【選手名鑑】桐畑和繁の現在地|“サブ”としてではなく挑み続ける「レイソル守護神の座」

 ゴールキーパーの座は1つ。桐畑に立ちふさがってきた南雄太・菅野孝憲という大きな壁。一時は自信を無くしかけるもGKコーチからの言葉でさらなる進化を遂げ、プロ5年目にして掴んだデビュー戦。そして桐畑の眼前に再び立ちふさがる「中村航輔」という大きな壁。サブGKではなく守護神・正GKという座を狙う桐畑の現在地とは。

目次



桐畑和繁のプレースタイルと選手紹介

 饒舌なキャラクター、明るく陽気な性格。絶えずチームを盛り上げるムードメーカー。

桐畑和繁のプロフィール

選手名 桐畑和繁|Kazushige KIRIHATA
出身 山梨県甲府市
生年月日 1987/6/30
身長・体重 187cm・77kg
現所属チーム/背番号/利き足 柏レイソル/#1/右足
過去所属



GKとの出会い

 「俺がGKをやってもいいですか?」
 桐畑がサッカーを始めたのは、幼稚園生の頃。柏のラッセルFCに入団。ある日、GKの体調不良により試合を欠場した。桐畑が自ら懇願し、急遽GKとして出場することになる。これがGKという“天職”との始まりだった。「俺の中であれほどのベストマッチはない」と語るほどのスーパープレーを連発した。
 親に買ってもらったGKグローブは、大事にし過ぎたあまり、一度も洗わず、異臭を放ったという。

自信を取り戻すきっかけとなった2人のGKコーチ

 「全部決められてしまうんです。何で決められちゃうのかが分からない。」
 ユースからトップチームへの昇格を果たした桐原に待ち受けていたのは厳しい現実だった。プロ選手の放つシュートは自分の手ではなく、後ろのゴールネットが受け止める。自信を無くしかけていた桐畑に、2007年新GKコーチに招聘されたロビンソン氏が言葉をかける。「お前は良い選手だ。絶対に出られるようになる。大丈夫だ」この言葉で気持ちが晴れた桐畑は自身を取り戻す。さらに2009年にはロビンソン氏に代わって就任したシジマール氏にもポジティブな言葉をかけられ、桐畑は大きく成長する。
 そして訪れた2010年7月25日、J2第19節。

突如として訪れたトップチームデビュー戦

 「ビビりましたよ。でも、人間ビビると笑っちゃうんですよ」
 桐畑を待つのは、ベンチを温める日々。当時、守護神の座についていた南雄太の壁は高く、2008年菅野孝憲が横浜FCから加入したことで桐畑の守護神への道はさらに険しさを増した。柏に入団した2006年から2009年の4シーズンを通してピッチに立てたのは1試合もなかった。
 そして2010年7月25日、J2第19節。それは突如として訪れた。ジェフユナイテッド千葉との「千葉ダービー」いつも通りベンチ入りに名を連ねた桐畑。スタメンは菅野孝憲。すると開始2分菅野孝憲が相手選手と交錯し、負傷交代。シジマールGKコーチから呼ばれた名前は「キリィ!!」・・・桐畑和繁だった。
 デビュー戦を果たした桐畑はこの時プロ5年目。

南、菅野、そして中村航輔

 南雄太、菅野孝憲と桐畑に立ちふさがってきた、尊敬するGKと共にのりこえなくてはならない大きな大きな「壁」
 菅野孝憲が2015年シーズンで柏を去り、京都へ旅立った。同時にアビスパ福岡から柏へ復帰した中村航輔が桐畑にとって「次の」大きな壁となった。
 サッカーでのGKというポジションは1つ。守護神と呼ばれる地位を桐畑は狙い続ける。

桐畑和繁の動画

 



年度別出場成績

2018年

2016年

 【リーグ戦】6試合14失点
 【リーグカップ】5試合7失点

2015年

 【リーグ戦】5試合4失点クリーンシート3試合
 【リーグカップ】1試合2失点

2014年

 【リーグ戦】11試合10失点クリーンシート5試合
 【リーグカップ】2試合3失点

2011年

 【リーグ戦】8試合14失点クリーンシート2試合

2010年

 【リーグ戦】2試合3失点

年度別来歴

2018年

 中村航輔が怪我のため桐畑が出場。1シーズンの最多出場記録を更新中。

2014年

 9月20日のJ1第24節浦和レッズ戦で菅野の退場により、3年振りとなる公式戦出場を果たすと、以降の公式戦全試合にスタメン出場。チームの終盤の7連勝とAFCチャンピオンズリーグ2015出場権獲得に貢献した。

2011年

 チームがJ1に復帰してからも菅野の控えだったが、2011年6月25日のヴァンフォーレ甲府戦で菅野の負傷によりJ1デビューを飾った。この年は菅野不在時にゴールを守ったが、安定した守りでその穴を感じさせず昇格1年目でのJ1初優勝に貢献した。

2010年

 7月25日、J2第19節ジェフユナイテッド千葉戦で菅野孝憲の退場により、Jリーグ初出場を記録した。

2007年

 権田修一の負傷により、繰り上げでU-20ワールドカップに臨むU-20日本代表に選出。

2006年

 2006年にトップチームに昇格した。



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