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駒井善成の現在地|ミシャサッカーの伝道師・札幌でのポジションとプレースタイル

 長岡京SSに在籍していたライバルの宇佐美貴史が「善成を最初に見た時は衝撃を受けた。勝っていけるのかなと思った」と語るほどの実力を持つ駒井。ユース時、トップチームでも長く京都でプレーしたいと語った駒井は、2011年から2015年まで京都でプレーした。2016年から浦和レッズに移籍。当時監督のペトロヴィッチ氏のもとでプレーするもペトロヴィッチ氏が解任されると出場機会が激減。そしてペトロヴィッチ監督が指揮するコンサドーレ札幌へ2018年レンタル移籍。ミシャサッカーで輝く駒井の現在地とは。

駒井善成の動画




選手紹介

 ユース時代は同じ京都府出身で同学年の宇佐美貴史と共に「天才ドリブラー」と呼ばれた。宇佐美は「善成こそが本当のドリブラー」と評している。
 ペドロビッチは『走る・闘う・規律』の3原則を実践する駒井を高く評価。「戦地に連れて行くなら駒井だ」と高い評価。

 ファン、サポーターに対して常に笑顔で接するなど、ファンへの対応が丁寧な選手。

 京都サンガF.C.時代は、地元愛やチーム愛をたびたび語り、チームの中心選手としてサポーターからも愛される存在であった。2015年には京都のサポーターが選ぶチームMVP『サポーター賞』を受賞している。

プロフィール

選手名 駒井善成|Yosinari KOMAI
出身地 京都府京都市
生年月日 1992年6月6日
身長・体重 168cm・64kg
現所属チーム/背番号/利き足 北海道コンサドーレ札幌(J1)/#14/右足

プレースタイル・能力値・アビリティ

 「古都のメッシ」とも称されるドリブラー。細かく軽やかなステップと一瞬の速さで相手を抜き去る独特のドリブルで、サイドからの突破を得意とする。2015年にはJ2リーグのドリブル数ランキングで1位になる。豊富な運動量で前線をかき回す。



セールスポイント・ウィークポイント・グロースポイント

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ヒストリー

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年度別来歴

2019年
2018年

 北海道コンサドーレ札幌へ期限付き移籍。

2017年

 自身初のJ1開幕スタメン出場を果たすと、3月1日ACL第2節のFCソウル戦ではボランチで出場し、浦和移籍後初得点を記録。
 4月26日ACL第5節のウェスタン・シドニー・ワンダラーズFC戦では2アシストの活躍でMOMに選出された。
 7月30日に監督のミハイロ・ペトロヴィッチが解任。堀孝史が新監督に就任すると一転、ベンチ外となってしまう。

2016年

 2月27日開幕戦の柏レイソル戦にて後半35分に関根貴大と交代で移籍後初出場。J1リーグデビューを果たす。
 3月2日ACL第2節の浦項スティーラーズ戦では、浦和レッドダイヤモンズでの初スタメン&フル出場でACLデビューを果たした。
 

2015年

 22歳で京都サンガF.C.の副キャプテンに就任。
 7月10日に和田が成績不振により解任され石丸清隆が新監督に就任すると、7月18日の第24節セレッソ大阪戦にて、キャプテンの山口智と同じ副キャプテンの大黒将志がスタメンから外され、リーグ戦では初のゲームキャプテンを務めた。
 その後もゲームキャプテンとして若手主体となったチームを牽引。チームは8月以降1敗しかしなかったが、9試合連続ドローのJリーグ記録を作るなど、17位でシーズンを終えた。
 
