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【平山相太】たらればを発したくなる怪物の引退

 2017年J1開幕節、FW石原直樹が得点を決める。すると男は悟ったかのようにベンチへ戻った。交代準備はDFに切り替わった。それが、彼の現役生活最後のユニフォーム姿となった。
 『怪我の多い選手』と謳われた選手生活を、あらかじめ見抜いていたのは、当時国見高校サッカー部総監督を務めていた小嶺忠敏だった。高校サッカーだけでなく、飛び級で戦い抜いたアテネ五輪最終予選でも活躍し、19歳4ヶ月でサッカー種目史上最年少でオリンピック代表に選ばれた。得点能力は高かったが筋肉量の不足を指摘し、国内外プロチームからの誘いを断って筑波大へと進学させた。
 しかし、国内の大学リーグ戦に満足できず、休学してヘラクレス・アルメロ(エールディヴィジ/オランダ)へ移籍。初年度から活躍するも、監督交代を境に出場機会を失ってしまう。
 救いの手はFC東京から向けられたが、恩師小嶺の指摘は正しかった。プレースタイル的にも、スプリントやポストプレイのみではなく、柔軟に動き回り、アクロバティックに決める選手なだけに、プロのデュエルやシーズンの過ごし方は、キャンプや元のスタミナも重要。素材や能力に疑いの余地はなかったが、試合に出場し続ける信頼度への疑問符は拭い去ることができなかった。

 ベガルタ仙台へ覚悟と位置づけた移籍を果たすも、劇的に改善されたわけではない。開幕節翌日の練習で負った怪我を負ったが、これが最終的な決定打となった。1年間のブランク、2018開幕前キャンプへの未帯同、回復性の見込み薄、すべてが絡んだ決断がサッカー界”平成の怪物・平山相太”の引退へと繋がった。

 同い年であり、当時の高校サッカー界を東の市立船橋、西の国見それぞれのキャプテンとエースとして名を馳せた増嶋竜也と平山。増嶋は報道後にtwitterで…
相太の引退は寂しいね
去年一年間リハビリをがんばってる姿を近くで見ていたから、ピッチで頑張ってる姿をもう一度見たかった。
相太は本当に悔しいと思う
当たり前のように毎日サッカーができることを感謝しないといけないね。
現役生活お疲れ様
と語った。

 2017年開幕節、ベンチへと戻るFW平山相太の脇を通り、ピッチへ向かっていったのはCB増嶋竜也だった。