前橋育英高でトップ下で背番号10を背負った細貝は、浦和レッズへ入団する。安定な守備でチームに貢献し、2011年レヴァークーゼンへ移籍。2011年から柏に完全移籍で加入するまでに2カ国5クラブでプレーした。小学校の卒業文集に「柏レイソルに入る」と綴るほど柏に加入することを夢見ていた細貝の現在地とは。
細貝萌のプレースタイルと選手紹介
細貝萌のプロフィール
選手名 | 細貝萌|Hazime HOSOGAI |
---|---|
出身 | 群馬県前橋市 |
生年月日 | 1986/6/10 |
身長・体重 | 177cm・69kg |
現所属チーム/背番号/利き足 | 柏レイソル/#37/右足 |
過去所属 | 2005-10 浦和レッズ 2011-13 レヴァークーゼン 2011-12 アウクスブルク(レンタル) 2013-16 ヘルタ・ベルリン 2015-16 ブルサスポル(レンタル) 2016-17 シュトゥットガルト |
細貝萌の動画
年度別出場成績
【リーグ戦】
【リーグ戦】
【リーグ戦】
【リーグ戦】
【リーグ戦】
【リーグ戦】
年度別来歴
3月24日、柏レイソルに加入で合意したことが発表。元々小学校の卒業文集に「(将来は)柏レイソルに入る」と書いたほど以前から思い入れがあり、細貝と同じ群馬県出身でかつてレイソルに所属していた大野敏隆に憧れていた経緯もあったという。4月1日、第5節のサンフレッチェ広島戦で移籍後初出場を果たした。
7月25日、ブンデスリーガ2部に降格したVfBシュトゥットガルトへ2018年6月までの2年契約で完全移籍。シュトゥットガルトではアウクスブルク、ヘルタ・ベルリン時代に続きヨス・ルフカイ監督に師事することとなった。しかしそのルフカイが9月15日に電撃辞任し、後任となったハネス・ヴォルフがチームの若返りを図った上に、細貝自身も右足太もも前の肉離れや右足小指の骨折といった怪我に悩まされ、出場機会を失ってしまった。
開幕当初こそスタメンで起用されていたが、シーズン途中に監督のルフカイが解任されると定位置を失い、左足の怪我もありシーズン終盤は全く出場機会がない苦しいシーズンとなった。
8月27日、トルコ・スュペル・リグのブルサスポルへの1年間の期限付き移籍が発表。
前半戦は左サイドバックのミハル・カドレツの長期離脱により出場機会を得る。しかしシーズン途中に加入したセバスティアン・ボエニシュが好パフォーマンスを見せたこともあり徐々に出場機会が減少。結局シーズン通してレギュラーを獲得するまでには至らなかった。
5月、1部に昇格したヘルタ・ベルリンと2017年6月末までの4年契約での完全移籍が発表。ヘルタ・ベルリンの監督はアウクスブルク時代にともに残留を勝ち取ったヨス・ルフカイであり、そのことが移籍を後押しした。ヘルタ・ベルリンでは開幕から1年間ボランチのレギュラーの座を守り、緊急時はセンターバックも務めた。
1部昇格を果たしたアウクスブルクは常に残留争いの渦中に立たされるも、自身はレギュラーとして定着し、9月9日の第5節レバークーゼン戦でブンデスリーガ初得点を決めた。2012年3月10日、第25節ボルシア・ドルトムント戦では、首位を走るドルトムントの中心選手である香川真司を激しいマンマークで抑える活躍を見せこの節のベストイレブンに選ばれた。最終的に2011-12シーズンのブンデスリーガに所属する日本人選手では最多の32試合に出場し、クラブの1部残留に貢献した。
6月、アウクスブルクへのレンタル移籍満了に伴い、新たにレバークーゼンと3年契約を結び、併せてレバークーゼンへの復帰が決定した。
1月25日のAFCアジアカップ2011準決勝の韓国戦で、延長前半に本田圭佑のPKのこぼれ球を詰めて代表初得点を挙げた。2月19日、TSV1860ミュンヘン戦に途中出場しデビュー。同年3月19日、SCロートヴァイス・オーバーハウゼン戦で初先発した。
堤俊輔の復帰と宇賀神友弥の加入で左SBにある程度の人員が揃った事もあり、キャンプや練習試合でもボランチで固定され、Jリーグ第1節、対鹿島アントラーズ戦ではキャプテンの鈴木啓太を押しのける形で先発出場を果たした。これ以降もボランチとしてレギュラーポジションを確保し、試合展開によっては右SB、左SBを務めることもあった。
12月22日、ブンデスリーガ1部の強豪バイエル・レバークーゼンと2013年6月末までの複数年契約で完全移籍し、移籍後2012年6月末まではブンデスリーガ2部のFCアウクスブルクへレンタル移籍する事が決定。
高校卒業後の2005年、前年に特別指定選手として加入していた浦和レッドダイヤモンズに加入。デビュー1年目のシーズンは天皇杯でセンターバックとして出場した際、安定した守りを見せた。