今季プレミアリーグで無敵の強さを誇るリバプール。その「原動力」となっているのが元イングランド代表ジェームズ・ミルナーだ。攻守の切り替えが非常に早く、90分間チームのためにピッチを走り続ける。まさにユルゲン・クロップ監督が掲げる「ゲーゲンプレス」に最もマッチしている選手と言っても過言ではない。指導するクロップ監督も「私が指導してきた中でTOP5の選手だ。彼は完璧なプロフェッショナルだね。」と賛辞の声を惜しまない。またバルセロナやユベントス、パリ・サンジェルマンで活躍したダニエウ・アウベスも「これまで最も対戦して嫌だった選手はミルナーだ。彼は前からも後ろからもついてくる。そして何度も攻撃も守備もしてくるからとても難しい相手なんだ。」と明かした。
クロップサッカーにおいてピッチを走り続け、黒子に徹する姿からはあまり想像出来ないが、実は多くのアシストを記録していることをご存知だろうか?準優勝を果たしたUEFAチャンピオンズリーグ17-18では8アシストを記録し、大会アシスト王に輝いている。この8アシストというのはUEFAチャンピオンズリーグ史上1シーズンの最多アシスト記録だ。さらに歴代のプレミアリーグ通算アシストランキングでは、デイビッド・ベッカムと並ぶ7位にランクインし、80アシストを記録している(2018年9月22日現在)。現役のプレミアリーグ選手のみでランキングを作成するとセスク・ファブレガスの111アシストに次ぐ2番目の数字だ。なぜこんなにも走り続け、こんなにもアシストを記録することが出来るのか?その理由は年齢を重ねると共に進化し続ける「プレースタイル」にあった。
- 【選手紹介】ミルナーのプレースタイルと選手紹介
- 【選手紹介】ミルナーのプロフィール
- 【ヒストリー】無尽蔵の体力の原点
- 【ヒストリー】サッカーとの出会いからプロまでの道
- 【ヒストリー】プレミアリーグ史に残る鮮烈なプロデビュー
- 【ヒストリー】伸び悩んだニューカッスル時代
- 【ヒストリー】中盤へのポジション変更により再び集まった脚光
- 【ヒストリー】「便利屋」として起用されたシティ時代
- 【ヒストリー】中盤でのプレーを求めてリバプールへ
- 【ヒストリー】クロップ監督就任から1年半後、ようやく始まった中盤での勝負
- 【ヒストリー】ミルナーと慈善活動
- 【ディスコグラフィー】紹介動画
- 【ディスコグラフィー】年度別出場成績
- 【ディスコグラフィー】パラメータ・能力値※制作中
- 【年度別来歴】プロキャリア※制作中
- 【年度別来歴】アマチュア時代の評価※制作中
- 【年度別来歴】代表歴※制作中
- 【選手評価】スタッツ※制作中
- 【選手評価】市場価値※制作中
- 【選手評価】能力値変遷※制作中
ミルナーのプレースタイルと選手紹介
サッカー選手として必要な能力を全て兼ね備えている万能MF。最大の武器は無尽蔵の体力と、90分間チームために走り続ける「献身性」だろう。これはデータにも現れており、リバプールの1試合あたりの走行距離1位は9割5分以上ミルナーである。さらには、先程述べた通り非常に制度の高いクロスやパスをFWに供給しアシストを量産する。また、CKやFKなどセットプレーのキッカーも務めることも多い。守備面では、集中力が高く攻守の切り替えが非常に早い。プレスやタックルも非常に得意とし、クロップ監督の「ゲーゲンプレス」という戦術に最もマッチしている選手である。175cmとそこまで身長は高くないが、意外にも空中戦も強い。
GKとCB以外のポジション以外全てのポジションをこなせるポリバレント性が特徴だが、自身が語る適正ポジションはCMFだ。ミルナーを一躍有名にしたアストン・ビラでの09-10シーズンのポジションもCMFであった。また、最多アシスト記録を更新し、UCL決勝へ進出した17-18シーズンもCMFでプレーしていた。
ミルナーのプロフィール
選手名 | ジェームズ・ミルナー(James Milner) |
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ポジション | CMF/SMF/SB/OMF/CF |
出身 | イングランド/リーズ |
年齢/生年月日 | 43歳/1986年1月4日 |
身長・体重 | 175cm・70kg |
現所属チーム/背番号/利き足 | リバプール(イングランド)/7/右足 |
代表/デビュー年 | 元イングランド代表/2009年8月12日 |
過去所属 | マンチェスター・シティ、アストン・ビラ、ニューカッスル、スウィンドン、リーズ(以上イングランド) |
クラブ・代表タイトル | プレミアリーグ3回(マンチェスター・シティ)、FAカップ(マンチェスター・シティ)、EFLカップ(マンチェスター・シティ)、FAコミュニティ・シールド(マンチェスター・シティ) |
個人タイトル | PFA最優秀若手選手賞(09-10)、PFAベストイレブン(09-10) |
無尽蔵の体力の原点
ジェームズ・ミルナーは、1986年1月4日にリーズの「ウォートリー」で生まれた。幼い頃から様々なスポーツに取り組んだ。抜群の運動神経の持ち主だったそうで、サッカー、クリケット、クロスカントリー、中距離走を得意としていた。クロスカントリーと中距離走では、毎年のように学校の大会で優勝していたそうで、今の無尽蔵の体力を幼い頃から備えていたという。さらに現在はダーツの腕もプロレベルだそう。
サッカーとの出会いからプロまでの道
