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【選手名鑑】吉田麻也の現在地|世代交代しつつある日本代表での「史上最高CB」の存在証明

SOUTHAMPTON, ENGLAND - APRIL 28: Maya Yoshida of Southampton applauds fans after the Premier League match between Southampton and AFC Bournemouth at St Mary's Stadium on April 28, 2018 in Southampton, England. (Photo by Mike Hewitt/Getty Images)



吉田麻也のプレースタイルと選手紹介

 

吉田麻也のプロフィール

選手名 吉田麻也|Maya YOSHIDA
出身 長崎県長崎市
生年月日 1988年8月24日
身長・体重 189cm・85kg
現所属チーム/背番号/利き足 サウサンプトン/#3/右足
過去所属 2007-2009 名古屋グランパス(J1)
2010-2012 VVVフェンロ(オランダ1部)
2012- サウサンプトン(イングランド1部)



吉田麻也の動画

 



年度別出場成績

2018年

 【リーグ戦】

2017年

 【リーグ戦】

2016年

 【リーグ戦】

2015年

 【リーグ戦】

2014年

 【リーグ戦】

2013年

 【リーグ戦】

代表歴

出場大会

U-18日本代表
U-20日本代表候補
U-23日本代表
2008年 – 北京オリンピック(グループリーグ敗退)
2012年 – ロンドンオリンピック・オーバーエイジ枠(4位)

日本代表

2011年 – AFCアジアカップ2011(優勝)
2013年 – FIFAコンフェデレーションズカップ2013(グループリーグ敗退)
2014年 – 2014 FIFAワールドカップ(グループリーグ敗退)
2015年 – AFCアジアカップ2015(ベスト8)
2016年 – キリンカップサッカー2016 (準優勝)
2018年 – 2018 FIFAワールドカップ(ベスト16)



年度別来歴

2019年

 

2018年

 2017-18シーズン、プレミアリーグ第2節ウェストハム戦にて試合終了間際にPKを獲得し、これが決勝点となってチームを勝利へ導いた。自身の誕生日でもある8月24日に2020年まで契約延長したことを発表した。開幕戦からレギュラーとして活躍し、開幕月となった8月のクラブ月間MVPを獲得した。9月30日、第7節のストーク・シティ戦で今季初得点をきめた。これらの活躍が評価され、イギリスの月刊サッカー雑誌、フォーフォーツーが選ぶ開幕10試合時点のプレミアリーグのトップ10選手一覧に8位で名を連ねた。12月13日のレスター・シティ戦ではシーズン2得点目を決めた。なお、対戦相手の岡崎慎司も2得点しており、この試合はプレミアリーグの歴史で初めて複数のアジア人選手が得点した試合となった。年明け後は左膝の負傷により戦列を離れる機会が多くなり、チームの調子も低迷。終盤には戦列に復帰し、チームのプレミアリーグ残留に貢献した。

 2018-19シーズン、2018年8月28日、カラバオ・カップ2回戦のブライトン戦で今シーズン公式戦初出場。

2017年

 2016-17シーズンは、年が明けた1月1日のWBA戦からスタメンに定着。7日のFAカップ3回戦ノリッジ・シティ戦では父親になってから初得点をあげた。11日EFLカップ準決勝のリヴァプール戦では無失点に抑えて地元紙で高評価を得た。また、18日に行われたFAカップでのノリッジ・シティとの再戦ではキャプテンとしてフル出場 。21日、チームキャプテンであり吉田とCBの定位置を争っていたジョゼ・フォンテが移籍してからはレギュラーとして定着する事となり、22日、岡崎慎司との日本人対決となったプレミアリーグ第22節レスター・シティ戦では、ファン・ダイクの負傷交代後にアームバンドを巻いた。

 2月26日、EFLカップ決勝戦ではマンチェスター・ユナイテッドと対戦し、先発出場で接戦の末2-3で敗れたものの、大会ベストイレブンに選ばれた。4月5日、第31節のクリスタル・パレスFC戦では逆転弾となる今季初のリーグ戦初得点を決め、試合後にはクロード・ピュエル監督から「マヤはサウサンプトンの将来でもある」と絶賛された。4月29日、第35節のハル・シティAFC戦では日本人選手として初のプレミアリーグ100試合出場を達成した。

 シーズン終了後、DFラインを共に組んだジャック・スティーヴンスから「マヤは僕にとって素晴らしい存在だった」と称賛され、地元紙『デイリー・エコー』の主催するサウサンプトン年間最優秀選手投票では2位となり、「吉田は今季セインツで成長を遂げた。ジョゼ・フォンテの移籍とファン・ダイクの長期離脱の後、センターバックの頼みの綱となった」と評価された。

