東京世代主将のMF坂井大将は今冬移籍したアルビレックス新潟で、もがいていた。坂井は2013年からアンダー世代の日本代表に招集され、2013U-17W杯から各代表大会に名を連ね、2014ブラジルW杯トレーニングパートナーに選出された。しかし2017U-20W杯後の海外移籍でビザ問題が発生すると、風向きが変わった。世界レベルの『黒子』技術を持ち合わせる坂井大将のこれまでとこれからを現在地から眺めていきたい。
※以下、記事内には多くのデータを含みます。現在非公開&大規模修繕中のフットボールスタッツデータベース『Evolving Data』内格納のデータと、弊社制作の『能力値換算指標』を用いて掲載しております。
・インタビュー動画
・プロフィール
・プレースタイル・能力値・アビリティ
・セールスポイント・ウィークポイント・グロースポイント
・ヒストリー
・年度別来歴
・Evolving Data Other Contents
・Evolving Data Category Contents
坂井大将のインタビュー動画
プロフィール
選手名 | 坂井大将|Daisuke SAKAI |
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出身地 | 長崎県長崎市 |
生年月日/2018年齢 | 1997/1/18/21歳 |
身長・体重 | 167cm・64kg |
現所属チーム/背番号/利き足 | アルビレックス新潟(J2)/#50/右足 |
プレースタイル・能力値・アビリティ
offence | defense | speed | power | technique | tactics | stamina | mental |
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D52 | C63 | C65 | F38 | A87 | A81 | E49 | B75 |
プレー範囲・ポジション図挿入予定
セールスポイント・ウィークポイント・グロースポイント
攻撃時は「黒子」、守備時は「ファーストストーン」の役目を得意とする。パスを交換しながら自ら前進していくスタイルではなく、自チームの獰猛な攻撃陣をより活性化させるための一つの歯車になる動きが秀逸である。言い換えれば、味方選手の動きのほとんどを理解し、チームの戦術も落とし込めている証拠だ。
逆に守備時は「ファーストストーン」となり、敵陣営のボールホルダーにチェックして、選択肢を絞る役をとる。
フィジカルの強さや、単独で打開したり奪い切る力に長けているわけではないため、デュエルや肉弾戦を不得手とする。また理解されにくいプレースタイルのため、監督だけでなくサポーターからもフラフラ動いているように思われる。
フィニッシュエリアでディフェンスをかいくぐった上で決めきる決定力が高まれば、ステルス機能を搭載した新世代のオフェンシブワークのピースとして起用することができる。カウンター時も、ファーストディフェンダーの役割を賄うことができる。
ヒストリー
製作中:事象の提案
年度別来歴
製作中:事象の提案
移籍先のベルギー2部テュビズで練習するも、ビザ問題が解消されなかったため移籍先を模索することとなった。出場機会獲得の意味も込めた移籍だったため、元所属先の大分に戻ることはできなかった。いくつかのオファーこそあったものの、U-19日本代表活動時に当時練習試合の対戦相手監督として面識があり、U-20W杯を率いた内山篤の師弟関係でもある鈴木政一が率いることとなったアルビレックス新潟への入団を決める。序盤からレギュラーとしてポジションを獲得するも、繋ぐサッカーで成果を残せなかったチームの方針転換に伴い、ベンチへ。それでも結果を残すことができなかったチームは監督更迭に打って出る。これにより坂井は、またイチからのスタートとなってしまった。
U-20W杯に主将かつ背番号10で出場。しかし、帰国後所属チームに戻ると出場機会を失ってしまう。世界を知ったことで世界とのギャップを感じたことから、オファーの入ったベルギー2部のテュビズへ移籍。初戦から出場機会を得た。しかし、ビザの問題が発生し、公式戦への出場ができなくなると、練習でも評価は一転。試合に出ない選手に対して強度の高い練習はさせられないとの扱いを受けてしまう。
U-19日本代表チームが指導すると、キャプテンを任命された。同東京五輪の弟世代にあたる”ミレニアム世代”
のMF福岡慎平(京都サンガF.C.)同様、監督・コーチ・選手間の満場一致で決定したキャプテンであるが、決して情熱的なタイプではなく、モダン型のモチベーター・協調タイプのキャプテンシーを併せ持っている。
2015年にトップチームに昇格。
ブラジルワールドカップ日本代表のトレーニングパートナーとしてMF杉森考起(当時名古屋/現町田)と共に選出される。現地の肌感覚をもって挑んだ帰国後の天皇杯2回戦ヴェルスパ大分戦で公式戦デビューを果たすと、同試合の前半34分に自らが得たPKを決め公式戦初得点も記録した。このゴールは大分の公式戦史上最年少得点記録となった。また同年10月には、英紙『ガーディアン』の「次世代の世界の若き才能40名」に日本人選手で唯一選ばれた。
前年からコンスタントに呼ばれ始めたユース年代での代表活動から、U-17W杯メンバーにも名を連ねた。早生まれということもあり、リオ世代の最年少学年と東京世代の最年長学年が混在したチームでは、MF三竿健斗(鹿島)やMF鈴木徳真(筑波大)らと共に、世界を震撼させるポゼッション”70%”を誇った吉武博文率いるチームにあって主に左サイドバックを務めた。