イングランドの名門アーセナルの下部組織、年代別代表経験もあるジェイ。アーセナルトップ昇格目前まで登りつめるもクラブの規律を乱す行為で退団を余儀なくされる。移籍を何度か繰り返すも悪癖が足を引っ張り活躍できなかった。2015年ジュビロ磐田に移籍。32試合で20得点を挙げ、J2得点王J1昇格に大きく貢献した。しかし、2016年ここでも規律を乱す行為でチーム最多の得点を奪うも退団となってしまう。2017年札幌に迎え入れられる。10月のJ1リーグ月間MVPに選出、リーグ戦14試合の出場で10得点を挙げる驚異的な働きで、チームのJ1残留に貢献した。苦難続きの大型ストライカーの現在地とは。
・ジェイの動画
・選手紹介
・プロフィール
・プレースタイル・能力値・アビリティ
・セールスポイント・ウィークポイント・グロースポイント
・ヒストリー
・年度別来歴
・Evolving Data Other Contents
・Evolving Data Category Contents
ジェイの動画
選手紹介
プロフィール
選手名 | ジェイ|JAY |
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出身地 | イギリス ロンドン |
生年月日 | 1982年5月7日 |
身長・体重 | 190cm・89kg |
現所属チーム/背番号/利き足 | 北海道コンサドーレ札幌(J1)/#48/左足 |
プレースタイル・能力値・アビリティ
現在作成中
セールスポイント・ウィークポイント・グロースポイント
現在作成中
ヒストリー
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年度別来歴
7月1日に北海道コンサドーレ札幌に加入。
7月29日に行われた浦和レッズ戦で、後半途中から出場し、得点も挙げた。ジェイにとっては、磐田時代に続くチームデビュー戦での得点となった。
10月に行われた全3試合で4得点1アシストと残留を目指すチームの勝利に大きく貢献し、10月のJ1リーグ月間MVPに選出された。
最終的にリーグ戦14試合の出場で10得点を挙げる驚異的な働きで、チームのJ1残留に貢献した。
リーグ戦でチーム最多の14得点を挙げたが、チームの強化方針との方向性の違いなどもあり、2016年シーズン限りで磐田の退団が発表された。
Jリーグのジュビロ磐田へ完全移籍。イングランド代表での出場経験のある選手のJリーグ加入は1993年 – 1994年に名古屋グランパスエイトに在籍したゲーリー・リネカー以来2人目となる。
3月8日に行われた開幕戦のギラヴァンツ北九州戦でJリーグ初ゴールを含む2得点を挙げ、チームの勝利に貢献した。
8月8日に行われた京都サンガF.C.戦で来日初ハットトリックを達成した。8月は、ハットトリックした試合を含め6得点を記録し、8月のJ2最優秀選手に選ばれた。
自身初の1シーズン20得点を記録した。
2015年シーズンは32試合で20得点を挙げてJ2得点王にも輝き、ジュビロの3年ぶりのJ1復帰へ大きく貢献した。
海外でプレーしたいという気持ちがあり、当時中国のチームに所属していたニコラ・アネルカのアドバイスでアジアを勧められ、タイのムアントン・ユナイテッドFCへ移籍した。
当時イングランド1部のクイーンズ・パーク・レンジャーズFCへ移籍。
イングランド2部のカーディフ・シティFCでの活躍が認められ、フル代表に選ばれ、11月17日の親善試合フランス戦でデビュー。FAカップでのアーセナル戦の試合後に、アーセナル監督のアーセン・ヴェンゲルから「良くここまでやってきた。これからも進み続けろ」と声をかけられたという。
イタリアのACペルージャに加入し、初の海外移籍を果たした。その後、イングランドに戻るもチームを転々と移籍し、苦しいシーズンが続いた。
コヴェントリー・シティFCでプロ生活をスタート。クラブの財政悪化もあり、チームが多くの主力選手を売却したことで、21歳ながらにレギュラーとして活躍。
アーセナルの下部組織出身(1998年 – 2000年)。イングランドU-16・18・19・21代表歴がある。
アーセナルユース時代にFAユースカップで活躍し、将来が期待されるもアーセナルU-19の時に途中交代に苛立ち、ユニフォームを指揮官の前で投げ捨てた事が原因でトップチームに昇格せずに100万ポンドという安価で売却された。
マーティン・キーオンは、アーセナルの若手として必要なものをすべて持っていたが、態度が悪く自信過剰な面があった事がトップ昇格へ繋がらなかったと語っている。