2019年8月29日、また一人の苦労人がイングランド代表から初招集を受けた。プレミアリーグ第4節終了時点でリーグ最多のクリア数とシュートブロックを記録しているアストン・ビラのディフェンスリーダーであるDFタイロン・ミングスだ。なんと今よりおよそ7年前は、ミングスは平日は住宅ローンアドバイザーの仕事をして生計を立てていた。そして土日はイングランドの8部相当のクラブでプレー。母親の借金のこともあり、サッカー選手を辞めて住宅ローンアドバイザーとして生活していこうとも考えたという。それでも辞めずにイングランド代表まで上り詰めた1人の「Amazing Story」を振り返る。
- 【選手紹介】タイロン・ミングスのプレースタイルと選手紹介
- 【選手紹介】タイロン・ミングスのプロフィール
- 【ヒストリー】幼少期からプロ選手になるまで
- 【ヒストリー】サッカーを辞めようと思っていた2012年
- 【ヒストリー】2部移籍!プレー面以外でも多くの注目を集める
- 【ヒストリー】悲願のプレミアリーグデビューも…
- 【ヒストリー】「ジンクス」からの開放、そしてイングランド代表へ
- 【ディスコグラフィー】紹介動画
- 【ディスコグラフィー】年度別出場成績
- 【ディスコグラフィー】パラメータ・能力値※制作中
- 【年度別来歴】プロキャリア※制作中
- 【年度別来歴】アマチュア時代の評価※制作中
- 【年度別来歴】代表歴※制作中
- 【選手評価】スタッツ※制作中
- 【選手評価】市場価値※制作中
- 【選手評価】能力値変遷※制作中
タイロン・ミングスのプレースタイルと選手紹介
● アストン・ビラのディフェンスリーダー。196cmと恵まれた体格の持ち主でフィジカル的に強く、元々LSBとしてプレーしていたためカバーリング能力にも長けているスケールの大きいCB。また、時折みせる縦へのドリブル突破や、高い精度のフィードやサイドチェンジは攻撃の起点ともなる。
● ボーンマスにある『KTM Design』というデザイン会社の取締役を務めている。
● ブリストルとバーミンガムで『Tyrone Mings Academy』というサッカーアカデミーを運営している。オフの日が重なれば自ら足を運んで指導しに行くことも。
● 自身が幼少期にホームレスのシェルターで生活していた経験あることから、ホームレスに対する慈善活動を積極的に行っている。
●「Black Lives Matter」の抗議活動に賛同しており、人種差別問題やSNS上の誹謗中傷、差別に対して明確に反対する意見を自身のSNSで積極的に発信している。
● 2020年に慈善活動や若者のサッカー育成などが評価され『Forbes 30 Under 30』に選出された。
● イングランド代表ではコナー・コーディ(ウォルバーハンプトン)と仲が良い。
● 2017年3月に行われたマンチェスター・ユナイテッド戦でズラタン・イブラヒモビッチの顔を、19年1月に行われたレディング戦でネルソン・オリベイラの顔を踏みつけ試合後に謝罪した。
タイロン・ミングスのプロフィール
選手名 | タイロン・ミングス(Tyrone Mings) |
---|---|
ポジション | CB/LSB |
出身 | イングランド/バース |
年齢/生年月日 | 28歳/1993年3月13日 |
身長・体重 | 196cm・77kg |
現所属チーム/背番号/利き足 | アストン・ビラ(イングランド)/5/左足 |
代表/デビュー年 | イングランド代表/2019年10月4日 |
過去所属 | ボーンマス、イプスウィッチなど |
クラブ・代表タイトル | – |
個人タイトル | チャンピオンシップ月間最優秀選手(2014年9月) |
幼少期からプロ選手になるまで
タイロン・ミングスは1993年3月13日にイングランドのバースで生まれた。ミングスが小学校低学年の時、小学校低学年の時、一緒に生活していた母親の婚約者と揉めたことにより家を出ることに。十分な収入がなかったため母親と3人の姉妹と一緒にホームレスのシェルターでの生活が始まった。この時の環境は相当酷かったそうで、ミングスは当時の共同洗濯エリアや共同シャワーなどを今でも鮮明に覚えているという。半年から1年ほどシェルターで生活したミングス一家は、自治体が低所得者向けに運営する公営住宅へと引っ越す。