2016年

 2015-16シーズンは、2015年9月にフィルジル・ファン・ダイクが新加入した影響でセンターバックとして出場する機会が減った。サイドバックとして出場する機会もあったが、右サイドバックとして出場したプレミアリーグ第6節マンチェスター・ユナイテッド戦と第14節マンチェスター・シティ戦で失点に直結する致命的なミスを犯してしまい、出場機会はさらに減っていった。9戦ぶりに先発出場した第25節ウェストハム戦では決勝点を挙げ、無失点にも貢献するも、その後も出場機会には恵まれなかった。

2015年

 1月2日にサウサンプトンと2018年シーズン終了までの契約延長に合意。2014-15シーズンはトビー・アルデルヴァイレルトにセンターバックのポジションを奪われる形で、本職ではないサイドバックでの起用も増えた。ロナルド・クーマン監督からは「違うポジションでもできる選手がいるのは幸運なこと」と称賛された。

2014年

 2月22日、プレミアリーグ第27節のウェストハム戦にフル出場してリーグ戦で初ゴールをきめた。しかし、2013-14シーズンはこのシーズンから移籍してきたデヤン・ロヴレンに出番を奪われる形で、開幕からリーグ戦の出場機会には恵まれず、同年3月には練習中に左ひざ靭帯を損傷し戦線離脱となり、シーズン中に復帰はできなかった。

2013年

 1月30日、プレミアリーグ第24節マンチェスター・ユナイテッド戦では相手の香川真司と共に先発出場し、プレミアリーグ史上初の日本人対決を実現させた。

2012年

 3月3日、リーグ第24節NACブレダ戦ではチームメイトのカレン・ロバートとのアベックゴールにより2-1で勝利を収めた。この年は初めてシーズン通してレギュラーとしてプレー。50年ぶりの4連勝も記録し、チーム2位の5得点を挙げて残留に貢献した。

 8月30日、イングランド・プレミアリーグのサウサンプトンFCへ完全移籍。9月15日のアーセナル戦で途中出場し、プレミアリーグ初出場を果たした。 その後もシーズン通してレギュラーの座を確保した。

2011年

 9月11日に行われたリーグ第5節PSVアイントホーフェン戦ではジャンピングボレーで一時勝ち越しとなるゴールを決めた。このゴールはオランダ放送協会(NOS)で放映されているサッカー情報番組「NOS Studio Sport(オランダ語)」において視聴者投票による「シーズンベストゴール」第1位となった。

2010年

 1月10日のMVVマーストリヒトとの練習試合で左足首を骨折し、09-10シーズンは出場がなかった。

 新シーズンより背番号を28から3に変更。2010年10月30日の対FCフローニンゲン戦の後半途中から出場し、これがオランダでのデビュー戦となった。試合は3-5で敗れたが、初アシストを記録した。しかし、シーズンを通してレギュラーに定着きれず20試合の出場に終わった。

2009年

 引退した大森征之から背番号4を受け継ぐ。25試合に出場し、名古屋DFの軸として活躍した。シーズン終了後の12月28日にオファーを受けたオランダのVVVフェンローへ完全移籍。

2008年

 就任したストイコビッチ監督の信頼を受けて序盤はバヤリツァとともにセンターバックのレギュラーとしてチームを支えた。7月14日には北京五輪代表に選出。グランパスではシドニー五輪にオーバーエイジ枠で出場した楢崎正剛を除けば初のU-23日本代表への選出であった。出場は敗退決定後のグループリーグ第3戦オランダ戦だけであったが、マッチアップしたFWロイ・マカーイと互角に渡り合った。五輪招集により一時的にレギュラーから外れたものの、22試合に出場。第22節鹿島アントラーズ戦では初得点も挙げた。シーズン終盤には、決定力不足を補うために高さを生かしてFWとして起用されることもあった。

2007年

 2007年シーズン開幕前、古賀正紘・秋田豊・角田誠等が退団し、層が薄くなったセンターバックにコンバート。第9節大分トリニータ戦で初出場を果たした。19試合に出場。

プロ前

 「麻のように揉まれれば揉まれるほど強い男になってほしい」という両親の想いで「麻也」と名付けられる。小学校2年生のとき、地元長崎市の南陵FCでサッカーを始める。小学校6年生の時に兄が見つけた名古屋グランパスのユースセレクションを、家族で名古屋を訪れるついでに受験。家族はもとより本人も合格すると思っていなかったが合格したため、愛知県みよし市に移住(受験者の中で合格をしたのは70人中、吉田を入れて4人であった)。

 その後、近隣の豊田高校普通科に進学。在学中にユース(U-18)の日本代表に選ばれたため校内でも有名な存在となり、女子たちからは大変モテて黄色い声援を送られた。また、この時代はキャプテンを務め、選手としてもボランチとして攻守にわたって支える、チームの要といえる存在であった。2006年の全日本ユースではチームを牽引して準優勝に導き、2007年に長谷川徹、福島新太、新川織部とともにトップチームに昇格。高校卒業後の2007年に早稲田大学人間科学部通信課程に入学している。