【選手名鑑】原口元気の現在地|「生意気小僧」から「大人」へと成長した熱きハードワーカー

 幼き頃から天才と呼ばれた原口元気。その才能は、浦和レッズユース時から世界に注目されるほどだった。クラブ史上最年少で浦和レッズのトップチームと契約。度々チームメイトや監督に悪態をつくが、そこに現れた「教育係」の指導により「生意気小僧・悪童」は「大人」へと成長していく。世界へ飛び出した彼は、サッカー人生初の挫折を味わうも復活を遂げ、さらなる飛躍をしていく。クラブで背番号「10」を背負う男の現在地とは。

目次



原口元気のプレースタイルと選手紹介

 ドリブル突破が得意。ドイツでの強化を経て豊富な運動量、かつ高いレベルで攻守に闘える選手。

 2018年のロシアワールドカップには元教育係の槙野と共にメンバーに選出され、原口はインスタグラムにて「この人とW杯に行けてよかった。どんな時もポジティブでみんなを元気にできる人」と槙野との2ショット写真を見せた。

原口元気のプロフィール

選手名 原口元気|Genki HARAGUCHI
出身 埼玉県熊谷市
生年月日 1991年5月9日
身長・体重 179cm・68kg
現所属チーム/背番号/利き足 ハノーファー96/#10/右足
過去所属 2007-2009 1月 浦和レッズユース
2009-2014 浦和レッズ(J1)
2014-2018 ヘルタ・ベルリン(ドイツ1部)
2018 デュッセルドルフ(ドイツ1部)
2018 ハノーファー96(ドイル1部)



幼い頃から圧倒的な才能を持っていた「天才」

 それは2003年。江南南サッカー少年団の主力選手としてプレーしていた原口元気。第27回全日本少年サッカー大会で優勝に貢献すると、同年に行われた全日本少年フットサル大会に出場。決勝、兵庫FC戦では6ゴール7アシストと全ゴールに絡む活躍を見せ2冠。
 中学進学とともに浦和レッズジュニアユースへ入団し、そこでもその才を余すことなく発揮。飛び級でユースに昇格、サテライトの試合に出場、バイエルン・ミュンヘンの練習生としてオファーを受けるなど「原口元気」という男はすでに世界に名が知られていた。
 その後、「天才原口元気」は2008年にトップチームへ2種登録、翌年1月に当時17歳というクラブ史上最年少、高校3年への進級を待たずしてトップ昇格を果たした。

「生意気小僧」を「大人」へ変えた教育係

 2009年3月7日の開幕戦でJ初出場、4月12日第5節で初ゴールクラブ日本人最年少ゴール(17歳11ヶ月3日)をあげた原口。ここまで誰もが羨む道程を歩んできた原口だが、それと同時に誰もが認める「生意気小僧、悪童」でもあった。チームメイトと小競り合いのすえ謹慎処分、当時の監督ペトロヴィッチの采配に納得がいかず怒りをあらわにするなど、謝罪はするものの原口の悪態は徐々に増えていった。しかしこれは原口がサッカーに“貪欲・一生懸命すぎる”がゆえにヒートアップしてしまうものであった。
 そこで現れたのが、2012年から浦和レッズに加入したDF槙野智章だった。強化部から原口の指導を頼まれた「教育係」槙野智章は、その明るさで原口に接し、合宿部屋で相部屋なったりなど原口と距離を縮めていく。そして槙野自身「底辺の底辺」と語った、挨拶もろくに出来なかった原口元気は「大人」へと生まれ変わる。
 
 2014年。ドイツへ旅立つ原口元気の浦和での最後の試合でゴールを決めた「教育係」槙野智章は、「浦和→ドイツ=ロシアW杯 バイバイ泣き虫ゲンキ!!元気!!」と書かれたアンダーウェアを披露し、浦和での最後を笑顔で送った。

初めて味わった自信喪失からの復活

 幼少期から天才と謳われてきた原口はヘルタ・ベルリン(ドイツ)で崩される。開幕戦で2得点に絡む活躍を見せるも、試合途中で右肩を負傷。約3週間の離脱を余儀なくされた。復帰するものの、アップダウンの激しいサッカーに適応できず、徐々に出場機会を失っていく。日本から遠く離れたドイツ、言葉の問題等、多くの問題・負の連鎖がのしかかった原口。

 そこで原口はこのアップダウンの激しいサッカーに適応するため“スタミナ&走力”を鍛えることを決断。意識すればすべてが良い方へ向いた。スタミナ、走力改善に成功した原口は2015年3月14日シャルケ戦にてブンデスリーガ初ゴールを決め、翌年にはマン・オブ・ザ・マッチに選ばれることもあるなど主力として活躍した。
 
