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【選手名鑑】浅野拓磨の現在地|選手権、プロ、五輪で壁を破り続けて得たドイツと日本代表



浅野拓磨のプレースタイルと選手紹介

 

浅野拓磨のプロフィール

選手名 浅野拓磨|Takuma ASANO
出身 三重県菰野町
生年月日 1994年11月10日
身長・体重 171cm・70kg
現所属チーム/背番号/利き足 ハノーファー/#11/右足
過去所属 2010-2012 三重県立四日市中央工業高等学校
2013-2016 サンフレッチェ広島(J1)
2016- アーセナルFC(イングランド1部)
2016-2018 シュトゥットガルト(ドイツ1部/レンタル)
2018- ハノーファー96 (ドイツ1部/レンタル)



浅野拓磨の動画

 



年度別出場成績

2018年

 【リーグ戦】

2017年

 【リーグ戦】

2016年

 【リーグ戦】

2015年

 【リーグ戦】

2014年

 【リーグ戦】

2013年

 【リーグ戦】

代表歴

出場大会

U-18日本代表
 日本高校サッカー選抜
 NEXT GENERATION MATCH(2012年)
U-20日本代表
 2013年東アジア競技大会
U-21日本代表
 AFC U-22アジアカップ2013
U-22日本代表
 AFC U-23選手権 (予選)
U-23日本代表
 AFC U-23選手権2016
 トゥーロン国際大会
 キリンチャレンジカップ
 リオデジャネイロオリンピック

日本代表

2015年 – 東アジアカップ2015
2016年 – キリンカップサッカー2016
2016年 – 2018 FIFAワールドカップ・アジア3次予選



年度別来歴

2019年

 

2018年

 5月23日、ハノーファー96への1年間のレンタル移籍が発表された。8月25日、開幕戦のハノーファー96戦で開幕スタメンを飾った。

2017年

 4月9日、カールスルーエSCとのダービーマッチでは移籍後初の1試合2得点を決めて勝利に貢献した。
 6月22日、シュトゥットガルトに残留することが発表。8月19日、開幕戦のヘルタ・ベルリン戦でブンデス1部デビューを飾った。11月25日、第13節のハノーファー96戦で今季初得点とともにブンデス1部初得点を決めた。

2016年

 背番号が「10」に変更された。3月16日、AFCチャンピオンズリーグ第3節のブリーラム・ユナイテッドFCで2得点を決めてグループリーグ初勝利に貢献した。3月20日の大宮アルディージャ戦で先発出場したため、浅野の連続試合途中出場記録が歴代最長の33試合でストップした。7月18日、移籍前最終戦となった2ndステージ第4節の横浜F・マリノス戦ではフル出場し、広島を後にした。

 7月3日、プレミアリーグ・アーセナルFCへの完全移籍が発表されたが労働許可が下りず、8月26日にブンデスリーガ2部(当時)のシュトゥットガルトへ1年間の期限付き移籍する事が発表。9月8日、リーグ戦の1.FCハイデンハイム戦で途中出場をして移籍後初出場を果たした。9月20日、第6節のブラウンシュヴァイク戦で初アシストを記録。10月30日、第11節の山田大記が所属しているカールスルーエSC戦で移籍後初得点を決めた。

2015年

 4月18日のFC東京戦でリーグ戦初ゴールを挙げる。また、リーグ戦ではスーパーサブに定着して全8得点は途中出場での得点となった。12月5日、チャンピオンシップの決勝ではガンバ大阪と対戦し、第2戦で佐藤寿人に代わって途中出場をして貴重な得点をあげた。 この活躍が評価され、浅野はJリーグアウォーズ2015においてベストヤングプレイヤー賞を受賞した。

2013年

 浅野はサンフレッチェ広島とプロ契約を結んだ。同期入団に朴亨鎮・野津田岳人・金廷錫がいた。

プロ前

 浅野は7人兄弟の三男で、男の子6人に末っ子が女であった。兄弟の影響で幼い頃から自身もサッカーを始めた。小学生時代はペルナSC、中学生時代は菰野町立八風中学校でプレーした。ちなみに2チームとも県外遠征をすることはあれども、当時は全国的には無名なチームだった。高校進学時は家庭の経済環境を考えた上でサッカーをしようと考えていたが、中学サッカー部の顧問や担任が両親を熱心に説得したことから地元サッカーの名門三重県立四日市中央工業高等学校へ進学することとなった。

 進学した四中工では同期に田村翔太がおり共に活躍した。浅野は1年からAチームに絡み2年生からレギュラーを獲得し、高校選手権では3年連続(第89回・第90回・第91回)で出場を果たし、特に第90回大会では史上4人目となる初戦から決勝まで全試合得点を挙げ大会得点王となった。第90回および第91回大会優秀選手および高校選抜にも選ばれ、高校卒業の際には横浜F・マリノスやサンフレッチェ広島含め複数クラブから獲得オファーが届いた。