ミングス自身は8歳でサウサンプトンの下部組織に入団。しかし、15歳の時に195cmまで成長した今では信じ難いが、身体の小さが原因でサウサンプトンからリリースされる。その後ブリストル・ローヴァーズ、スウィンドン・タウン、カーディフ・シティ、ポーツマスといったクラブのトライアルを受けるも不合格に。結果的に多くのアスリート輩出したミルフィード・スクールのフットボール奨学金制度に登録。およそ1年で学校を去ったミングスは、イングランド8部相当に所属するイェート・タウンに加入した。この当時の給与は週給£45だったそうでミングスはパブで働きお金を稼いだ。パブでの仕事を辞めた後、バースにある住宅ローン代理店であるロンドン&カントリー・モーゲージ(L&C Mortgages)で働き始める。練習がない月曜日、水曜日、金曜日にシフトに入り年間1万5千ポンドを稼いだ。2011-12シーズン終了後、ミングスはイェートで引き続きプレーする意思はなく、代理店での仕事が順調だったこともあり本気でサッカーをやめようと思ったそうだ。家族には「もうサッカーをしたくない。私はシーズンを戦い抜いた、そして、何も起こらなかった。進展はなっかった。」と伝えた。ただ、サウサンプトンの下部組織時代に試合を観に来てくれていた2年前に亡くなった最愛の祖母の存在が頭をよぎり、ミングスはサッカーを続けることを決意する。
サッカーを辞めようと思っていた2012年
12年夏に父親がスポーツ・ディレクターを務めるチッペンハム・タウン(6部相当)に移籍するとミングスにサッカー選手としての転機が訪れる。チッペンハム・タウンにはかつてイプスウィッチに所属していた元イングランド代表DFラッセル・オスマンの息子であるトビー・オスマンが所属しており、ラッセルはイプスウィッチにミングスにトライアルを受けされるように提言する。トライアルで好プレーをみせたミングスに対し、当時イプスウィッチで監督を務めていたミック・マッカーシー(現アイルランド代表監督)はクラブに獲得を要請。チッペンハムと1万ポンドの移籍金とプレシーズンに試合を行うことで合意に達し、12年末にミングスはイプスウィッチに完全移籍することとなった。
2部移籍!プレー面以外でも多くの注目を集める
2013年3月に行われたボルトン戦を前にミングスは全英から注目される行動を取る。「お金が一銭もないことから試合を見れない」というツイートを目にしたミングスは、このツイートに「ポートマン・ロード(イプスウィッチの本拠地)に来てくれればチケットを渡すよ。」と返信。このやり取りは瞬く間に拡散され、BBCやSky Sportsでも大きく報じられた。Skys Sportsからクラブに対しミングスにインタビューをしたいという連絡が入るもミングスはこれを拒否。「私がやったことは多くの人が注目することではなかったと思います。ただ、数枚のチケットを渡しただけです。それが価値のあるニュースだとは思いません。そしてインタビューも断りました。宣伝するためにやったことではないですからね。また、試合に出たことがない時にインタビューを受けるのは嫌でした。」、と後々のインタビューで語っている。この後に行われた同シーズン最終節バーンリー戦でミングスはイプスウィッチデビューを果たすこととなる。
続く2013-14シーズンは開幕戦で先発フル出場を果たすなど出場機会を徐々に増やす。そして12月のクリスマスに再び全英から称賛を受ける行動を取る。イプスウィッチに家族がいなかったミングスは彼女と共に自分たちに何ができるかを考え、教会に自身がサッカー選手であるという身分を隠しお手伝いをさせてくれと電話。そして教会に向かい貧しい人々に配るための料理のお手伝いなどをした。クリスマスの慈善活動は今現在も続いており、近年は寝袋や食べ物や衣服を大量に購入し地元のバースで暮らすホームレスらに配っている。
2014-15シーズンからはLSBのスタメンに定着。そして三度ミングスはプレー以外に称賛を受けることとなる。シーズン開幕直前にミングスの背番号が「15」から「3」に変更になったことに対してユニフォームを購入したサポーターから不満の声が噴出する。するとミングスは自腹でユニフォームを購入し、交換を希望するファンにユニフォームを配った。同シーズンにレギュラーとしてリーグ戦40試合に出場し、クラブを昇格プレーオフに導いたミングスに対してはアーセナルやボーンマスなど多くのプレミアリーグのクラブが関心を寄せた。