 2018年デュッセルドルフへのレンタル移籍をした後、6月12日、ハノーファー96へ2021年6月までの3年契約で完全移籍。背番号は「10」 

2018年ロシアワールドカップでの原口

 2018年に開催された4年に1度のサッカーの祭典「ワールドカップ」 原口にとって初のワールドカップ本選。初戦コロンビア戦フル出場、2試合目のセネガル戦でもスタメン出場と初のワールドカップながらも堂々としたプレーを披露。このセネガル戦で原口は両チームの中でトップスピードNo1の31.97km/hを記録。さらに決勝トーナメント1回戦のベルギー戦では、ハーフラインからトップスピードで裏へ抜け出しGKクルトワから先制ゴールを奪った。惜しくも逆転負けを喫してしまったが、1ゴールを記録。

 「めっちゃ楽しかった。毎日ワクワクしていた」と振り返ると同時に先制弾について語った。

  「今日になってあのシーンを振り返ると、本当に“やってきたもの”が詰まったゴールだなと思う」

原口元気の動画

 



年度別出場成績

18/19シーズン

 【リーグ戦】4試合1アシスト
(2018年10月16日時点)

17/18シーズン

 【リーグ戦(2部)】13試合1ゴール4アシスト
 【リーグ戦】7試合1アシスト
 【ヨーロッパリーグ】3試合
 【DFBポカール】1試合

16/17シーズン

 【リーグ戦】31試合1ゴール2アシスト
 【ヨーロッパリーグ予選】2試合
 【DFBポカール】2試合

15/16シーズン

 【リーグ戦】32試合2ゴール3アシスト
 【DFBポカール】5試合1ゴール1アシスト

14/15シーズン

 【リーグ戦】21試合1ゴール2アシスト
 【DFBポカール】2試合1ゴール1アシスト

2014年

 【リーグ戦】14試合4ゴール3アシスト
 【リーグカップ】3試合2アシスト

2013年

 【リーグ戦】33試合11ゴール8アシスト
 【ACL】4試合2ゴール1アシスト
 【リーグカップ】4試合2アシスト

2012年

 【リーグ戦】32試合6ゴール4アシスト
 【リーグカップ】4試合3アシスト
 【天皇杯】1試合

2011年

 【リーグ戦】30試合9ゴール3アシスト
 【リーグカップ】4試合2ゴール1アシスト
 【天皇杯】1試合

2010年

 【リーグ戦】26試合2ゴール2アシスト
 【リーグカップ】6試合1アシスト
 【天皇杯】1試合

2009年

 【リーグ戦】32試合1ゴール2アシスト
 【リーグカップ】6試合1ゴール

2008年

 【リーグカップ】1試合

代表歴

出場大会

U-16日本代表
U-18日本代表
U-19日本代表
AFC U-19選手権2008 (1試合0得点)
U-20日本代表
Jリーグ TEAM AS ONE (2011年、Jリーグ選抜)
U-22日本代表
ロンドン五輪・アジア最終予選
U-23日本代表
ロンドン五輪サッカー日本代表 予備登録メンバー

日本代表

AFCアジアカップ2011予備登録メンバー(2011年)
2014 FIFAワールドカップ・アジア3次予選(2011年)
東アジアカップ2013(2013年)
2018 FIFAワールドカップ・アジア2次予選(2015年)
キリンカップサッカー2016(2016年)
2018 FIFAワールドカップ・アジア3次予選(2016年)
2018 FIFAワールドカップ(2018年)



年度別来歴

2019年

 

2018年

 1月23日、フォルトゥナ・デュッセルドルフへのレンタル移籍が発表された。1月24日、第19節のFCエルツゲビルゲ・アウエ戦で途中出場からさっそくデビューを果たした。1月27日、アウェーの1.FCカイザースラウテルン戦でスタメンフル出場を果たし、1ゴール1アシストの活躍でチームを勝利に導き、MOMに選出された。 2月2日、第21節SVザントハウゼン戦にて2戦連続となるアシストを記録するも、相手選手と激突し頭部を強打。リーグ戦3試合の休養を強いられた。3月4日、第25節FCザンクトパウリ戦にて復帰するとその後もレギュラーポジションを掴み、13試合1ゴール5アシストの結果を残し、チームの1部昇格に貢献した。
 
 6月12日、ハノーファー96へ2021年6月までの3年契約で完全移籍。背番号は自身初の10番。

2017年

 2016-17年、第2節のFCインゴルシュタット04戦で先発出場し、2アシストの活躍でマン・オブ・ザ・マッチに選出された。その後もリーグ戦第9節までフル出場していたが、第11節で初めて先発を外されて以来、ベンチスタートが増えていく。2月4日、第19節のFCインゴルシュタット04戦では開始59秒でシーズン初得点を決め、再び先発出場する機会を増やすが、終盤は思ったような結果が残せず、また出場機会は減っていった。シーズン後半の不調をパル・ダルダイ監督は、ライバルであるミッチェル・ヴァイザーの復帰による『過剰なモチベーション』にあると分析した。

