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【選手名鑑】中村航輔の現在地|福岡での1年を経て進化した柏の“守護神”

 柏レイソル史上最高傑作のGKとも呼ばれる中村航輔。柏の下部組織からトップチームへ昇格したが、右腕を骨折し出場機会を得られず、2015年アビスパ福岡で1年間の武者修行を行う。この1年を「今の自分があるのは福岡での1年があったから」と語るほど。翌年柏に復帰した中村は驚異的な反射神経、先を読んだ強気な飛び出し、足元の技術で守護神の座を掴んだ。しかし2018年、試合中相手との交錯で2度の脳震盪を負い、長期の戦線離脱。復活を待ち望む声は絶えない。柏だけでなく将来の日の丸を背負うであろう中村の現在地とは。



中村航輔のプレースタイルと選手紹介

 

中村航輔のプロフィール

選手名 中村航輔|Kosuke NAKAMURA
出身 東京都北区
生年月日 1995/2/27
身長・体重 185cm・82kg
現所属チーム/背番号/利き足 柏レイソル/#23/右足
過去所属 アビスパ福岡



『200人以上受けて合格したのは彼1人』

 小学1年生にサッカーを始め、近所で活動していたコアラSCに入団した中村。日韓W杯のドイツ代表GKオリバー・カーンに魅了された中村は入団当初からポジションはGKだった。
 学校の同級生が行っていたから、Jクラブの中で近かったのが柏だったからという理由から、柏レイソルのスクールにも参加した。この時点で彼の才能は抜きん出ていた。
 「そんなに大きくないけど、やたらにシュートを止める」
 そんな彼の噂は、当時柏レイソルU-12の監督だった酒井直樹氏にまで広まっていた。柏のアカデミーのセレクションを受けてみると200人以上の参加者がいたのにも関わらず、合格者は「中村航輔」 ただ1人だった。

中村を成長させた福岡での1年

 オリバー・カーンのように上手くなりたい。周囲が驚くサッカーへの情熱と向上心は群を抜いていた。練習をした後、「シュートを打ってください」と声をかけキーパー練習することは、もはや当然のこととなっていた。

 柏レイソルの下部組織(U-12、U-15、U-18)を経て、2013年トップチームに昇格するも負傷を繰り返し2年の時を経過させてしまう。そんな中、当時コーチだった井原正巳氏がアビスパ福岡監督就任するにあたり、期限付き移籍という形で福岡へ旅立つ。
2015年4月29日第10節ジュビロ磐田戦にて移籍後初出場を果たし、ビッグセーブを連発。第24節大宮アルディージャ戦以降から全試合フル出場、最終盤の11戦無敗という記録、リーグ戦20試合に出場、わずか10失点、クリーンシート(無失点試合)13試合と輝かしい成績を残しアビスパ福岡のJ1昇格の立役者となった。

 「今の自分があるのは、福岡での1年があったから。本当に大切な時間だった」

復帰を果たした柏での躍進

 「ピッチに立つということは、責任を負うってことを学んだ」
 福岡での1年で成長した中村は、パフォーマンスの維持、試合に出続けるために食事、睡眠などを一から見直した。また海外のアメリカンフットボールの選手やサッカー以外のアスリートのSNSから筋トレ方法をチェックし取り入れた。動画を撮影し自身のフォーム改善。当時のことをFW伊東純也は「オフでもいつもクラブのトレーニング室にいる」と語るほどだった。
 前年まで正GKを務めていた菅野孝憲の座を受け継ぎ、2016年Jリーグ優秀選手賞、2017年Jリーグベストイレブンなど躍進に次ぐ躍進を遂げた。

中村を襲う選手生命・命を脅かす2度の“脳震盪”

