内田篤人の現在地|ドイツで培った経験と鹿島でのポジション・プレースタイル

 2006年に鹿島アントラーズに入団した内田。クラブ史上初となる高卒ルーキーでのスタメン出場。得点にも絡む大活躍を魅せる。2010年ドイツ、シャルケに移籍。日本人初のCLベスト4などを経験するも右膝の大怪我などを負う。その後ウニオン・ベルリンへ移籍するも怪我の影響等で出場機会に恵まれず、2018年鹿島への復帰が発表された。鹿島入団当時は若かったが、今は違う。内田の現在地とは。

目次
・内田篤人の動画
・選手紹介
・プロフィール
・プレースタイル・能力値・アビリティ
・セールスポイント・ウィークポイント・グロースポイント
・ヒストリー
・年度別来歴
・Evolving Data Other Contents
・Evolving Data Category Contents

内田篤人の動画




選手紹介

 

プロフィール

選手名 内田篤人|Atsuto UCHIDA
出身地 静岡県田方郡
生年月日 1988年3月27日
身長・体重 176cm・57kg
現所属チーム/背番号/利き足 鹿島アントラーズ(J1)/#2/右足

プレースタイル・能力値・アビリティ

 現在作成中

セールスポイント・ウィークポイント・グロースポイント

 現在作成中

ヒストリー

 現在作成中

年度別来歴

2019年

2018年

 2018年1月2日、古巣である鹿島アントラーズへの復帰が発表。2月25日、開幕戦の清水エスパルス戦で約8年ぶりにJリーグのピッチに立った。

2017年

 2017年8月21日、出場機会を求め、シャルケからブンデスリーガ2部の1.FCウニオン・ベルリンに2018年6月までの1年契約で完全移籍することが決定。
 10月17日に左太ももに肉離れを負ったことが発表され、戦線を離脱。ウニオン・ベルリンでのリーグ戦出場は2試合のみとなった。

2016年

 2016年7月上旬にシャルケのチーム練習に合流。しかし翌8月中頃、シャルケのアクセル・シュースターSDが「内田に関しては残念ながら状態が少し後退した。」とコメント、同時期のクラブ公式ツイッターでも「内田篤人は短期間日本に向かい、そこで彼が信頼する医師の治療を受けることになる」と発表。2016年12月8日、欧州ELのレッドブル・ザルツブルク戦で途中出場し、1年9カ月ぶりに復帰を果たした。

2015年

 2015年3月初旬、対ホッフェンハイム戦で膝蓋腱を負傷し戦線を離脱。そのまま2014-15シーズンを終え、シーズンオフの同年6月に右膝の手術を行う。

2014年

 2014年10月30日、シャルケと2018年6月までの新契約を結んだ。前半戦は4節まで負傷していたが13試合に出場し、ブンデスリーガ公式サイトのベストサイドバックに選ばれた。
 2大会連続でのFIFAワールドカップメンバーに選出され、本大会では全試合スタメンフル出場した。

2011年

 フル代表:2011年1月のAFCアジアカップ2011では主力メンバーとして優勝に貢献した。

2010年

 2010年7月1日に移籍金推定1億5000万円でドイツ・ブンデスリーガのシャルケ04へ3年契約で完全移籍。秋には右サイドバックのレギュラーに定着した。内田はCLでの活躍を評価され『EURO SPORT』が選ぶCL準々決勝第1戦のベストイレブンに選出された。準決勝のマンチェスター・ユナイテッド戦では敗れたものの、CLベスト4という記録はクラブ史上、また日本人としても初めてのことだった。

2009年

 2009年、鹿島は史上初のJリーグ3連覇を達成し、内田自身も2年連続でJリーグベストイレブンに選出された。

2007年

 2007年に名良橋晃から指名され背番号2を引き継ぐ。2008年には自身初のJリーグベストイレブンに選出されるなど評価を高め、同年のシーズンオフには鹿島と4年半の長期契約を結ぶ。
 フル代表候補の合宿に初招集され、2008年1月26日のキリンチャレンジカップチリ戦でフル代表デビュー。19歳305日でのデビューはJリーグ発足後では市川大祐、小野伸二、梅崎司に次いで4番目の若さだった。

2006年

 2006年から監督に就任したパウロ・アウトゥオリに高く評価され、Jリーグ開幕戦(対広島)でクラブ史上初となる高卒ルーキーでのスタメン出場を果たし、ドリブルから先制点となるPKを獲得。続く第4節甲府戦では、ドリブル突破からの先制点でクラブ史上最年少得点を記録し、2点目もアシストした。なお、17歳11か月22日でのプロ初得点は、当時の記録である18歳1か月15日を上回り高卒ルーキーの史上最年少得点記録だった。
 また、同年のJリーグオールスターサッカーではDF最多得票で史上最年少出場を果たした。

プロ前

 函南中学校時代は目立った活躍をしていなかったが、高校入学にあたり静岡県中部地区の強豪校を志望し、将来の大学進学も視野に入れて進学校でもある清水東高等学校に入学。高校へは自宅から1時間半ほどかけて通学していたという。
 高校の同級生には多々良敦斗(ロアッソ熊本)、2学年上には菊岡拓朗(SC相模原)や荒田智之(AC長野パルセイロ→2018年現役引退)がいる。卒業に際しては7-8クラブから興味を示され、2006年に鹿島アントラーズへ加入した。






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