柏のジュニアユース、ユースでプレー。そして2003年に柏レイソルのトップチームに昇格して以降、現在まで柏一筋でプレーしている。2008年に柏レイソルの主将となり、高い戦術眼、攻守両面で貢献するプレースタイルでチームを牽引する。さらにプレー以外でもキャプテンシーを発揮するなど選手からの信頼は厚い。
第一線でプレーするバンディエラの現在地とは。
大谷秀和のプレースタイルと選手紹介
本職はボランチだが、キャリアを通じてゴールキーパーを除く全てのポジションを経験しているユーティリティープレイヤー。プロ入り前はフォワード、トップ下など攻撃的なポジションでプレーしていたが、柏レイソルユース時代にトップチームのエースだった玉田圭司のプレーを間近で見た際、「これはものが違いすぎる。攻撃の選手ってこういう人たちばかりなんだ」と感じ、コーチの勧めもあってプロ入り後はボランチに転向した。
2008年から一貫して柏レイソルの主将を務めており、卓越した戦術眼で攻守のバランスを取る「ピッチ上の指揮官」としてチームを統率するだけでなく、ピッチ外でもチームのまとめ役を担う。
2014年に1年間柏に在籍した高山薫は「選手同士って仲が良いからあんまり怒ったりしないんですけど、大谷選手は例えば飯でもジャンクなものとか食べていると『ありえないだろう』とか言うし、普段の生活でもちょっと怠けていたりすると普通に怒られるし。キャプテンシーがすごかったですね、ピッチ内でもピッチ外でも」と語っている。
大谷秀和のプロフィール
選手名 | 大谷秀和|Hidekazu OTANI |
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出身 | 千葉県流山市 |
生年月日 | 1984/11/6 |
身長・体重 | 174cm・67kg |
現所属チーム/背番号/利き足 | 柏レイソル/#7/右足 |
過去所属 | ‐ |
大谷秀和の動画
年度別出場成績
【リーグ戦】
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年度別来歴
4月8日、J1第6節清水エスパルス戦でクラブ史上初のJ1通算300試合出場を達成。同年のリーグ戦ではキャリアハイの5得点を記録した。
吉田達磨新監督の下、ボランチよりも前線に近いインサイドハーフのポジションで起用された。同年7月、東アジアカップ2015の予備登録メンバーに入り、30歳にして初めて日本代表候補に選出された。
7月のネルシーニョ監督就任後は再びボランチに専念してチームの中心を担い、J2(2010年)・J1(2011年)のリーグ優勝のほか、天皇杯(2012年)・ヤマザキナビスコカップ(2013年)といった数々のタイトル獲得に貢献。
2008年からチームの主将に就任。
石崎信弘新監督が就任した2006年は選手会長に任命され、明神の移籍に伴い背番号「7」を引き継ぐ。同年は明神のほか玉田圭司、矢野貴章、永田充、波戸康広といった前年までの主力選手の多くがチームを去ったことから、ミッドフィールダー、ディフェンダーなど様々なポジションでプレーし、1年でのJ1復帰に貢献した。
明神智和とダブルボランチを組み、リーグ戦20試合に出場したが、チームは下位に低迷。J1・J2入れ替え戦でもヴァンフォーレ甲府に惨敗し、J2へ降格した。
10月17日のJ1 2ndステージ第9節名古屋グランパス戦で初ゴールを記録した。
トップチームへ昇格。同期入団に矢野貴章、谷澤達也らがいる。プレシーズンマッチのちばぎんカップでは、ルーキーながらボランチのポジションで先発出場を果たし、試合を視察していた日本代表のエドゥテクニカルアドバイザー(当時)からプレーを絶賛された。同年3月22日、リーグ開幕節のFC東京戦でプロデビューを飾る。
小学校1年生の時に初石少年サッカークラブでサッカーを始め、4年時からは流山市の選抜チーム・流山FCでもプレーした。小学生時代はフォワードを務めていた。
中学校入学後は柏レイソルの下部組織に加入し、トップ下にポジションを移した。
高校3年時の第57回国民体育大会では、クラブユース勢から唯一千葉県代表に選出され、市立船橋高校の原一樹・大久保裕樹、流経大柏高校の近藤祐介らと共に全国制覇を成し遂げた。