 その場にいた者すべてが息を呑む。
 
 2018年5月20日第15節アウェイ名古屋グランパス戦。試合終盤、ジョーのシュートに対し身体を目一杯伸ばして飛び出して食い止めるも、中村は首から落下する。ボールはゴールへ流れるもののオフサイド、さらにアディショナルタイムも終盤だったため試合はそのまま終了。会場全体が日本を代表する存在まで駆け上った男の倒れ込む残酷な光景に息を呑んだ。診断結果は脳震盪。この後さらに悪夢が襲いかかる。
 ロシアW杯の中断期間を経て、J1が再開された7月18日第16節ホームFC東京戦。それは後半16分に起きた。ボール処理のために飛び出した中村航輔の頭は、FC東京FW富樫敬真の膝のハードヒットを受けてしまう。2度目の“脳震盪”だった。
 短期間に二度の脳震盪を起こしてしまうことを『セカンドインパクトシンドローム』という。これは選手生命、最悪の場合死に至ることもある。
 
 柏の守護神、そして日本を代表する存在まで躍進してきた中村航輔の復活を待ち望む声は絶えない。

中村航輔の動画

 



年度別出場成績

2018年
2017年

 【リーグ戦】34試合33失点クリーンシート12試合
 【天皇杯】4試合4失点クリーンシート2試合

2016年

 【リーグ戦】28試合30失点クリーンシート12試合
 【天皇杯】3試合5失点クリーンシート1試合
 【リーグカップ】1試合1失点

2015年

 【リーグ戦】20試合10失点クリーンシート13試合
 【天皇杯】1試合クリーンシート1試合

年度別来歴

2019年

 

2018年

 5月20日の第15節名古屋戦で、後半アディショナルタイムに名古屋FWジョーと交錯して頭からピッチに転落、担架で搬送され、脳震盪と頚椎捻挫と診断され入院した。
 さらに、ワールドカップによる中断期間明けの7月18日に開催された第16節FC東京戦で、61分、東京MF東慶悟のグラウンダーのクロスに対し反応した際、ゴール前につめていた東京FW富樫敬真の膝が中村の頭部に激突、中村はそのまま意識を失い負傷退場、試合中に柏市内の病院に緊急搬送され、脳震盪と診断。

2017年

 リーグ戦全試合に出場し、5月には福岡在籍時以来2度目の月間MVPを受賞。満23歳以下の選手を対象としたTAG Heuer YOUNG GUNS AWARD・ベストイレブン、ならびにJリーグベストイレブンに初選出。

2016年

 アビスパ福岡への期限付き移籍期間が満了し、J1・柏レイソルへ復帰。前年まで正GKを務めていた菅野孝憲が京都サンガF.C.へ移籍したこともあり、開幕からスターティングメンバーに定着すると、シーズンを通じて安定したパフォーマンスを続け、同年のJリーグ優秀選手賞を受賞した。

2015年

 J2・アビスパ福岡へ期限付き移籍。
 第10節ジュビロ磐田戦で移籍後初出場を果たす。負傷が続いたが、第24節大宮アルディージャ戦からスターティングメンバーに定着した。
 同年のリーグ戦では、2010年以降J2で1,000分以上出場したゴールキーパーの中でトップとなるシュートセーブ率87.3%を記録。
 J2リーグ月間MVPを受賞した9月以降は、出場した全12試合のうち9試合を無失点に抑えた。最終順位は得失点差で自動昇格圏に届かず3位に終わったが、J1昇格プレーオフでもビッグセーブを連発し、クラブ5年ぶりのJ1復帰に大きく貢献した。

2013年

 2013年に同期の秋野央樹、小林祐介、木村裕と共にトップチームへ昇格。
 前年の第36回日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会直前に右腕を骨折して以来負傷が続き、出場機会は得られなかった。

プロ前

 小学校1年生の時に地元・北区のコアラSCでサッカーを始めた。当初は様々なポジションでプレーしていたが、2002年日韓共催ワールドカップでドイツ代表のオリバー・カーンの活躍を見てゴールキーパーに転向。
 小学校5年時から柏レイソルの下部組織に加入。