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佐々木翔|城福イズムで育まれ森保イズムで花開いたパワーヘッダー

 忽然と紫の彗星が姿を表した。不意に空いたスペースに身体が動く。誰も反応できずにいるこぼれたボールを左足で押し込むと、歓喜の紫の輪が広がった。新生日本代表に招集されたばかりの苦労人は、抜群の身体能力をもってして代表への意気込みをゴールにスワップした。

開花へ、磨かれた『目』と指揮官を惚れさす身体能力

 神奈川県座間市出身の佐々木翔は、横浜F・マリノスのアカデミーで育ち、ジュニアユース時代を過ごした。しかしユースには上がらず県立高校へ進学した。この選択以後、彼のキャリア選択のベースは”監督”となっていく。高校では珍しいS級ライセンスを保持する監督のもとで育ち、マリノス産の基本技術にパワーヘッダーの打点を組み合わせたダイナミックプレイヤーへ変貌を遂げる。素材を見込んだ当時の神奈川大学監督木村哲昌に「左サイドバック」としてスカウトされると、本来の中盤に加えて、センターバック・サイドバックも並行しながら出場数を積み重ね、大学4年間の最多出場選手の記録も保持している。

 神大の木村に次いで佐々木の素材に惚れ込んだのは、ヴァンフォーレ甲府で同時期に監督へ就任した城福浩だった。ルーキーイヤーから大学時同様『ボランチ・センターバック・サイドバック』を経験させながら、『3バックの左』へ定着し、確固たる地位を築いた。甲府所属の3年間で公式戦出場は119試合。ムービングフットボールを標榜する城福イズムにあって、J2やJ1下位での現実的な状況で戦い抜く術をこの期間で会得し、2年目の2013年シーズン、3年目の2014シーズンにはJ1でトップ3の空中戦勝率を誇る選手へ成長した。
 抜群の素材は翌2015シーズン、森保・チャンピオン期絶頂のサンフレッチェ広島へ引き抜かれると、守備固めの選手として徐々に信頼を勝ち取っていく。しかし、移籍2年目の第4節大宮アルディージャ戦で右膝前十字靭帯断裂の大怪我を負い(翌年1月同箇所同負傷)、約2年間公式戦の舞台化から姿を消すことになった。
 素材が再び磨かれたのは今年2018年のことだ。開幕を城山高校、神奈川大学、ヴァンフォーレ甲府時代の初戦同様左サイドバックでスタメンとして名を連ねたが、抜擢したのは同シーズンより広島指揮官に就任した恩師・城福浩だった。

佐々木翔のプレースタイルと・トップフォーム時の特徴

 プレースタイルは、類まれな跳躍力をベースとした身体能力にある。基本の技術はもちろんだが、左サイドで攻撃をを組み立てつつフィニッシュにも関与できる点が魅力であり、佐々木を指導してきた指導者はいずれもその素材に惚れ込み、重用した。守備的ないずれのポジションであっても、明確な個人戦術のずれはなく、臨機応変に監督の言葉を体現し、攻守のバランスを取り続けて前線へと顔を出す。

 城福イズムに触れて才能を伸ばした佐々木は、森保イズムに引き抜かれ、怪我からの復帰を再度城福イズムでリカバリーすると、新生森保ジャパンへと昇華した。
 10年ぶり、SBSカップに挑むU-19日本代表ぶりの日の丸を背負うが、気負うことも、メンタルを落とすこともない。眼の前の目標、相手、試合に全力で挑み続けるだけだ。