もう1点、失点してしまえば勝利はなくなる。後方からのボールに反応したFWジョー(名古屋)のシュートを止めるため、ゴールキーパーとしては大きくない身体を目一杯伸ばして飛び出して食い止めた。ロシアW杯の代表入りを確実なものとしていた日本の守護神は次の瞬間、首から地面へ落下した。
既にアディショナルタイムも終盤だったこと、名古屋の攻撃もオフサイドだったことから、倒れ込んだ柏の守護神の状態確認をするうちに試合は幕を下ろした。日本を代表する存在まで駆け上った男に起きた残酷な光景に会場全体は息を呑んだ。
日本代表選出メンバーを巡る第一弾の原稿として原稿を仕上げていた矢先のことだった。気は動転したし、なぜ彼に幾度も降りかかるのかと絶句した。2006年に招集確実とまで言われたMF村井慎二が、直前に負傷してしまう姿がフラッシュバックした。日本は、サッカー界は今大会で守護神になるだろう『中村航輔』という一つの才能を求めているのだ。出すかどうかも迷った。ただ、待ってるんだ、一日でも早く良くなってほしい、その想いが連鎖して届くことだけ願って書いた。
2016年1月5日、中村航輔はプロとして「何度目かのスタート」をきった。ユース年代から柏レイソルだけでなく、日本の絶対守護神として名を馳せてきた逸材は、2013年にプロ入りをするも、負傷を繰り返し2年の時を経過させてしまう。「レイソル史上最高傑作」の才能は、それまでコーチであった井原正巳がアビスパ福岡監督就任するにあたり、期限付き移籍という形で環境を変えた。
2015年4月29日明治安田生命J2リーグ第10節のジュビロ磐田戦で初先発を果たし、数々のビッグセーブを見せて勝利に貢献すると、何度か訪れた出場機会を全てモノにし、24節以降は全試合フル出場、最終盤の11戦無敗という記録を引っさげ、アビスパ福岡のJ1昇格の立役者となった。
翌年1月5日に柏レイソルへの復帰を果たす際、福岡のサポーターに対して、このように書面を残した。
”まずはじめに、アビスパ福岡にご支援ご声援いただいたスポンサーの皆さま、ファンサポーターの皆さまに感謝しています。アビスパ福岡の選手として感謝の気持ちをJ1昇格という結果で伝える事が出来て良かったです。とても短い一年間でしたが、監督、コーチ、スタッフ、チームメイトと共に目標に向かい仕事に取り組んだ事、そして目標を果たせた事を誇りに思います。自分は柏レイソルでまた新しいスタートを切ることになりましたが、アビスパ福岡がJ1の舞台で躍進する事を願っています。1年間ありがとうございました。”
同年同月、当然招集を受けたAFC U-23アジア選手権も負傷のため離脱。結果として優勝を果たし、リオ五輪の切符を掴んだチームに貢献することはなかった。
しかし、初のJ1の舞台で堂々と渡り合い、8月には五輪メンバーとしてリオ五輪に参戦。GLで敗退したものの、世代の守護神として名を挙げた。代表にも初招集・初キャップを果たすこととなった翌2017年にはJリーグベストイレブンにも輝き、まさに「日本代表」としての階段を駆け上がっていた。
「日本代表に選ばれて、まず一番に嬉しいという思いです。初めて選ばれた1年前から代表やクラブの試合を通して成長できたり変化したところ、変わらずやってきたところ、それぞれがあるが、気持ちの面でワールドカップでプレーしたいという思いはずっと変わっていません。とにかく自分は、いつもどおりにシュートを止める、最後の最後で踏ん張れるような存在になりたい。また、このチームがワールドカップへ向けて準備していく中で、自分もその一部になりたいですし、常に全力でチームの勝利のために準備していきたいです」
常に全力でチームの勝利のために準備したからこそ起きた名古屋戦のラストプレイだった。飛び出さなければ怪我はなかった。しかし、失点の可能性はあった。最後の砦の積極的な判断だった。
福岡の地を訪れることを決意して渡ってから3年、J1の経験すらなかった男は柏や福岡だけでなく、日本はおろか世界のサッカーファンからも推される選手になっていた。脳震盪と頚椎捻挫の診断がくだされた。W杯が全てではない。今後の人生が一番大事である。しかし、ドクターの許可が降りるのであれば、クラブで見せた鬼神のディフェンスをロシアの地で見せてほしいと誰もが思っている。