ミルナーは小学校の頃にサッカーを始めた。クリケットなど他のスポーツも熱心に取り組んだが、いつもプロサッカー選手になることを望んでいた。ミルナーは子供の頃から地元の古豪リーズ・ユナイテッドを応援していた。父がシーズンチケットを所有していたそうで、頻繁にスタジアムへ通ったという。
地元の中学校でプレーしていた10歳の時、リーズ・ユナイテッドのスカウトの目に付きユースへ入団した。大好きなクラブに入団したミルナーは熱心にサッカーを続け、2001年にはイングランドU-16代表デビューを飾った。
プレミアリーグ史に残る鮮烈なプロデビュー
2002年11月10日に行われたウェストハム戦でプレミアリーグデビューを飾った。この時16歳と309日。これはプレミアリーグ史上2番目に若いデビュー記録だ。そして2002年12月16日に行われたサンダーランド戦でプロ初ゴール。これは2005年にジェームズ・ヴォーンに破られるまで、プレミアリーグ史上最年少ゴールだった(16歳356日)。鮮烈なプロデビューを飾ったミルナーは、18試合2ゴールでシーズンを終えた。翌03-04シーズンもシーズンのほとんどをレギュラーとして過ごし、プレミアリーグ30試合3ゴールを記録した。しかし、チームは2部へと降格。これに目をつけたトッテナムやニューカッスル、アストン・ビラ、エバートンなどが獲得に興味を示した。
伸び悩んだニューカッスル時代
2004年7月2日にニューカッスルへの完全移籍が発表された。ミルナーは自分が10歳から過ごしたクラブを退団することに反対したが、財政難であったリーズ・ユナイテッドは利益を出すために渋々売却した。ニューカッスルでは初年度からSMFとしてフル稼働。この頃からハードワークに定評があったものの、SMFとしての突破力不足が指摘されるなど殻を破れずにいた。実際、2004年にイングランドU-21代表デビュー後、A代表に呼ばれないまま5年間で46試合に出場したのがそれを物語っているだろう。
翌05-06シーズンはアストン・ビラへレンタル移籍。加入直後からスタメンの座を掴み、アストン・ビラは完全移籍での獲得を望むもニューカッスルとの交渉は決裂。その後2シーズンは再びニューカッスルでプレーした。
中盤へのポジション変更により再び集まった脚光
2008年8月29日にアストン・ビラへの完全移籍が発表された。レンタル移籍から2年ぶりの復帰となった。アシュリー・ヤングと共に両翼を形成し、加入初年度からプレミアリーグ36試合3ゴール9アシストを記録する大活躍。シーズン終了後にはイングランド代表から初選出された。そして09-10シーズン、ガレス・バリーのマンチェスター・シティ移籍とスチュワート・ダウニング加入に伴い念願のCMFへコンバート。これが見事にハマりプレミアリーグ36試合で7ゴール12アシストを記録。ゴールに絡む以外にも、無尽蔵にピッチを走り回り、ハードワークでもチームに貢献した。この活躍によりPFAベストイレブンと最優秀若手選手賞を受賞。シーズン終了後の南アフリカW杯メンバーにも選出された。
「便利屋」として起用されたシティ時代
2010年8月17日にマンチェスター・シティへの完全移籍が発表された。取引内容はスティーブン・アイルランド+金銭であった。多くの試合に出場したものの、シーズンが経つにつれ再びサイドでプレーする頻度が増えるように。中盤での起用を望むミルナーとチームの間で確執が生まれ契約を延長することはなかった。特に契約最終年はCFやRSBで出場するなど、CMFでの出場はシーズンを通じてわずか2試合のみの出場に終わった。
中盤でのプレーを求めてリバプールへ
14-15シーズン終了後、リバプールへのフリー移籍が発表された。リバプールでは加入直後から本職であるCMFで起用。主将のジョーダン・ヘンダーソンが負傷していため、開幕からわずか3試合でキャプテンマークを巻くなどすぐにブレンダン・ロジャーズ(当時)の信頼を得た。その後成績不振でロジャーズが解任され、ユルゲン・クロップへ体制へ変更。スタメンの座は確保したものの、ヘンダーソンがケガから復帰後はサイドでプレーする回数が増えた。16-17シーズンは、LSBアルベルト・モレノの不振などに伴いシーズンのほとんどをLSBとしてプレーした。
クロップ監督就任から1年半後、ようやく始まった中盤での戦い
17-18シーズン、LSBにアンドリュー・ロバートソンを補強したため、クロップ監督の下でのようやく「CMFミルナー」の戦いが始まった。同シーズン、UEFAチャンピオンズリーグ決勝に進出するなど、クロップ監督が掲げる「ゲーゲンプレス」が完全に浸透したこのシーズンのリバプールの躍進は凄まじかった。「ゲーゲンプレス」とは、中盤で相手にボールを失った直後に攻守を切り替え、プレスをかけることによって数秒以内にボールを奪い返し、ショートカウンターに転じる戦術である。この戦術が成立するためには、90分間走り抜く力が必要だ。それに最も適しているのはミルナーだろう。平均走行距離は12kmを超え、多い試合では13km以上を走り抜く。クロップ監督が展開するサッカーにおいて、走り抜く献身性だけでなく、素早い攻守の切り替えからのプレス、さらにアシスト能力を兼ね備えるミルナーの重要性は非常に高い。そしてこの「プレースタイル」の確立は、様々なポジションを経験した集大成と言っても過言ではないだろう。33歳になっても衰えることを知らないミルナーは、今季チームを1989-1990シーズン以来の優勝に導くことが出来るだろうか?
