ラ・リーガ屈指の攻撃サッカーを展開するセルタ・デ・ビーゴ。攻撃陣を牽引するのは同クラブの下部組織出身であるスペイン代表FWイアゴ・アスパスだ。その驚異的な決定力を武器にゴールを量産しているストライカーは、これまでセルタでクラブ歴代最多ゴールとなる147ゴールを記録している。(2020年4月4日現在)
現在は下部組織を過ごしたセルタでプレーするアスパスだが、かつてイングランドの強豪リバプールに所属していたことをご存知だろうか。13年夏、25歳の時に鳴り物入りでリバプールに加入したアスパスだったが公式戦15試合でわずか1ゴールに終わった。失格の烙印を押されたアスパスだったが、15年夏にセルタ復帰以降は再びゴールを量産。15-16ゴールからは3シーズン連続でキャリアハイのゴール数を記録。18年夏にはセルタに所属する選手としては日韓W杯に出場したファンフラン以来、4大会ぶりにスペイン代表のW杯メンバーに選出。32歳となった現在も衰えるどころか成長し続けている現ラ・リーガ最強の国産ストライカーの現在地とは。
- 【選手紹介】イアゴ・アスパスのプレースタイルと選手紹介
- 【選手紹介】イアゴ・アスパスのプロフィール
- 【ヒストリー】幼少期からアカデミー入団まで
- 【ヒストリー】セルタを1部へ
- 【ヒストリー】『言語の壁』に直撃
- 【ヒストリー】愛するクラブへ2年ぶりの復帰
- 【ヒストリー】W杯を経て新たな高みへ
- 【ディスコグラフィー】紹介動画
- 【ディスコグラフィー】年度別出場成績
- 【ディスコグラフィー】パラメータ・能力値※制作中
- 【年度別来歴】プロキャリア※制作中
- 【年度別来歴】アマチュア時代の評価※制作中
- 【年度別来歴】代表歴※制作中
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- 【選手評価】能力値変遷※制作中
イアゴ・アスパスのプレースタイルと選手紹介
クラブ史上最多の通算130ゴールを決めているセルティスタの伝説。驚異的な決定力を誇り、巧みなドリブルで相手DFを欺けば、スペースの使い方のセンスも抜群に上手くスペイン代表の試合でも悠々とプレーしている。また元々OMFという事もあり、パスの精度も高く周りの選手のゴールをお膳立てする事が出来る万能型FW。直接FKも得意。加えてオフサイドは極端に少なく、17-18シーズンにラ・リーガで2桁ゴールを記録した選手の中で2番目に少ない「11」回。
短気のため頻繁にイエローカードを貰う。セルタに復帰した15-16シーズン以降、ラ・リーガで28枚のイエローカードを貰っている。(2018年11月23日現在)
愛車はフェラーリ、ランボルギーニ、ポルシェ、レンジローバー、BMW。大の高級車好き。
既婚。2017年にジェニファー・ルエダと結婚。2人の子供がいる。2人目の子供誕生の際には妻の出産に立ち会って、それから24時間も経たないうちに行われたエイバル戦でハットトリックを達成した。
イアゴ・アスパスのプロフィール
選手名 | イアゴ・アスパス(Iago Aspas) |
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ポジション | CF/RWG |
出身 | スペイン/モアーニャ |
年齢/生年月日 | 32歳/1987年8月1日 |
身長・体重 | 176cm・67kg |
現所属チーム/背番号/利き足 | セルタ・デ・ビーゴ(スペイン)/10/左足 |
代表/デビュー年 | スペイン代表/2016年11月15日 |
過去所属 | セビージャ(スペイン)、リバプール(イングランド) |
クラブ・代表タイトル | UEFAヨーロッパリーグ(2014-15) |
個人タイトル | サラ賞2回(セルタ) |
幼少期からアカデミー入団まで
イアゴ・アスパスは、1987年8月1日に海に面するスペイン西部の街「モアーニャ」に生まれた。レバノン人の血を引いており、少しだけアラビア人系の顔立ちをしている。3人兄弟の次男として生まれたイアゴは、兄弟と共に地元モアーニャのCDモアーニャというサッカークラブでサッカーを初めた。また従兄弟のアイトール・アスパスも同じクラブでサッカーを初めている。イアゴは兄弟や従兄弟の中で最も才能に恵まれた子供だったそう。
