福満隆貴、国内リーグ史上屈指のステップアップを見せる男

 2018年1月1日に行われた天皇杯決勝、横浜F・マリノスvsセレッソ大阪の一戦は、延長戦で逆転勝ちを収めたセレッソ大阪に軍配が上がった。ベンチで戦況を見つめ続け、決勝の舞台には立つことがなかったカップ戦の主力メンバーの一人福満隆貴は、勝利と優勝が決まると、満面の笑みで出場したメンバーたちを讃えた。

 川崎フロンターレの中村憲剛は中央大からプロへ進むものの、約15年の時を経て漸く今シーズン戴冠を掴んだ。故・奥大介や阿部勇樹(現・浦和レッズ)などプロ生活の中で多くの戴冠を得たり、岡崎慎司(現・レスター/イングランド)や香川真司(現・ドルトムント/ドイツ)のように、海外で勝ち取る選手たちもいる。
 鳴り物入りで入団するスター選手たちがいる傍ら、J2・J3・地域リーグからキャリアをスタートさせるものもいる。ただ、そんな彼らがJ1、ましてや日本代表や海外リーグで栄冠を掴み取ることは異例中の異例だ。そんな中で福満は掴み取った。セレッソ大阪というチームで。ルヴァン杯・天皇杯の2つの冠を得た。



 中学を卒業した後、出水中央高等学校(鹿児島)、九州総合スポーツカレッジ(大分)へと進んだ。
福満にとって大きかったのは、九州総合スポーツカレッジが九州の地域リーグに参戦していたことだ。卒業後2012年、当時からJFLに所属していたヴェルスパ大分(当時HOYO AC ELAN大分→HOYO大分→ヴェルスパ大分と名称を変更)にアマチュアとして登録されると、昼にキャノンの部品工場で勤務し、夜に練習という日々を過ごす。短大時代には33試合で21得点のと傑出した得点力を魅せていたが、セミプロのリーグでも3年間で85試合に出場し、26得点。3年目にはJFL得点ランキング2位にランクし、ベストイレブンにも名を連ねた。

 2015年、レノファ山口がJ3に参入するのを契機として、活躍が認められて移籍。ついにプロの扉を開いた。島屋八徳が前年にV大分から山口へと移籍しており、2014年の得点ランキングのトップが岸田和人だった点も後押しした。
 岸田和人、島屋八徳、鳥養祐矢と共に組まれたユニットは異常なまでの爆発力を魅せて席巻した。31・32節では2試合連続のハットトリックを見せるなど2カテゴリーが変わっても得点ランキングは岸田と共に1・2フィニッシュで締めくくった。山口はJ2へ昇格。プロしかいないリーグにあって得点数を減らすものの、アシストは二桁に乗せた。山口の躍進を支えた面々は各チームへとヘッドハンティングされ、J1へはSB小池龍太(→柏レイソル)と福満が挑むこととなった。

 3年前はプロですらなかった。JFL、J3、J2そしてJ1へステップした福満だが、J1でスタメンをつかむまでには至らなかった。しかし、与えられたのは「カップ戦のローテーションメンバー」。U-23チームのお兄さん的役割の可能性すらあった中で、J1の猛者たちと戦い続ける役割を得た。リーグ戦で躍進するメンバーと共に、セレッソ大阪の初タイトルに向けて戦うためのメンバーになることができた。
 J1で5試合、J3で1試合に出場したほか、ルヴァン杯では12試合に出場。グループリーグ全6試合に出場すると、プレーオフステージでは2試合連続でゴールを決め、準々決勝に進出。クラブの初タイトル獲得に貢献した。

 天皇杯決勝のピッチに福満が、立つことはなかった。しかし、才能の塊がゴロゴロするチームにおいてでもベンチメンバーに選ばれているだけでもすごいことだ。実は、延長戦突入後ユン・ジョンファン監督に呼ばれ、交代の準備も進めていた。ただ、その折に水沼宏太の決勝弾は生まれる。チームは、福満の投入の考えをシフトさせた。もし、山村和也からのクロスに水沼が反応できていなければ、カップ戦の最終兵器として出場していただろう。27歳、もう若くない。ただそれでも、J1の強豪チームにあって役割を見つけ、成果を出してきたこの男を知っておいて損はない。
 来季はもう一段上のチャレンジに挑む。アジアでもきっと闘える存在だ。何より、セビージャからでさえ点を取ることが出来た選手なのだ。



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