昌子源の現在地|鹿島・日本代表のDFを牽引するプレースタイル・鹿島でのポジション

 2011年鹿島へ入団した昌子。プロになる前はFWでプレー。しかし高校生でCBに転向。そこから年代別代表、鹿島でのCB定着を果たす。そして2018年のロシアW杯ではレギュラー組唯一のJリーガーとして出場しGL突破に貢献した。世界でも注目される彼の現在地とは。

目次
・昌子源の動画
・選手紹介
・プロフィール
・プレースタイル・能力値・アビリティ
・セールスポイント・ウィークポイント・グロースポイント
・ヒストリー
・年度別来歴
・Evolving Data Other Contents
・Evolving Data Category Contents

昌子源の動画




選手紹介

 

プロフィール

選手名 昌子源|Gen SHOJI
出身地 兵庫県神戸市
生年月日 1992年12月11日
身長・体重 182cm・74kg
現所属チーム/背番号/利き足 鹿島アントラーズ(J1)/#3/右足

プレースタイル・能力値・アビリティ

 現在作成中

セールスポイント・ウィークポイント・グロースポイント

 現在作成中

ヒストリー

 現在作成中

年度別来歴

2019年

2018年

 2018年6月12日の国際親善試合パラグアイ代表戦で西野朗監督によって槙野智章に代わるスタメンに起用され、ハリルホジッチ前監督解任後の初勝利に貢献すると、そのまま2018年 FIFAワールドカップロシア初戦のコロンビア代表戦でワールドカップ初出場を果たし、南米の強豪コロンビア相手にアジア勢としてワールドカップ史上初の南米勢に対する勝利に貢献。レギュラー組唯一のJリーガーとして海外クラブも注目する活躍を見せ、GL突破に貢献するも決勝トーナメント1回戦で敗れた。

2017年

 2017年、4月30日のサガン鳥栖戦では茨城県立カシマサッカースタジアムにおいて公式戦通算800点の得点を決めた。

2016年

 2016年、12月3日のチャンピオンシップ決勝・浦和レッズ戦ではセンターバックとして守備陣を支えて優勝に貢献。開催国代表として挑んだFIFAクラブワールドカップではディフェンスの中心としてプレーし、世界2位に貢献した守備力が評価された。

2015年

2014年

 2014年のリーグ戦では自身初の全試合出場を果たし、Jリーグ優秀選手賞を獲得した。

2011年

 挫折を経験して自身の武器であったフィジカルとキックにさらに磨きをかけるようになり、2011年、柴崎岳(ヘタフェ)、梅鉢貴秀(ツエーゲン金沢)、土居聖真(鹿島アントラーズ)らとともに鹿島アントラーズへ入団。

プロ前

 小学生時代にサッカーを本格的に始める。入団当初のポジションはフォワード。
 中学生になると、ガンバ大阪ジュニアユースに入団してプレーを続ける。当時のチームメイトに宇佐美貴史(デュッセルドルフ)や大森晃太郎(FC東京)が所属し、中学1年時は共に同じピッチに立ってプレーをした。中学2年に入る頃に膝を負傷し、満足にプレーできない日々が続く。 中学3年の途中でガンバ大阪のジュニアユースを退団し、しばらくサッカーをしない空白期間があった。
 米子北高校サッカー部のコーチの中村真吾氏は進路が決まっていなかった昌子の練習参加を提案。当初昌子自身は高校でサッカーを続ける意思は無かったが、練習参加がきっかけとなり、米子北高校へ進学することに。
 1年の夏に当時JFLのガイナーレ鳥取との練習試合で味方DFが負傷した際に、たまたま監督の真横に座っていたFWの昌子に声がかかる。そしてコートジボワールの世代別代表経験を持つ5歳上のFWコン・ハメドを相手に堂々とプレーしたため、監督の城市よりセンターバックへのコンバートを命じられる。昌子は当時の心境について「最初は本当に嫌だった。FWをやらせてくれよとずっと思っていた。でも、監督やコーチからは『絶対にFWはやらせない』と言われて、高校2年にあがる時には、CBを真剣にやらないと試合に出られなくなると思って、取り組むようになった」と語る。
 2010年4月、高校3年に上がる頃にはU-19日本代表候補として招集されるまでに成長し、神戸合宿に参加、ヴィッセル神戸との練習試合に出場する。しかし、この試合で目立った活躍を見せられなかった昌子は代表候補から落選することとなる。






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