 11月15日、J1リーグの浦和レッドダイヤモンズから駒井への正式オファーが報道。
 11月23日、同点ゴールを記録した最終節の水戸ホーリーホック戦後『京都の未来には善成が必要』などの残留を願う横断幕を掲げるサポーター達の前で正式オファーを明かし「じっくり考えてから自分の信じる道を突き進みたい」と語った。
 12月8日、 浦和レッドダイヤモンズへの完全移籍が発表された 。駒井は京都と来季終了までの2年契約を結んでいたため、違約金が発生しての移籍となった。また、移籍に関して京都サンガF.C.の公式サイトにファン・サポーターへの異例となる長文メッセージを掲載。
 12月13日にはサンガタウンで「感謝の会」を開催し、集まった約350名のファンと別れを惜しんだ。

2014年

 ヴァルデイル・バドゥ・ヴィエイラが新監督に就任したが、開幕戦からサイドハーフでレギュラーに定着した。
 成績不振からバドゥが解任され、森下仁志監督代行の元で挑んだ6月21日第19節のロアッソ熊本戦では、試合中に森下からサイドバックでのプレーを要求され「やる」と答えた。試合後には「サンガのためならどこでもプレーしたい」と語っている。
 

2013年

 背番号を7番に変更。3月3日のガンバ大阪戦にて自身初の開幕スタメン出場を果たす。3月17日第3節のアビスパ福岡戦でシーズン初ゴール。
 リーグ戦39試合出場4得点を記録し「チャンスメイクを多くできた一方で、フィニッシュ精度に課題が出た」と自己分析。J1昇格プレーオフ決勝にもスタメンフル出場したが、2年連続で敗退。試合後には「まだ受け止められない。ここまできて負けるんだと…」と悔しさを語った。3年連続でJ1昇格を逃している現在、チームの中で唯一の京都府出身選手であり「京都人としてこのチームをもっと強くする」と飛躍を誓った。

2012年

 8月5日第27節のガイナーレ鳥取戦でシーズン初ゴールを含む2ゴールで勝利に貢献、スタメンに定着。
 シーズン終了となるJ1昇格プレーオフ準決勝まで1トップでスタメン出場。念願のJ1昇格は果たせなかったものの、鋭いドリブル突破を持ち味にチームの主力にまで成長した。

2011年

 京都サンガF.C.U-18よりトップチームに昇格。背番号は22番。J2に降格したチームが若手に切り替える方針になったこともあり、4月30日第9節の栃木SC戦で初のベンチ入り、後半の33分に中村充孝と交代で入り、Jリーグ初出場を果たした。
 7月18日第21節の愛媛FC戦でJリーグ初ゴールを決めると、その後はウイングバックとしてコンスタントに試合に出場。9月1日第4節の愛媛FC戦でプロA契約締結条件である公式戦(J2)900分以上出場し、プロC契約からプロA契約変更を果たす。

プロ前

 2002年、京都市立百々小学校4年生の時に京都パープルサンガジュニアユースの試験を「ダメもとで受けてみた」ところ合格。同じ京都のチーム長岡京SSに在籍していた良きライバルでもある宇佐美貴史は「善成を最初に見た時は衝撃を受けた。勝っていけるのかなと思った」と当時の駒井を語っている。京都サンガF.C.U-15、京都サンガF.C.U-18で腕を磨いた。
 2007年の日本クラブユースサッカー選手権 (U-15)大会では、宮吉拓実や伊藤優汰らと共にプレーし、優秀選手にも選ばれる活躍で優勝を果たした。
 2010年、京都サンガF.C.のトップチームに2種登録された。京都サンガF.C.U-18ではキャプテンも務めた。Jリーグユース選手権大会では、同学年の伊藤優汰、下畠翔吾。一学年下の久保裕也、原川力、高橋祐治、杉本大地、三根和起など、後にプロデビューするチームメイト達と共にベスト4まで進出した。敗退となった準決勝のFC東京U-18戦でも、得意のドリブル突破でスタンドを沸かせ、何度もチャンスを作り、試合後には「小学校4年から京都でプレーしてきた。クラブに対する愛着は強い。ユースでの試合はこれで最後だが、トップでも長く京都でプレーしたい」と語った。






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