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【庄司悦大】磨き続けたパスの技術、J2屈指のコントロールタワーが初のJ1へ。

 「ピンポイントすぎる補強」と感じ取った。グアルディオラやナーゲルスマン、MF井手口陽介が移籍したクルトゥラル・レオネッサの監督ルベンなど、戦術家型監督への道を歩み始めた渡邉晋監督のもとにあって、昨今のベガルタ仙台の補強・育成は興味深いものがある。しかし、ゲームメーカーとしての才を開花させたMF三田啓貴がこの度ヴィッセル神戸へと移籍してしまう。
 2018年1月6日、『岐阜MF庄司悦大、ベガルタ仙台完全移籍』J2屈指のコントロールタワーにようやくJ1からの光が注がれた。磨き続けたパスが、庄司自身を強くし、価値と換えた。
 光が当たりそうなところにはずっといた。清水エスパルスジュニアユース、清水商業高校、専修大学と、学生時代にはプロに注目されやすいチームに在籍し、大学時には選手権MVPなどの個人タイトルまで獲得した。プロ入り後は町田ゼルビア、レノファ山口、FC岐阜と渡り歩いたが、学生時代のウィークポイントだった守備力とガムシャラさの弱点を補い、武器であるパスを磨いてきた。

 2008年、清水商業高校を卒業予定だった庄司には、プロの道はおろか明確な大学のビジョンもなかった。高校サッカーを終えて、サッカーの意欲からも冷めつつあったが、当時「強豪」とはいえなかった専修大の誘いに乗り本人曰く「軽いノリ」でサッカーを続けることを決めた。結果として大学時代も4年間継続。1年時序盤から公式戦で出場し続けたことは一つのきっかけだったようだ。庄司が所属する4年間で専修大は強豪へ、本人も個人タイトルを獲得するなど、取り巻く環境自体が変わってきていた。
 それでもJ1から声のかかるような選手ではなかったと本人は言う。結果として、練習参加のきっかけから受け入れてくれた、J2へ初参入する町田ゼルビアのJリーグ登録後初の補強選手として加入することとなった。大卒一年目から出場し続けたパサーはチームに貢献こそすれどチームは波に乗り切れず、降格してJFLへ。大学選手権MVPの存在も一旦国内の第一線から隠れてしまう。
 2013年ではJFLで28試合、2014年はJ3で28試合に出場した庄司は2015年、レノファ山口へと移籍する。2013年JFL時代の町田で共闘し、1年早く山口へと移籍したFW岸田和人たっての推薦だった。
 2015年のレノファ山口は異次元の攻撃力を誇る。FW岸田和人、MF福満隆貴(現・セレッソ大阪)、MF鳥養祐矢、MF島屋八徳(現・徳島ヴォルティス)をMF小塚和季(現・ヴァンフォーレ甲府)と庄司が司り、山口はJ3を1年で卒業させる原動力となった。最上位のリーグではなく下部のリーグを経験して掴んだのは、攻守問わずなんとかしきるメンタル面と武器のパスを活かすための守備力向上にあった。地上戦ではなく空中戦やボックス内での競り合いが重要視される2部以下のカテゴリーでは、球際以上に競り合える頻度は増える。ポジションの特性上もあって、付け焼いた刃が磨かれていくことに時間はかからなかった。
 2016年、4年ぶりにやってきたJ2。そこにパサーの姿はなかった。パスだけでなく、チームを導く攻撃的ベクトルで推進力を増すゲームメーカーとして君臨。まさにレノファの心臓だった。
 2017年には、パスサッカーを標榜するFC岐阜へと移籍。MFシシーニョ(現・徳島ヴォルティス)やMF永島悠史とともに国内プロリーグの歴史上に残るパス本数で相手を凌駕した。パサーはゲームメーカー、レジスタとなり、強化されたメンタルでコントロールタワーへと階段を駆け上がっていく。

 MF三田啓貴の移籍は一つの幸運だ。資金予算が潤沢にあるクラブはわざわざJ2から引き上げるのではなく、他チームや外国籍選手、新人選手の青田買いに走る。個人昇格には、チームごと上がるかJ1予算規模の小さいチーム以外に他なかった。
 仙台で活躍できるのか、との問いがあるとすればそれは杞憂。同一カテゴリー・同一チームで2年連続プレーしたことがないものの、プロ6年間での最低出場数は1年目の27。6年間でリーグ戦通算201試合に出場している。心配をあげるならば初のJ1という点だが、培ったキャプテンシーは必ずや活きてくるはずだ。両ワイドに起点を保持するベガルタにとって中央に座する一本の槍が備わったことは、チームにとって大きな力となる。
 J2・J3・JFLで6年かけて磨いた、下部リーグ最高レベルのパススキルはどこまで通用するか、庄司悦大の新たなチャレンジに注目したい。