 8月19日のブンデスリーガ開幕節VfBシュトゥットガルト戦にて後半から途中出場し、今季初出場をしている。9月14日、欧州ELのアスレティック・ビルバオ戦で途中出場してELデビューを果たした。9月20日、ブンデスリーガ第5節バイエル・レバークーゼン戦で途中出場を果たし、ヘルタでの公式戦100試合出場を達成した。 10月1日、ブンデスリーガ第7節FCバイエルン・ミュンヘン戦で今季初スタメン出場を果たすと、ジェローム・ボアテング、ヨシュア・キミッヒ、マッツ・フンメルスらドイツ代表3人を抜き去り今季初アシストを記録し、MOMとベストイレブンに選出された。しかし、次戦のシャルケ04戦でボールロストした直後、シャルケのギド・ブルクシュタラーに対して危険なタックルを見舞い一発退場。2試合の試合出場停止処分を受け、その後は出場機会を急激に減らした。

2016年

 2015-16年、第4節のVfBシュトゥットガルト戦で今シーズン初得点をあげた。2016年3月19日、第27節のFCインゴルシュタット04戦では1得点1アシストの活躍を見せてMOMに選出された。

2015年

 3月14日、ブンデスリーガ第25節シャルケ04戦に途中出場し、ブンデスリーガ初ゴールを上げた。また、リーグ戦終盤にかけて監督の信頼を勝ち取り、献身的な動きでサイドのレギュラーを獲得した。

2014年

 5月25日、ドイツ・ブンデスリーガのヘルタ・ベルリンへ完全移籍することが発表された。契約期間は2014年6月から4年間。公式戦デビューとなったDFBポカール1回戦のSCフォルトゥナ・ケルン戦で、左MFに先発して移籍後初ゴールを挙げた。8月24日のブンデスリーガ開幕節ヴェルダー・ブレーメン戦でスタメン出場し、2得点に絡む活躍を見せたが、終了間際に相手からのタックルにより右肩関節を負傷し、3週間の離脱となってしまった。

2012年

 ベンチスタートが多かったがJ1第14節ガンバ大阪戦からスタメンに定着する。不慣れな1トップでの起用が多く、公式戦6得点に終わる。

2011年

 開幕からレギュラーに定着し、低迷するチームの中でコンスタントに得点を重ねる。この年、チームが残留争いに巻き込まれる中、後半戦は代表招集やほとんどの試合をフル出場する中でコンディションを落としてあまり目立った活躍はできなかったものの、リーグ戦トータルではチームトップの9得点を挙げ、ナビスコカップニューヒーロー賞を受賞した。

2010年

 開幕からしばらくは攻撃的なポジションの選手の層が厚かった影響で、途中出場が多かったが、第10節の名古屋グランパスエイト戦で負傷した田中達也との交代で途中出場し今季初ゴールとなる決勝点を記録。その後は故障者が多かったこともあり、スタメン出場も増えていったが、終盤戦は故障者の負傷が癒え好調を維持していた高橋峻希にスタメンの座を譲ることが多くなり、ベンチを暖めることが多かった。

2009年

 1月30日に浦和とプロ契約を締結。これは日本人でクラブ史上最年少である(エスクデロ・セルヒオは17歳ちょうどで契約したが、その時はまだ日本に帰化前)。2009年シーズンは、開幕戦の3月7日対鹿島アントラーズ戦でスタメンを飾りJリーグ初出場を果たすと、4月12日第5節名古屋グランパスエイト戦において、負傷した田中達也と交代で途中出場。クラブ日本人最年少ゴール(17歳11ヶ月3日)を決めた。その後、田中や梅崎司を怪我で欠くチーム事情もあり、スタメンに定着し、チーム2位となる32試合に出場した(1位は、全34試合に出場した阿部勇樹)。4月27日にはリーグ史上4番目の若さ(森本貴幸、阿部勇樹、稲本潤一に次ぐ)でA契約を結んだ。推定年俸は700万円。

プロ前

 江南南サッカー少年団の主力選手として2003年の第27回全日本少年サッカー大会で優勝に貢献。その同年に行われた全日本少年フットサル大会に出場、決勝では6ゴール7アシストと全ゴールに絡む活躍で兵庫FCを圧倒し優勝二冠を手にした。中学進学と共に浦和レッズジュニアユースに所属。その後、飛び級でユースに昇格した。

 ユースチーム昇格1年目からサテライトの試合に出場(2007年は4試合、2008年は2試合)。トップチームへの登録がスポーツ新聞で取りざたされたり、浦和の提携先であるFCバイエルン・ミュンヘンから練習生としての2年間オファーを受けるなど、動向が注目されていたが、2008年5月23日付けで2種登録選手としてトップ登録された。そして、5月25日のナビスコカップ、対名古屋グランパスエイト戦で公式戦デビューを飾った。これは、FCバイエルン・ミュンヘンのオファーに危機感を持ったフロントの意向もあったとされる。10月13日、高円宮杯第19回全日本ユースサッカー選手権 (U-18)大会決勝の、対名古屋グランパスエイトU-18戦に出場。1得点2アシストを挙げ、優勝に貢献した。また、AFC U-19選手権2008に出場するU-19日本代表に選出され、1試合に出場している。ユース時代は主に3トップの左ウィングとして起用されていた。



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