8歳の時、地元モアーニャからおよそ15km離れた「ビーゴ」に本拠地を置くセルタ・デ・ビーゴのアカデミーの入団テストを受けることとなった。しかし、テスト直前に衝撃の事実を知る。入団テストの対象は「1986年生まれ」の子供だけだったのだ。イアゴは「1987年8月1日」生まれと対象年齢ではなかった。これに同行していた叔父のクリストバルは、イアゴに「1986年生まれと言えばよい」と伝え、イアゴはその通りに従いテストを受けた。結果は「合格」。家族は喜びに浸ったが、それと同時に本当の年齢を伝えるということに対して恐怖を感じていた。数日後、イアゴは両親と共にセルタのアカデミーの施設に向かった。そして両親は年齢詐称のことを告白した上で、息子を受け入れてくれるよう懇願した。すると意外なことにアカデミーのコーチは全くその事を気にしなかった。こうしてイアゴは正式にセルタのアカデミーに入団することが決まった。そして兄ジョナサンも同アカデミーに入団することとなった。
セルタを1部へ
2005年夏には下部リーグのボウサスへレンタル移籍。1年後にセルタへ復帰しBチームでデビューを果たした。そして2009年6月6日、ラ・リーガ2第40節アラベス戦で後半59分から出場しトップチームデビューを果たす。この試合でアスパスは2ゴールを奪い、チームを2-1の勝利に導いたのであった。戦列なデビューを飾ったアスパスは、残りの41節、42節でも先発起用された。
翌09-10シーズンからは完全にトップチームに定着。11-12シーズンはラ・リーガ2で35試合に出場し得点ランキング2位の25ゴールを記録。チームは勝ち点を「85」積み上げ、自動昇格圏内の2位でフィニッシュした。
12-13シーズン、6シーズンぶりにラ・リーガへの復帰を果たしたセルタ。25歳にして初のラ・リーガ挑戦となったアスパスはラ・リーガでもエースとしてチームを牽引。出場停止の4試合を除いて全試合に先発出場を果たし12ゴール7アシストを記録。アスパスの活躍もあり、チームはラスト2試合で2連勝を果たし逆転で1部残留を決めた。
『言語の壁』に直撃
2013年夏、イングランドの強豪リバプールへの完全移籍が発表された。移籍金は約810万ポンド(約11億7000万円)。背番号はイアン・ラッシュやフェルナンド・トーレスらが着用した「9」。大いなる期待を受けてビッククラブに加入したアスパスだったが、「英語」という言語の壁に直撃。さらにはFWルイス・スアレス(現バルセロナ)、FWダニエル・スターリッジ、FWラヒーム・スターリング(現マンチェスター・シティ)、MFフェリペ・コウチーニョ(現バルセロナ)ら強力攻撃陣からレギュラーポジションを奪えず、リーグ戦では1ゴールも奪うことが出来ないままシーズンを終えた。半ば戦力外という形で1年後ににセビージャへの買い取り義務付きレンタル移籍が発表。そしてリバプールのサポーターからは「史上最悪の補強」揶揄されたのであった。
14-15シーズン、自信を失ったアスパスはセビージャでも出場機会確保に至らず。エメリ監督(当時)の構想外となり、リーグ戦ではわずか4試合の先発出場に留まり2ゴールに終わった。コパ・デル・レイではターンオーバーとして5試合7ゴール2アシストと大きく結果を残したが、それでも出場機会確保には至らなかった。チームはELで優勝を果たすもアスパスは決勝トーナメント以降は1試合も出場することはなかった。
愛するクラブへ2年ぶりの復帰
2015年7月7日、セルタへの完全移籍が発表。慣れ親しんだクラブに2シーズンぶり復帰を果たしたアスパスは完全復活を遂げる。開幕戦のレバンテ戦で決勝点を決めると、第5節バルセロナ戦では2ゴールを奪い大金星に大きく貢献。3トップを形成したノリート、オレジャーナとの相性も抜群でアスパスは34試合でチーム最多の14ゴールを記録した。チームは大躍進を遂げEL出場圏内の6位でフィニッシュした。
翌16-17シーズンはEL出場とエース格だったノリートの退団に伴い、シーズンを通じてハードな戦いを余儀なくされた。するとチームはリーグワースト5位の失点数を記録するなど守備陣を中心に不振に喘いだ。しかし、完全復活を遂げたアスパスに怖いものはなかった。ラ・リーガでは32試合で19ゴール、ELでは12試合で5ゴール、コパ・デル・レイでは5試合で2ゴールと大爆発。セルタが出場した全大会でチーム1位のゴール数を記録したのであった。ちなみにチーム得点王のアスパスが公式戦で26ゴールを記録したのに対し、2位はグイデッティの9ゴール。チームの攻撃は明らかにアスパスに依存していた。