悲願のプレミアリーグデビューも…
2015年夏、プレミアリーグに所属していたボーンマスが当時のクラブレコードである約1000万ポンドの移籍金でミングスを完全移籍で獲得したと発表した。念願のプレミアリーグデビューとなった第4節レスター戦、ミングスにアクシデントが襲う。出場からわずか6分後に靭帯損傷の大怪我を負ってしまう。この怪我によりミングスは1年以上の離脱が余儀なくされた。ケガから復帰してからも負傷癖は呪いのように付きまとい、2017-18シーズンは背中の大怪我により再びシーズンの大半を棒に振った。度重なる大怪我の影響で結果的にミングスはボーンマスに在籍した3シーズン半でわずか23試合の出場に留まった。
「ジンクス」からの開放、そしてイングランド代表へ
ボーンマスでの時間を「ジンクス」と表現するミングスは、19年冬に環境を変えることを決意する。移籍先は当時チャンピオンシップ(イングランド2部相当)に所属するアストン・ビラ。多くのクラブからのオファーがあった中で移籍先をビラに決めた理由はコーチを務める元イングランド代表DFジョン・テリーの存在があった。ミングスがビラに加入した直後、クラブは守備陣に問題を抱えていた。失点が多かったことに加え、開幕からレギュラーとしてプレーしていた主将のジェームズ・チェスターとアクセル・トゥアンゼベが負傷離脱していた。ミングスは加入からわずか2日後に行われたレディング戦で先発出場を果たすと以後スタメンに定着。負傷離脱していたジャック・グリーリッシュが復帰した第35節ダービー戦からクラブ新記録となる10連勝を達成したビラは13位から5位まで浮上。ミングスも自身が加入する前の1試合平均の失点が約1.5点だったのに対し、加入後は約0.8点と守備の立て直しに大きく貢献。クラブはプレーオフの末プレミアリーグ昇格を果たした。
19年夏、アストン・ビラはクラブ史上2番目となる約2000万ポンドの移籍金でタイロン・ミングスを獲得。この移籍金に対して一部からは「高額すぎる」という声も挙がったが、ビラを率いるディーン・スミス監督は「すぐに2000万ポンドという移籍金は安かったと感じるだろう。」と批判を一蹴り。ミングスも期待に応え、プレミアリーグ第4節終了段階でリーグ最多のクリア数とシュートブロック数を記録。8月のPFA月間最優秀選手にノミネートされ、2019年8月29日にイングランド代表から初招集を受けた。年代別の代表を含め、これまで代表とは無縁の存在だったミングスは自身がイングランド代表に招集されたと聞いた時に「イタズラ思ったよ。イングランド代表の連絡係のエミリーから”代表に呼ばれた”と連絡が来た時に、”Oh shit”と返信したんだ。その後、彼女から電話が来て”冗談じゃない”と言われて本当のことだと理解したんだ。」と語った。奇しくも4年前の8月29日はプレミアリーグデビューを飾り、わずか6分後に靭帯断裂を負ったミングスにとって忘れることのない日であった。4年の時を経て8月29日を”人生最悪の日”から”人生最高の日”に変えてみせたミングス。
そして2019年10月4日、若手選手を多く起用したEURO予選ブルガリア戦のスタメンに名を連ねた。前半終了間際にブルガリアサポーターから人種差別の被害に合ったが、90分間それを感じさせない落ち着いたプレーでチームの3試合ぶりのクリーンシートに大きく貢献した。
タイロン・ミングスの動画
年度別出場成績
プレミアリーグ 36試合2ゴール2アシスト
EFLカップ 1試合0ゴール0アシスト
プレミアリーグ 33試合2ゴール2アシスト
EFLカップ 3試合0ゴール0アシスト
プレミアリーグ 5試合0ゴール0アシスト
EFLカップ 1試合0ゴール0アシスト
FLC(英2部) 15試合2ゴール
FLCプレーオフ 3試合
プレミアリーグ 4試合
EFLカップ 1試合
プレミアリーグ 7試合
FAカップ 1試合
EFLカップ 1試合
プレミアリーグ 1試合
EFLカップ 1試合
FLC(英2部) 40試合1ゴール2アシスト
FA杯 2試合1アシスト
FLC(英2部) 16試合2アシスト
FA杯 2試合
FLC(英2部) 1試合
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