2018年1月17日、成岡翔が5年間所属したアルビレックス新潟からSC相模原へ移籍することが発表された。プロ16年目のシーズンは初めてのJ3に挑む。「もっとサッカーがうまくなりたい。ただ、その一心です」会見でつぶやいた言葉にプロとしてのスタイルを見た。
高校を卒業した1年目からチャンスを掴むと、リーグ戦・カップ戦を通じた公式戦21試合に出場。翌2004年にはACLを含め32試合に出場するなど、10代から順風満帆なキャリアを形成した。アテネ五輪を目指すチームにあっても候補として名乗りを上げてはいたが、集団食中毒にあい、スタメン奪取とはならなかった。
高校年代から名を馳せ、各年代代表に名を連ねはしたが、アテネ五輪で代表奪取とならなかった時期から代表との縁はなくなってしまった。よくあるパターンは、この段階で意識が薄まってしまうことだ。ユース年代からU-17W杯、U-20W杯(ワールドユース)、五輪、W杯と代表の目標がある中で、達成または未達となれば、バーンアウトしてしまうケースは少なくない。しかし、彼は生き残った。
代表には入らないが怪我もしない。クラブとしては助かる存在だった。ジュビロ磐田、アビスパ福岡、アルビレックス新潟と3クラブを渡り歩いたが毎年公式戦出場数は20以上、毎年得点も決めていた。
しかし、降格の憂き目に見舞われた2017シーズンは、自身の力でチームを助けることができなかった。しかも、初めてシーズン内での得点が「0」で終わってしまった。
求められているのは、得点やチャンスメークだ。J1とは異なり、崩しのフィニッシュワークよりはクロスやミドルなど、より単純かつ純粋なフィニッシュが効果的となるリーグにおいてでは新たなチャレンジが見込める。カテゴリーを落としてでも、充実感やキレを取り戻すには適した場所を選択したのかもしれない。
効果的な首振りでパスコースを見つけ出す能力に長けたアタッカーは類稀。しかもケガ耐性を持ち合わせている。まだ老け込む年ではない。MF大谷秀和(柏)、FW石原直樹(仙台)など、J1で活躍し続ける同世代もいる。若い選手たちがプロの水に慣れる場でもあり、夢を掴んだものの必死にもがき苦しむ場でもある。今年も、混沌としたJ3が幕を開ける。