W杯を経て新たな高みへ
そして2016年11月にはフレン・ロペテギ監督(当時)率いるスペイン代表に初選出。デビュー戦の対戦相手は、皮肉にも自分が活躍出来なかった地であるイングランドだった。アスパスは後半開始と同時に出場。0-2と2点のリードを許し迎えた89分、カウンターからモラタのパスを受けたアスパスが相手DFを躱して左足を振り抜く。ボールはゴール左隅に吸い込まれ1-2と一点差に詰め寄った。このゴールから息を吹き返したスペイン代表は猛攻を仕掛ける。そして90+6分、アスパスのクロスを受けたイスコがゴールを決め試合終了間際に土壇場で追いつき、イングランドサポーターへ見返す活躍を披露したのであった。
続く17-18シーズンはさらにゴールを量産。新たにチームに加わったマキシ・ゴメスとの相性も抜群で、ラ・リーガ34試合で得点ランキング4位の22ゴールを記録。3年連続でキャリアハイのゴール数を記録した。この活躍もありロシアW杯メンバーに選出。30歳にして初の国際大会出場となった。しかし、スペイン代表は大会直前にロペテギ監督が解任されチームはゴタゴタの状態に。それでもアスパスは、グループステージ第3戦モロッコ戦でチームを決勝トーナメント進出に導くゴール記録。限られた出場時間の中で仕事をやってのけた。続く決勝トーナメント1回戦のロシア戦はPK戦までもつれ込む大接戦に。スペインは3人目のキッカーであったコケが失敗。ロシアは全員成功という追い込まれた状況で5人目のキッカーとして登場たのがアスパスであった。しかし、アスパスのキックは枠を捉えたがアキンフェエフのファインセーブに合いスペインは敗退。初の国際大会は不甲斐ない形で幕を閉じた。
大会終了後、レアル・マドリードの監督に就任に伴いスペイン代表監督を解任されたロペテギ監督から加入の誘いを受けるもこれを拒否。アスパスはインタビューで「私はここで(セルタ)幸せだ。息子、妻、両親と一緒に生活することはお金では買えない耐え難いことです。私はいつもセルタでプレーすることを夢見ていたし、ここで引退したいんだ。」と語っており、クラブへの忠誠を誓ったのであった。そして18-19シーズン。アスパスはラ・リーガ第12節終了時点で得点ランキング3位の8ゴールと変わらずゴールを量産している。スペイン人選手では07-08シーズンのダニ・グイサ(当時マジョルカ)以来のラ・リーガ得点王の座も視野に入れている。『セルタの伝説』はこれからもゴールを量産し続ける。
イアゴ・アスパスの動画
《ラ・リーガ選定!2017年のイアゴ・アスパスのベスト10ゴール》
《17-18シーズンのプレー集》
年度別出場成績
ラ・リーガ 26試合9ゴール2アシスト
コパ・デル・レイ 1試合0ゴール0アシスト
ラ・リーガ 27試合20ゴール6アシスト
コパ・デル・レイ 2試合1ゴール0アシスト
ラ・リーガ 34試合24ゴール5アシスト
コパ・デル・レイ 3試合1ゴール0アシスト
ラ・リーガ 32試合19ゴール4アシスト
UEL 12試合5ゴール2アシスト
コパ・デル・レイ 5試合2ゴール2アシスト
ラ・リーガ 35試合14ゴール5アシスト
コパ・デル・レイ 5試合4ゴール0アシスト
ラ・リーガ 16試合2ゴール1アシスト
UEL 3試合1ゴール0アシスト
コパ・デル・レイ 5試合7ゴール2アシスト
プレミアリーグ 14試合0ゴール1アシスト
FAカップ 1試合1ゴール0アシスト
EFLカップ 0試合0ゴール0アシスト
ラ・リーガ 34試合12ゴール6アシスト
コパ・デル・レイ 3試合0ゴール1アシスト
ラ・リーガ2 35試合23ゴール
コパ・デル・レイ 3試合2ゴール
ラ・リーガ2 28試合4ゴール
コパ・デル・レイ 1試合1ゴール
ラ・リーガ2 36試合5ゴール
コパ・デル・レイ 7試合1ゴール
ラ・リーガ2 3試合2ゴール
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