ミルナーと慈善活動
ミルナーは妻(事実婚。籍は入れていない。)のエイミー・フレッチャーと共にチャリティー活動に精力的に取り組んでいる。2012年4月には「ジェームズ・ミルナー財団」を設立。主にイギリス内で死亡率の高い白血病患者とガン患者に対する支援を積極的に行っている。毎年のようにイベントを開催し、2018年9月にはアストン・ビラ時代の同僚で急性白血病のために現役引退を余儀なくされたスティリアン・ペトロフ氏と共にチャリティーマッチを開催。サッカー選手としてをプレーする姿だけでなく、チャリティー活動にも精力的に取り組むミルナーの姿から目が離せない。
ミルナーの動画
年度別出場成績
プレミアリーグ 22試合2ゴール
UCL 8試合0ゴール
FAカップ 2試合0ゴール
EFLカップ 2試合2ゴール
UEFAスーパー杯 1試合0ゴール
クラブW杯 2試合0ゴール
プレミアリーグ 31試合5ゴール
UCL 12試合2ゴール
FAカップ 1試合0ゴール
EFLカップ 1試合0ゴール
プレミアリーグ 32試合0ゴール
UCL 11試合0ゴール
FAカップ 2試合1ゴール
EFLカップ 0試合0ゴール
プレミアリーグ 36試合7ゴール
FAカップ 0試合0ゴール
EFLカップ 4試合0ゴール
プレミアリーグ 28試合5ゴール
EL 12試合2ゴール
FAカップ 1試合0ゴール
EFLカップ 4試合0ゴール
プレミアリーグ 32試合5ゴール
UCL 8試合1ゴール
FAカップ 2試合2ゴール
EFLカップ 2試合0ゴール
プレミアリーグ 31試合1ゴール
UCL 6試合1ゴール
FAカップ 4試合0ゴール
EFLカップ 3試合0ゴール
プレミアリーグ 26試合4ゴール
UCL 2試合0ゴール
FAカップ 6試合0ゴール
EFLカップ 1試合0ゴール
プレミアリーグ 26試合3ゴール
UCL 4試合0ゴール
EL 2試合0ゴール
FAカップ 1試合0ゴール
プレミアリーグ 32試合0ゴール
EL 5試合0ゴール
FAカップ 3歳2ゴール
EFLカップ 1試合0ゴール
プレミアリーグ 1試合1ゴール
プレミアリーグ 36試合7ゴール
EL予選 2試合1ゴール
FAカップ 5試合0ゴール
EFLカップ 6試合4ゴール
プレミアリーグ 36試合3ゴール
UEFAカップ 4試合0ゴール
FAカップ 3試合3ゴール
プレミアリーグ 2試合0ゴール
EFLカップ 1試合1ゴール
プレミアリーグ 29試合2ゴール
FAカップ 2試合1ゴール
EFLカップ 1試合0ゴール
プレミアリーグ 35試合3ゴール
UEFAカップ 9試合0ゴール
UEFAカップ予選 2試合0ゴール
UIカップ 2試合0ゴール
FAカップ 2試合1ゴール
EFLカップ 3試合0ゴール
プレミアリーグ 27試合1ゴール
FAカップ 1試合0ゴール
EFLカップ 1試合0ゴール
プレミアリーグ 3試合0ゴール
UIカップ 4試合0ゴール
プレミアリーグ 25試合1ゴール
UEFAカップ 11試合0ゴール
FAカップ 3試合0ゴール
FLC(英2部) 6試合2ゴール
プレミアリーグ 30試合3ゴール
FAカップ 1試合0ゴール
EFLカップ 1試合0ゴール
プレミアリーグ 18試合2ゴール
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