勝の第2戦・浦和レッズ戦では途中出場からPKを獲得し、優勝に貢献した。
 FIFAクラブワールドカップ2016の準決勝でアトレティコ・ナシオナルを相手に得点を決めたあと、クリスティアーノ・ロナウドのゴールパフォーマンスで注目を集め、マルカなどのスペインメディアから取材を受けた。

2015年

 鹿島アントラーズユースからトップチームに昇格。

 9月12日のガンバ大阪戦(2ndステージ第10節)でJ1リーグ戦初出場、アディショナルタイムには初得点を決める。10月17日の柏レイソル戦(2ndステージ第14節)では、後半38分から途中出場し、アディショナルタイムに決勝点を挙げ、勝利に貢献した。

プロ前

 小学1年から鹿島のスクールに通い、アントラーズ一筋。
 2012年、鹿島アントラーズジュニアユースからユースチームに昇格し、2014年には10年ぶり3度目のJユースカップ優勝に貢献。また3月には、2種登録選手としてに登録され、2015年にトップチームに昇格することが決定した。



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