「クリスティアーノ・ロナウドのPKを止めた」。ロシアW杯グループB第3戦イランvsポルトガル戦で1人の男が輝いた。その名も「アリレザ・ベイランバンド」。当時、世界的に無名だった彼は、世界最高の選手のPKを止めて世界に衝撃を与えた。衝撃はそれだけでは留まらなかった。ベイランバンドのスローイングは、キャノン砲と言わんばかりの弾道で前線へと飛んでいった。60m以上の飛距離が出ていただろう。結果的にイラン代表はグループステージ敗退に終わったが、強豪国と互角に戦った代表チームには賛辞の声が相次いだ。その中心となって戦ったベイランバンドの過去には、想像を絶する苦難の道程があった。
- 【選手紹介】ベイランバンドのプレースタイルと選手紹介
- 【選手紹介】ベイランバンドのプロフィール
- 【ヒストリー】遊牧民の家族の下に生まれる
- 【ヒストリー】サッカーとの出逢い
- 【ヒストリー】夢を叶えるために
- 【ヒストリー】「自分の力だけで道を切り開く」
- 【ヒストリー】国内屈指の強豪クラブへ
- 【ディスコグラフィー】紹介動画
- 【ディスコグラフィー】年度別出場成績
- 【ディスコグラフィー】パラメータ・能力値※制作中
- 【年度別来歴】プロキャリア※制作中
- 【年度別来歴】アマチュア時代の評価※制作中
- 【年度別来歴】代表歴※制作中
- 【選手評価】スタッツ※制作中
- 【選手評価】市場価値※制作中
- 【選手評価】能力値変遷※制作中
ベイランバンドのプレースタイルと選手紹介
アジア最高峰のGK。195cmと長身ながら反応が早く、シュートストップに定評がある。PKストップも得意だ。もちろんハイボール処理も安定している。また、遊牧民時代に鍛えられた肩を活かした60m超のスローイングは非常に正確で攻撃の起点となる。現在は母国の強豪ペルセポリスで正GKを務めているが、本人も欧州でのプレーを希望しており近い将来に欧州へと移籍するだろう。
下記にたっぷりとプレー動画をまとめております。チェック必須!
ベイランバンドのプロフィール
選手名 | アリレザ・ベイランバンド(Alireza Beiranvand) |
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ポジション | GK |
出身 | イラン/ホッラマーバード |
年齢/生年月日 | 27歳/1992年9月21日 |
身長・体重 | 194cm・85kg |
現所属チーム/背番号/利き足 | ペルセポリス/1/右足 |
代表/デビュー年 | イラン代表/2015年1月4日 |
過去所属 | ナフト・テヘランなど |
クラブ・代表タイトル | イランリーグ2回(ペルセポリス)、イランスーパーカップ2回(ペルセポリス) |
個人タイトル | イランリーグ年間最優秀GK(14-15、16-17、17-18)、イランリーグベストイレブン(14-15、16-17、17-18) |
遊牧民の家族の下に生まれる
ベイランバンドは1992年9月21日に遊牧民の家族の下で生まれた。長男だったこともあり若い頃から家族のために一生懸命働いた。そして空き時間には、友人とサッカーや「ダル・パラン」というイラン伝統の遊びをしていた。「ダル・パラン」とは、石を長げてその飛距離を競い合う遊びである。一見、この遊びはサッカーとは無関係だと思う人がいるかも知れないが、この経験が将来的にベイランバンドの大きな武器となった。
サッカーとの出逢い
ベイランバンドが12歳の時、家族はサラビアスという街に定住するようになる。ベイランバンドは地元の人達とサッカーをするようになった。元々はFWとしてプレーしていたが、チームにケガ人が出たときにはGKでプレーしていた。これを機にGKの才能を開花させたベイランバンドは、父にサッカー選手となると告げる。しかし、これに父は反対。結果、ベイランバンド夢を諦めきれず家を出ていくこととなった。
夢を叶えるために
ベイランバンドは親戚からお金を借りてイランの首都「テヘラン」へと向かった。するとバスの中で地元のサッカーチームを経営しているホセイン・フェイズ氏と「偶然」居合わせた。ベイランバンドは彼のチームでプレーすることとなった。しかし、当時お金のないベイランバンドは野宿して夜を明かしていた。その後は同僚の家やお金を稼ぐために働いていた服飾工場で寝泊まりしていた。
「自分の力だけで道を切り開く」
ある日、ベイランバンドが洗車場に勤めていた時、またしても「偶然」な出来事が起きた。なんとその洗車場にイラン代表伝説のストライカー「アリ・ダエイ」がお店に現れたのだ。お店の同僚がアリ・ダエイに「サッカーの相談をしにいきなさい」と促した。しかし、親元を離れる時に誓った「自分の力だけで道を切り開く」という信念をもとにベイランバンドは断った。その後、イラン1部のクラブチームであるナフト・テヘランのコーチと出会いこのクラブへと加入した。
国内屈指の強豪クラブへ
その後、ナフト・テヘランからホーマのチームに移って練習に励むもケガを負ってしまった。これが理由でホーマのチームとは契約に至らなかった。夢が閉ざされたと思われたベイランバンドだったが、ナフト・テヘランU-23のコーチから「他のクラブと契約をしていなければ、うちのクラブに帰ってきてくれ」という1本の電話が入った。そして、ナフト・テヘランに復帰したベイランバンドは、13-14シーズンからトップチームの正GKとしてプレー。実力が認められ15年はA代表デビュー。16年夏には国内屈指の強豪クラブであるペルセポリスへと移籍。確実にステップアップを続け、ロシアW杯行きの切符を掴んだのであった。そして、大一番で世界的スーパースターのロナウドのPKを止めた。家族の下を離れ”1人”で生きていくと決めた男が、1人で培った”強さ”を世界に示した瞬間だった。W杯後にベイランバンドを欧州のクラブが獲得を検討することは間違いなく、今後どのような人生を歩んでいくか注目だ。
引用『Guardian』
アリレザ・ベイランバンドの動画
《セーブ集》
《ロシアW杯でのセーブ集》
《シャビを止めた!チームをACL決勝に導いたACL準決勝アル・サッド戦でのスーパーセーブ》
《キック並みに飛ぶ!誰もが驚愕するスローイング》
《キック並みに飛ぶ!誰もが驚愕するスローイング②》
年度別出場成績
イランリーグ 5試合4失点
イランリーグ 24試合10失点
ACL 6試合5失点
イラン杯 2試合1失点
イランリーグ 27試合12失点
ACL 12試合17失点
イランリーグ 24試合11失点
イランリーグ 19試合12失点
ACL 1試合2失点
イランリーグ 26試合25失点
ACL 10試合13失点
イランリーグ 23試合14失点
イランリーグ 1試合2失点
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