「ゼロからという気持ちで」2015年10月30日鎌田次郎の仙台から古巣・柏への完全移籍が発表された。FC東京の下部組織、流経大を経て柏に入団。正式に入団した2008年には出場機会にも恵まれた。2010年にベガルタ仙台で6シーズンプレー。仙台の守備面で大きく貢献した。そして2016年柏に復帰。CB、ボランチもこなせるユーティリティさ、クレバーさを兼ね備えつつ、時には身を挺した守備でチームを鼓舞する。J1の中でも平均年齢の低い柏で、33歳を迎えた彼の現在地とは。
鎌田次郎のプレースタイルと選手紹介
鎌田次郎のプロフィール
選手名 | 鎌田次郎|Jiro KAMATA |
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出身 | 東京都大田区 |
生年月日 | 1985/7/28 |
身長・体重 | 179cm・74kg |
現所属チーム/背番号/利き足 | 柏レイソル/#2/右足 |
過去所属 | ベガルタ仙台 |
特別指定選手時から出場
流通経済大学に進学した鎌田。同期入学には飯田真輝、澤口雅彦、清水慶記らがいた。鎌田はキャプテンを務め、06年関東大学リーグ優勝と07年総理大臣杯優勝の原動力になった。
この活躍により2006年柏レイソルに特別指定選手として登録された直後の第15節サガン鳥栖戦にて出場を果たすとその後出場機会を得て、第48節ヴィッセル神戸戦まで15試合に出場した。当時J2に降格したと同時に明神智和、玉田圭司、土屋征夫、波戸康広ら主力が移籍。苦しい状況にあった柏の主力の穴を埋める活躍をし、1年でのJ1昇格に貢献した。
流経大在籍時から続く背番号「2」
2008年大学卒業と同時に柏レイソルと契約。鎌田の背中に付けられた数字は「2」だった。これは流通経済大学に在籍していた頃から付けていた背番号でもあった。2008年3年目となった石崎体制。DFの補強は鎌田次郎のみと、背番号、補強の状況だけでも主力として期待されていたことが分かる。この年、センターバックに加え、ボランチでもプレーしユーティリティぶりを発揮した。
以降、『鎌田次郎』の背番号は「2」に定着する。
「全力慰留」 仙台での飛躍
未来の柏を担う選手として期待されていた鎌田だったが、契約満了と共にベガルタ仙台へ移籍。
2010年4月25日第8節湘南ベルマーレに移籍後初出場以降J1リーグ戦27試合に出場した。その活躍からクラブの年間MVPおよびJリーグの優秀選手賞に選出され、ベガルタ仙台不動のセンターバックとして存在感を見せた。強いキャプテンシー、粘り強い守備でチームに貢献。2014年にはリーグ戦におけるチーム最多のボール奪取数を記録した。
そして2015年に古巣柏からの正式オファーが届く。5シーズン不動のセンターバックとして活躍していた鎌田を仙台側は、全力で慰留に努めたが、2015年12月30日古巣柏レイソルへの移籍が決定した。
鎌田次郎の動画
年度別出場成績
【リーグ戦】15試合
【リーグカップ】3試合
【天皇杯】4試合
【リーグ戦】16試合1アシスト
【リーグカップ】4試合1アシスト
【天皇杯】1試合
【リーグ戦】25試合1得点2アシスト
【リーグカップ】4試合1得点
【天皇杯】4試合
【リーグ戦】31試合2得点
【リーグカップ】6試合1得点
【天皇杯】1試合
【リーグ戦】29試合
【リーグカップ】2試合
【天皇杯】3試合
【AFC】3試合
【リーグ戦】31出場3得点1アシスト
【リーグカップ】5試合
【天皇杯】1試合
【リーグ戦】33試合1得点1アシスト
【リーグカップ】4試合
【天皇杯】3試合
【リーグ戦】27試合2得点
【リーグカップ】8試合
【リーグ戦】11試合
【リーグカップ】4試合
【リーグ戦】26試合1得点
【リーグカップ】5試合1得点
年度別来歴
3月2日に行われた明治安田生命J1リーグ第2節の横浜F・マリノス戦で負傷。検査の結果、左外側ハムストリング肉離れ。全治は6~8週間の見込みと診断された。第10節浦和戦でリーグ戦8試合ぶりの復帰。スタメンで出場し89分間の出場、1-0で勝利に貢献した。
数年来のオファーに応え、柏へ完全移籍。7季ぶりの古巣復帰となった。
自身をプロへスカウトした下平隆宏監督の下、同年序盤には右サイドバックでも起用され、鋭い読みと対人の強さで新境地を開拓した。
堅実な守備で重宝され、同年末に契約が切れる際には強い慰留を受けた。
強烈なキャプテンシーと粘り強い守備で、2014年はリーグ戦におけるチーム最多のボール奪取数を記録。
チームに負傷者が相次いだため、センターバックとボランチで併用された。
31試合に出場、失点数は前年に比べ増えたものの、チームの2位に貢献し、2年連続でJリーグ優秀選手賞に選出された。
東日本大震災後の川崎戦での逆転ゴールや年間通しての堅守を評価され、クラブの年間MVPおよびJリーグの優秀選手賞に選出された。
ベガルタ仙台へ完全移籍。センターバックのレギュラーを確保し、J1リーグ戦27試合に出場した。
大学を卒業し、柏と正式に契約。
ボランチとセンターバックをこなすユーティリティぶりを発揮し、またも主力の抜けた穴を埋める活躍をした。守備的ポジションながらリーグ・カップ戦共にゴールを決めており、同年代のセンターバックの小林祐三や石川直樹、ボランチの大谷秀和らと共に将来の柏の守備を担う人材として、期待を集めた。2009年をもって契約満了。
FC東京の下部組織出身。ユースでのチームメイトの攻撃陣・李忠成や梶山陽平らがトップチームに昇格したのに対して、DFは市立船橋高校から増嶋竜也の獲得が決まったこともあり、昇格が叶わなかった。そこでJFLにも参戦している流通経済大学へ進学し、同大学サッカー部で頭角を現した。同部では主将を務め、関東大学リーグ及び総理大臣杯優勝の原動力となった。
大学3年の2006年には、当時J2にて1年でのJ1復帰を目指していた柏レイソルに特別指定選手として参加。登録発表直後の第15節鳥栖戦で早速出場機会を得ると、当時台所事情の苦しかったチームにおいて第48節神戸戦まで15試合に出場し、主力離脱の穴を埋めた。